浴室を貸してもらった俺は、そこに設置されている鏡に映る自分の体を見て初めて気づいた。首筋、鎖骨、胸板を中心に、赤い斑点が浮かび上がっていることに。体を重ねた際、ありとあらゆる部位に唇を押し付けられた覚えはあるが、これほどまでに跡が残っているとは思わなかった。
 でも、このマークだらけの体が、昨夜のことは実際に起こったことなのだと証明しているかのようで。嬉しい反面、理性を失くした情けない姿を晒してしまったことにかなりの時間差で恥ずかしさを覚えた。男が女みたいに泣いて善がって。神崎の目に、自分に抱かれて気持ちよくなる俺はどう映っていたのだろう。
 考えても仕方のないことを考えて。胸のもやもやを全部洗い流すようにシャワーを頭から被った。つけられた印のようなものを意識したら、神崎の唇が触れた感覚が鮮明に蘇ってくる。欲求不満の表れのような。独占欲の表れのような。我慢させていたのかもしれないと思ったし、俺も我慢していた節があった。感情に呑まれ、神崎に触れてほしくて、抱いてと誘ったのは俺で。自分が抱かれる側であることに何の疑問も持たなかったが、そうか、俺、男に抱かれたんだ。
 俺に触れる神崎の熱を思い出し、顔が紅潮する。男とした初めての行為は、正直、涙が出るほど、気持ちよかった。期待していた以上に、神崎の手は甘くて優しくて。何度も好きだと言いそうになったが、その度に神崎が察したように口を塞いでくれる。どちらかが好きだと言えば、俺も神崎も、きっと、止まらなくなるから。ぐらぐらとしていて不安定な関係が、その言葉をきっかけに崩れてしまうから。だから、言えない。言ってほしくない。俺がアイスである以上、その心理戦のようなやりとりは免れないのかもしれないと思わずにはいられなかった。
 頭と体を軽く洗い、浴室から出ると、俺のものではない衣服が綺麗に畳まれた状態で用意されていた。言わずもがな神崎のものだろう。これを着ろということだろうか。だとしたら、服まで貸してもらえることになろうとは。タオルすら借りて濡れた体を拭き、畳まれていた黒い服を恐る恐る手に取り広げる。ダボッとしたパーカーと緩めのズボン。鼻を掠める神崎の香りに、思わず酔い痴れそうになった。
 神崎と俺の体躯はほとんど同じだからか、ちょうどいいサイズのその服を着て彼のいる一室へと向かう。他人の服、しかも好きな人の服を着ていることに若干の緊張を覚えながら閉まっていた扉を開けると、その音で俺に気づいた神崎が顔を上げた。目が合い、瞳がほんの僅か、柔らかくなる。それでも、拭い切れない切なさのようなものが見え隠れしていた。もしかしたら俺も、神崎と似たような目の色をしているのかもしれない。アイスが、ジュースが、お互いの行手を阻んでいるかのよう。
 ベッドを背もたれにカーペットの上で腰を落ち着かせている神崎は、テレビもつけていなければスマホの画面も見ていなかった。リモコンも彼のスマホも、机の上で鳴りを潜めている。結局買っただけでほとんど飲まなかった酎ハイは既にそこにはなくて。彼の手によって冷蔵庫に移動させられたのかもしれない。俺の飲みかけだったものまで処理してくれたらしく、机の上には物がほとんど置かれていなかった。すっきりしている。
 余計な手間をかけさせてしまったことに申し訳ない気持ちになる俺を手招く神崎に、秋月、と言葉はなくともそう呼ばれているような気がした俺は、吸い寄せられるように彼の側へ歩み寄った。暇潰しをせずに俺を待ってくれていたような神崎のその様子に、胸が弾むほどの愛おしさを感じながら。
