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 放課後、職員室で宮下のお説教を三十分ほど聞き流した後、私は一人、周囲を見渡しながら渡り廊下を歩く。誰もいない。けれど五月蠅い。四方からアブラゼミが鳴いているからだ。アブラゼミは幼虫の頃、六年くらいを暗い地中で過ごし、成虫になったら一週間で死ぬらしい。つまり彼らが陽の光を浴びて、外の世界に出られるのは彼らの一生の中でたった0.3パーセントの期間だけなのだ。その間、ああして、「交尾がしたい、セックスがしたい」と一日中、相手を求めて鳴く。そう思うと彼らの声は鳴いているというより、泣いてるように思う。私は額の汗を拭いながら、校舎のそばに立つ常緑樹を見上げて、泣いてるアブラゼミに向かって、ぽつりとこぼす。

「早くセックスできるといいね」
「加藤さん?」

 背後から、いきなり声がした。しまった、と思ったがもう遅い。多分聞かれた。さすがの私もどんな顔をしていいのか分からない。だから、振り返らずに、後ろのクラスメイトの誰かだと思われる男子に背を向けたまま「誰?」と感情を押し殺した声で尋ねた。

「緒方だけど」
「ああ、つむじが変な緒方くんね」

 声のトーンからすると、どうやらさっきの独り言は聞かれなかったらしい。私は胸を撫で下ろすと、振り返って微笑する。微笑といっても唇の端っこを微かに歪めた、嘲笑っぽい馬鹿にした笑い方だ。私が初対面の相手や、気に入らない連中に向けるデフォルト設定の表情。

「え? 僕のつむじって変なのか?」
「ウソだよ、フツーだよ」
「ほら、これ」

 緒方という名の男子は、私の方に向かって二つの紙袋を差し出した。私が昼間、教科書を受け取った時にもらったものだ。彼の腕の動きから中身がずっしりとつまっていることが分かった。

「何で持ってきたの? 今から自分で整理するつもりだったのに」
「それだと、もう手遅れになってた」
「どういうこと?」
「クラスの連中が、破って捨てようとしてたよ」

 緒方の話をそこまで聞いて、私は、ああと納得した。私がいない間に早速陰湿なイジメが始まったのか。馬鹿だ。子供だ。私が教科書を失ったくらいでショックを受けるとでも思っているのだろうか。こんなもの学校に言ってまたもらい直すか、もしくは買えばいいだけだ。むしろ「教科書がないから勉強できない」と言い訳ができて嬉しいくらいだ。