秋月(あきづき)って、アイス?」
「……え?」
 高校の同窓会。周りのボルテージが上がり続ける中、アルコール度数5%程の酎ハイを片手に一人で飲酒をしていたら、空いていた俺の右隣を当然のように陣取った其奴、俺が高校時代から密かに想いを寄せ続けている神崎(かんざき)が、ほろ酔い気味になっていた俺の目を覚まさせるのには十分すぎるほどの言葉を投げかけてきた。
 久しぶりの再会で突拍子もなく聞かれた疑問。え、え、と狼狽えたようにその一文字を繰り返すだけの俺を尻目に、神崎は手に持っていた酎ハイを一口飲んだ。偶然か、必然か、俺と同じ味のそれを。彼の少し浮き出た喉仏が上下する。
「アイスじゃない?」
 目にかかりそうなほどに重たい前髪を、頭を振って整えた神崎が、返事を急かすようにアイスかアイスじゃないかを再度尋ねた。酒のせいだろうか、彼の目はほんの少し熱っぽい。泥酔とまではいかないが、少々気持ちよくなっていることは窺えた。神崎のせいで酔いが覚めつつある俺は、意図せず胸を弾ませているというのに。そんな風に恋を再燃させたって、俺にとっては意味なんてないのに。
 グラスにまだ半分くらい残っている酎ハイに視線を落として、あー、えー、と曖昧な言葉を返しながら本当のことを言うべきか否か思考を巡らせる。神崎は多分、気づいている。気づいていて、確認のために聞いているんじゃないか。
 恐らくその問いは、ずっと聞きたかったこと。聞きたくても、神崎なのに、周りに遠慮なんてしなさそうな神崎なのに、俺に気を遣ってなのか、聞かなかったのだろう、聞けなかったのだろう。だから今日、大人になって、酒の力を借りて、聞いた。アイスか、アイスじゃないか。
 高校生の時、男子の中で手の大きさを比べようというしょうもないことで盛り上がったことがあった。その妙な遊びを提案した人と一緒のグループに属していたわけではないのに、男子はみんな強制的に参加させられ、何が楽しいのか一人ずつ手を合わせては大きさを比べ、小さいだの大きいだの変わらないだのと大盛り上がり。
 そんな中、俺と手を重ねた人は全員、その興奮が冷めるかのように驚き、一度は飛び退くのだった。大きな理由としては、冷たすぎる、から。漏れなく神崎も、他の人みたいに大袈裟に驚きはしなかったが、冷たいと独り言のように口にしていた。対して俺は、神崎の手も含め、重ね合わせた全員の手のひらが一人残らず温かったことをよく覚えている。それが、自分の手が、いや、体温そのものが、他の人より極端に低いことの証明となった。自覚した瞬間でもあった。自分が、特殊体質であるアイスだと。それと同時に、もし神崎がジュースだったらどうしようという不安にも似た恐怖がむくむくと膨れ上がって。身動きが取れなくなった。
 小学生や中学生のうちにすることを推奨されているアイス検査を、どうせ自分は一般人で、アイスでもジュースでもないだろうという先入観のような理由で受けなかった。手が冷たくても、ただの冷え性で済ませていたし、日常生活にも何の不便もなかったから、アイスであることを自覚することなく気づけば俺は高校生になっていた。
 クラスの男子と手のひら合わせをしたことで、自分の低体温は冷え性とは違うんじゃないかと思い直し、親に相談してアイス検査を受けてみれば、結果は陽性。やっぱりな、と苦笑する俺の横で、親は口を押さえショックを受けていた。
 会話もないまま帰宅して、真剣な顔をした親に忠告される。絶対にジュースには惹かれるな、付き合うな、ジュースと恋を成就させるな。分かっている。分かってはいるが、ジュースは自分がジュースであるという自覚がない場合がほとんどで。恋が実って、アイスが、溶けて、死ぬ、ことで、初めて自分の特殊体質を知る。神崎は、ジュースなのか。ジュースじゃないのか。両想いになって、俺が死ぬか死なないかで、彼のそれが分かるのだ。アイスとジュースは惹かれ合う運命にあるため、神崎がジュースである可能性は極めて高かった。