 神崎の隣に少し間を空けて座ると、手、繋ぎたい。俺を一瞥して、彼は物静かにそう告げた。散々許可なく握って指を絡めてきたのに、どうして今更、改まって、そんな願望を口にするのか。一夜を共にした仲なのに、また、俺に触れることを躊躇うような、近づいたと思った途端離れていくような、そんな距離感に寂しさを感じる。床につけた俺の手に指先が触れそうになっているにも関わらず、神崎がどこか遠くにいるような錯覚にすら陥りそうになった。勝手に繋げばいいのに。許可なんていらないのに。驚くことはあるかもしれないが、嫌がることなんてないのに。神崎に触れてもらえるのは、俺にとって幸せなのに。
 言葉は返さなかった。うん。いいよ。それらの肯定を示す単語も言わなかった。その代わり、自ら神崎の手を握って応える。彼の手は温かい。温かいのに、微かに震えていた。昨日、手を繋いで歩き、何かを言い淀んでいた時と似たような感情の揺れ方。緊張から、不安から、恐怖から。それでも、俺の手が冷たくて震えているのかとも思ったが、どう考えても、どこをどう切り取っても、俺の低体温による震えではないのは明らかで。切なそうで、悲しそうで、苦しそうで。神崎は、何かを逡巡している。
「……温まった?」
 また、言いたそうにしている言葉を呑み込んで、神崎は遠慮がちに、誤魔化すように、そう尋ねてきた。声色は柔らかい。優しい。でも、手は、震えている。そこから切なさや苦しさが滲み出ていた。温まった、ありがとう。貸してくれた服のことも含めて素直にお礼を伝えると、神崎はこくりと首肯して、反応を示した。しおらしい態度に距離感を掴めなくなる。言葉を慎重に選ぶ神崎に、言いたいことあるなら言えよ、と催促して焦らすこともできず、俺は彼の考えが纏まるまで、纏まって口にできるまで、何も聞かないでおこうと思った。俺もまだ、覚悟が決まっていないから。
 神崎の口数が人一倍少ないこともあってか、密閉された一室には沈黙が広がっていた。俺も一人でぺらぺらと喋り続けられるほど饒舌ではないため、気を遣うような、場の空気を盛り上げるような明るい言葉は発さなかった。発せなかった。
 口を閉ざす神崎は、小刻みに震えているその手で俺に縋るように、胸の内を必死に隠そうとするかのように、徐に指を絡めてきた。彼の方に視線を向けると、伏し目がちに俯くところで。触れたら最後、崩れて壊れてしまいそうなほどに儚いその表情に、胸を締め付けられる思いがした。晒されていた横顔に影を落とさせる、男にしては綺麗すぎるほどのさらさらな黒髪すら、彼のことを覆い隠すための手助けをしているかのよう。
 秘めていることがある。言いたくても、言い出せないことがある。体の内側で響めく言葉を鎮めさせるように、彼の喉仏が上下した。その首は、白かった。何の跡もなくて、綺麗だった。彼の横顔は、思わず見惚れてしまうほど、美しかった。
 惹かれて。そのまま、手が、引かれる。自然と、動く。体を僅かに横に向けて、思い詰めるように俯く彼の髪を梳くようにして頬に触れた。崩れそうで、壊れそうで。乱暴な扱いなんて絶対にできない。唇に、首筋に、噛みつきたいなんて思っても、我慢。神崎はいつだって優しさを忘れずに俺に触れてくれたから、俺も同じように、優しく、丁寧に、神崎に触れたかった。
「神崎」
 はっきりと口にしたつもりが、思っていたよりも声は出ておらず、掠れてしまった。それでも神崎は、俺の声に、手に、反応するように顔を上げ、瞬きをして、澄んだ瞳を揺らす。俺も神崎も、求め合うように体を重ねた深い夜から目が覚めつつあって。今、眼前にあるのは、俺がアイスである事実と、神崎がジュースかもしれないというほぼ確定に近い可能性だけ。いつまでも現実逃避はできなかった。好意を喉や胸に貼り付かせておく方が、切なくて、ただ、苦しくて。痛くて。
