目の前の光景に混乱して、僕は立ちつくした。わけがわからなかった。
 湿った風が吹きつけ、僕の前髪を揺らした。

 春野は足が遅かった。だからすぐに追いつけると思って、駆けだした瞬間はそこまで焦っていなかった。
 けれど今、ぞっとするほど冷たい焦燥が、いっきに足元から這い上がってきた。
 遠くの車道から聞こえた車の音が、急に訪れた静寂を際立たせ、いっそう身体の芯が冷える。

 僕はあわててポケットからスマホを取り出すと、メッセージアプリを開いた。そうしていちばん上にあるはずの春野とのトーク画面をタップしようとして、息をのんだ。
 画面に触れようとした指先から、すうっと熱が引く。

 そこに、見慣れた中庭のアイコンが、なかった。
 茫然としながら、僕は震える指先で画面をスワイプする。トーク画面をいちばん下まで確認したあとは、友だちリストを開いた。隅から隅まで何度も眺めたけれど、春野の名前はどこにも見つからなかった。

 わけがわからず、僕はまたトーク画面に戻る。
 春野がアカウントを消したのだとしても、《メンバーがいません》という表示になるだけで、トークは残るはずだった。実際、下のほうには、そういった表示になっているトークがいくつかある。
 けれど春野とのトークは、どこにもない。昨日の夜までやり取りを交わしていたはずなのに。消した覚えもないのに、消えている。
 まるで、彼女と交わしたやり取りそのものが、なかったことみたいに。

 ――なんだ、これ。
 スマホを握る手が、震えだす。今、目の前で起ころうとしていることが信じられなかった。
 全身を巡る血液が、急速に温度を下げる。理解なんて少しもできていないのに、ぞっとするほどの嫌な予感だけは、絶えず胸を満たしていた。

 たまらなくなって、僕は駆けだした。駅まで、ほとんど足を止めずに走った。
 春野は、そこにもいなかった。
 駅にいないのなら彼女はまだこの街にいる可能性が高いのだろうけれど、僕はこの街をどんなに探しても、彼女を見つけられる気がしなかった。だから電車に乗って、最寄り駅まで戻った。ドアの近くに立ったまま、電車の中でも未練がましくスマホを眺めたけれど、春野の名前はやはり見つからなかった。