 恋が実った瞬間、死ぬんじゃないかと恐れ、離れ離れになるんじゃないかと怯え、未だに一歩踏み出せずにいる俺は、ずるずると神崎への想いを引きずっていた。誰とも付き合ったことがない。誰とも唇を触れ合わせたことがない。誰とも体を重ねたことがない。神崎のために全ての初めてを残しているような俺に、今更この恋を諦めることなんてできなかった。神崎がジュースじゃないという確証があれば、情けなく恋に臆病になることもないのに。
 返事を曖昧にしたまま過去に思いを馳せ、悶々とする気持ちを覆い隠すように酎ハイを口に含もうとした時、あーきーづーきー、と若干呂律の回っていないふわふわした声が聞こえたと思ったら、左隣、神崎がいる方の反対側、ほぼ真横から押し倒されそうなほどの勢いで誰かに抱きつかれた。あ、と焦燥感にも似た声が咄嗟に出て、瞬時に変化した目の前の光景にくらりと眩暈がする。血の気が引く。グラスに残っていた酎ハイが、抱きつかれた衝撃で外へ逃げ出し、隣にいた神崎の服を濡らしてしまったのだ。
「ごめ、かんざ」
「あーやっぱり秋月体温低くて今の俺にはちょうど良すぎるんだけど」
 完全に出来上がっている同級生に謝罪の言葉を遮られた上に、なぜか首筋の匂いを嗅がれていて。気持ちいい、いい匂いする、などと酔っているとは言えパーソナルスペースにずかずかと踏み込んでくる彼を、ごめん神崎、タオル、俺のバッグに、と言いながら大慌てで引き離そうとするも、これがビクともしなかった。
 酒で調子に乗っている同級生は、秋月冷たい、腰細い、折れそう、女みたい、でも俺と同じのちゃんとあるんだよな、考えただけで興奮する。好き放題言いながらどさくさに紛れて服の中に手を入れてきた。体温が低いせいで熱く感じる手で横腹を撫でられ、くすぐったさに体がビクッと反応する。視線の先には神崎がいるのに。感情の読み取れない目で、俺に濡らされた服を拭きもせずにこちらを見ているのに。俺は誰に何をされて。
 手のひら全体を肌に這わせるように触れてくる酔っ払いは、俺をがっしりと捕まえたまま首筋を舌先でほんの少し、ちょんと突く程度に軽く触れた。その行動に、あ、な、何、して、と動揺するように反応してしまったら、それが引き金となってしまったのか、酔った其奴は本気になるように力任せに俺を押し倒し、怖いほどにギラついた目を向けて跨った。
「おい、あそこなんかしてんぞ」
「秋月酔っ払いに襲われてんだけどウケる」
「ねー、俺らも混ぜて」
「みんな飲み過ぎだから」
「あんたも飲み過ぎなんだわ」
「私は酔ってないからー」
「酔ってる人ほどそういうこと言うんだよ」
「秋月、混ぜて」
「馬鹿、何Pすんだよ」
 ワハハ、ギャハハ。男も女も酒に酔って正常な判断ができなくなっている。頭に響くほど騒がしい声や、床を踏みしめて近づいてくる足音が、救いのないような状況を生み出していて。徐々に近づいてくる顔に、囃し立てて煽る声に、混ぜてと言った同級生の俺を押さえつける手に、冷たい冷たいとへらへらしながら触れてくるその手に、神崎以外の誰か、暴走する同級生に襲われかけていることに、力だけでなく数も負けているために全く抵抗できない事実に、瞬く間に冷静さを失いパニックになってしまった。神崎。神崎。神崎。助けてほしい。助けて。神崎。神崎は。
 混乱や動揺で小刻みに震えてしまう瞳で神崎を見やると、彼は冷めた眼差しで俺を、いや、酒に犯されている同級生を見下ろしていた。彼は俺の視線に気づくことなく濡れた服をそのままに立ち上がると、俺との距離を縮める同級生の無防備な脇腹を蹴り飛ばした。遠慮のない堂々とした暴力に目を瞬かせる周りのリアクションを他所に、秋月、来て、と神崎は突然の治安の悪さに困惑気味になっている俺を起き上がらせ手を引いた。大量の酒が入った同級生を、つい先程自分が蹴った同級生を完全に無視して。引っ張られるようにして立ち上がった俺を導き、空いた片手で自分と俺の荷物を持ち去りながら、神崎は俺を連れ出した。俺の手を掴む神崎の手は、冷え切った俺の皮膚を、ゆっくりと、丁寧に、時間をかけて、温めてくれているかのようだった。