 漂う寂寥感。その中にある確かな高揚感。見つめ合って、どちらからともなく唇を重ねるのは、酷く自然なことのように思えた。吐息を触れ合わせながら、寂しさを紛らわすように舌を絡めるのも、きっと、必然。
 目に見えない愛を求めるように神崎の舌を食んで、好きを隠して、それから。彼の首筋に指先を滑らせた。俺の指が冷たいからか、それとも、くすぐったさによるものなのか、微かに肩を揺らして吐息を漏らす神崎の切なげなその声に扇動される俺は、途中で止めることもできないまま彼の肌に触れ、輪郭をなぞった。神崎が俺の体につけてくれた跡を、俺もつけたい。首筋だけでもいいから、つけさせてほしい。俺の、キスの、跡。所有の証。牽制。独占欲。剥き出しの愛。
 神崎の手が、俺の髪を触る。触って、引き寄せ、僅かに空いていた隙間を埋めた。キスを深めた。熱すぎて溶けてしまいそうなほどの接吻を、酸欠になるくらい気の済むまで続けて。特に示し合わせたわけでもなく、ほぼ同時に、唇を離した。深さを物語るように舌端と舌端で糸が引かれる。でも、それはすぐに、脆く切れた。切れて消えた。
 俺の手を強く握る神崎は、その行動に反して愛おしいものでも見るような恍惚とした熱い眦で、俺をその瞳孔に閉じ込めていた。神崎は、儚い。神崎は、脆い。神崎は、美しい。神崎が、好きだ。俺は。神崎が。好きだ。
 握られた手に神崎の熱が伝わる。冷たくても触れてくれる神崎のその手を、まだ小刻みに震えている、俺とさして変わらない大きさでも、俺よりも随分と繊細なその手を、壊れないよう優しく、強く、握り返しながら、俺は彼の首筋に視線を落とした。言わなかった。許可は取らなかった。印をつけたいとも、キスをしたいとも、何も、言わなかった。それでも、俺が口にしなくても、瞳を濡らした神崎は悟ったように急所を晒してくれて。俺からのキスを許した。拒まなかった。
 指先で触れていた、微かな脈動を感じる箇所に息を落とす。見様見真似で、慣れない動作で、ぎこちなく首筋を噛む俺の髪を寄り添うように優しく撫でてくれる神崎の手に、切なさを覚えながらも確かな安心感に包まれた。自然と蕩けて、吐息を漏らして、濡らして、跡を、つける。
 なんとなく、今日が俺の最期のような気がしている。言わなければ、明日も明後日も明明後日も、神崎と連絡を取ることはできるだろうが、言わずに閉じ込めておく方が苦しいことを知ってしまったから。好きだと伝えて、後悔なく死んでしまった方が幸せだと思わずにはいられなかった。いつか確実に死を迎えるのなら、最愛の人の好きを聞いて、心安らかに死んでしまいたい。後悔だけは、したくない。
 噛んで舐めて吸った白い首筋。濡れたそこに現れる薄い赤。いずれは消えてしまうだろうが、それはきっと俺が散ってしまってからだろう。溶けて。死んで。俺という人間を造形していた細胞が、無様に消滅した後の話。残された神崎を、深く傷つけ、苦しめる話。自分勝手な幸せを望む俺の、最低で、残酷な話。
「神崎」
 囁くような声だった。弱々しくて、情けなくて、消え入りそうな声だった。神崎。その後に続く言葉が痞える。伝えたいのに、伝えられない。もうそこまで出ているのに、崩れそうなほど脆弱な彼の目を見たら、言えなかった。壊してしまうのが怖かった。その代わりに、押し倒すように強く、力強く、神崎を抱き締める。喉が痛い。熱い。胸が痛い。苦しい。
 神崎が息を吸う。何か言葉を口にしようとして、でもそれは、形になることなく飲み込まれた。俺と同じように噛み砕く神崎は、抑えていた感情を露わにするように俺の背中に手を回した。肩に顔を埋められる。震えている手が、神崎が用意してくれた彼の服に皺を作った。余裕の感じられない行動。苦しそうに漏れる吐息のような嗚咽。
 いつも冷静なその裏で、大人しくて落ち着いていて、言葉数が極端に少ないその裏で、神崎は俺よりも悩んで、苦しんで、一人で抱えて。真面目に、真剣に、問題と向き合って。だからこそ、今、ぐらぐらと揺れている。崩れそうになっている。俺のことを想って、儚く、脆く、壊れそうになっているのだとしたら、苦しさや悲しさよりも、どうしようもない愛おしさが込み上げるのだった。
 息が震えて。声が震えて。手が震えて。体が震えて。脆弱で繊細な神崎を両手で支えながら、ずっと冷たいままの俺に縋る彼の黒髪に指を絡ませながら、俺は。神崎を。喉の奥に引っ掛かっている言葉で。何度も飲み込んだ言葉で。自らの言葉で。俺の声で。俺の声帯で。込み上げて、込み上げる、重い愛で。重い鎖で。残酷に。凄惨に。でも。丁寧に。慎重に。彼の心を。縛った。きつく。きつく。解けないように。きつく。縛りつけた。
「……好きだ、神崎」
 切なく零した、吐き出した好きに、心臓が囂しいほどに鳴り響く。言えなかった、好き。言いたかった、好き。ずっと、ずっと。好きで、好きで。神崎のことが好きで。好きで。高校を卒業してからも、ずっと、忘れられなかった。俺の心の中には、いつだって神崎がいた。
 俺がアイスじゃなければ、神崎を苦しませることなんてなかったのかもしれない。自分がジュースじゃないという確証があれば、神崎は苦しまずに済んだのかもしれない。アイスとジュースが、俺と神崎を掻き回す。アイスを呪った。呪っても、何も変わらなかった。変わらなかったから、恋に臆病になって、思うように身動きが取れなくなった。それでも俺は、後悔したくなくて。想いを伝える選択をとった。これが正解か不正解かなんて、多分、ずっと、分からないままだろう。
 嗚咽する声を漏らす神崎の手が、俺を強く抱き寄せる。寡黙でクールで、でも本当は人一倍繊細で純情な心を持つ神崎の、精一杯の抵抗のようで、反抗のようで、一種の現実逃避のようで。神崎の言葉を、神崎の声を、喉元に突きつけた大きな鎌で殺しているのは、紛れもなく俺だった。自分勝手で、自己中心的で、神崎のことを第一に考えているようで何一つ考えられていない最低な俺が、神崎の心を殺している。アイスである俺からの好きが、神崎を苦しませている。ごめん、神崎。神崎、ごめん。身勝手で。独り善がりで。ごめん。
 必死に俺に縋りつく神崎の、溶けて消えてしまいそうなほどに朧げな吐息が、震える手や体から伝わる悲痛な心の叫びが、胸に深く突き刺さる。刺さって、刺さって、苦しいくらいに深く、深く刺さって。それは俺の涙腺を緩ませた。壊した。おかしくさせた。最期まで、泣くつもりなんてなかったのに。
 唇を噛んで、押し寄せる感情の波に堪える。それでも満杯まで注がれたグラスからはみ出すように零れ落ちてしまう水滴。頬を伝う涙は、あまりにも冷たくて。俺の体温はこんなにも低いのだろうかと悲しくなった。神崎の心や体を温めたくても、これでは皮肉にも熱を奪っていくだけであることに胸を締めつけられる一方で。例え冷たくても、冷え切っていても、このまま抱いといてほしいなんて乞い願う自分もいた。
「神崎、殺して。俺は神崎の言葉で、死にたい」
 声が掠れる。声が震える。声が上擦る。泣きながら喋ることが、どうしてこれほどまでに苦しいのか。言葉を口にすることで、更に涙が溢れてくるのはどうしてなのか。本当は怖くて。怖くて怖くて、怖いのかもしれない。神崎と離れ離れになることに恐れを抱いているのかもしれない。覚悟を決めた、受け入れたと思っても、実際は、悲しくて苦しくて仕方がなかった。自分が溶けて死ぬことよりも、神崎を一人残して消滅してしまうことが。悲しい。苦しい。それでも、神崎からの好きがほしい。好きが、ほしい。
 目が、熱い。喉が、熱い。胸が、熱い。涙が、止まらない。神崎は、まだ、何も言わない。吸った息が、音にならない。全身が、震えている。込み上げる本音を我慢するように、震えている。俺が、追い詰めている。突き付けた現実で、振り翳した言葉で、追い詰めている。
 それなのに、俺は更に、今にも脆く崩れてしまいそうな神崎を、縛って縛って、俺の求める世界に引き摺り込もうとした。灰色の重い鎖で、雁字搦めにしようとした。好きだ。殺して。死にたい。それぞれ言葉の重みは違えど、込めた想いは全部同じで。俺は。本当は。全然。
「……好きじゃ、足りない」
 思考を奪われたような感覚。読み取られたような衝撃。俺の肩に顔を埋めていた神崎がそう静かに口にすると、彼は俺と目を合わせた。親指が、流れる涙を掬う。その指先すら熱く感じて、胸が締め付けられた。
 泣いてる。神崎も。秋月の涙、冷たい。神崎の指、熱い。キス、したい。うん、俺も、したい。至近距離のため、呟くような声でも成立する会話。ぶつかり合う吐息。何度も重ねた唇。神崎の形を覚えた唇。お互いに目を閉じて、優しく、軽く、触れ合わせるだけのキスをした。でもそれは、抑えられない、溢れ出す想いによって、徐々に深くなっていく。どちらからともなく舌を絡ませ、息が続かなくなるまで求め合った。全然、好きじゃ、足りない。好きなんかじゃ、足りない。神崎。神崎。俺は。神崎を。心から。
「……愛してる」
 俺の思考と、神崎の言葉が、ぼやけていた輪郭をはっきりとさせていくように、綺麗に重なった。泣きながら、緩んでしまう顔。満たされていく心。その言葉が欲しかった。ずっと、ずっと、欲しかった。好き以上に、欲しかった。愛してる。俺も、愛してる。好きの二文字よりも、その五文字の方がしっくり来るし、お互いを縛り付けるには、ちょうどいい。
 ようやく通じ合った気持ち。成就した恋。秋月、と切なげに呟かれ、頬に手を添えられた。俺も神崎の頬に触れる。指先で、触れる。その手は、その指は、両想いになったことを証明するように、神崎がジュースである事実を眼前に突きつけるように、ドロドロに溶け始めていた。痛みはない。寧ろ、幸せな死が直前まで迫っていることに、涙を流しながら緩く笑みを浮かべて見せる。上手く笑えているかは分からない。引き攣っているかもしれない。それでも俺は、泣き笑いのまま、神崎を見つめた。見つめて、今度は神崎が寝入っている時ではなく、意識がはっきりしている時に、自ら唇を重ねた。涙の味がした。
「神崎、愛してる……」
 溶けて、溶けて、溶けていく。縛って、縛って、神崎を縛って。脆弱な言葉で、残酷な言葉で、俺は神崎の心を雁字搦めにした。一生俺を好きでいて。一生俺を愛して。他のアイスを殺さないように。俺だけでいい。神崎の愛で殺されるのは。俺だけでいい。最期まで、最期の最期まで。冷え切った皮膚でも抱いといて。神崎。
 青い光の粒子のような、夜空に浮かぶ星屑のような、そんなあまりにも美しい透明な涙が、神崎の両目から零れ落ちる。神崎は、綺麗だった。まっすぐ俺を見つめてくれる澄んだ瞳も、クールな人柄の裏で垣間見えた脆弱で繊細な心も、全部、全部、綺麗だった。
 頬に添えた指先に、神崎の、星のような涙が降り注ぐ。皮肉にもその熱が溶解の後押しをするかのように、俺の体は一瞬にして溶けて。溶けて。溶けた。
 神崎が事故に遭う夢を見た時、そこで死んだはずの彼が俺を抱き締めながら放った言葉。夢の中の俺の耳には届かなかったが、今ならその声がはっきりと胸に届いた。それは、繰り返された、愛の告白で。その言葉を最後に、報われた恋に底知れない幸福を感じながら溶ける俺は、手繰り寄せていた意識を静かに手放した。
「……秋月、愛してる」



END