紫淵との話し合いの末、翌日はこれまで通りに過ごす手筈になった。
 五人の侍女たちは今日も変わらず茶菓子作りに腕を奮ってくれている。
 毎度のことだが、茶会で残った茶菓子は紅玉宮の十五人の女官たちに下げられ、彼女たちのおやつや夜食になる。
 呪毒とは、もとを辿ると呪妖であり呪靄だ。
 悪意を成就させるための精製された毒である。
 そのため木蘭に出された茶菓子に呪毒が宿っていても、他者の唇に触れた時点で霧散して発生源へと還っていく。女官たちにはなんの健康被害も出ないのだ。
 しかし『白蛇の娘』である苺苺ばかりは例外だった。『龍血の銘々皿』を通さずに食べた呪毒に、肉体は正しく反応する。
(けれども新たに目覚めた治癒の力で、呪毒で傷つけられた内臓もすぐに治ります。ふっふっふ、霊力が尽きぬ限りすこぶる元気なわたくしです)
 そんなわけで、紅玉宮ではおやつが豪華な日が続いている。
 年頃の女官たちは皆嬉しそうにはしゃいでいて、休憩時間も楽しそうだ。
 紅玉宮に集められて約三ヶ月、それぞれのことを知り始めた女官たちの仲も平和に深まるというものである。
(――紅玉宮に集まる以前から深かった仲を除いて、ですが)
 苺苺は昨晩刺していた紫木蓮が咲き誇る『白蛇玄鳥神鹿図』の円扇でそっと口元を隠し、給仕の支度を始めた春燕(チュンエン)を視線だけでひっそりとうかがう。
 大皿に上品に盛り付けられた茶菓子を若麗(ジャクレイ)が円卓に並べて、怡君(イージュン)が小さな取り皿をふたりの妃の前にしずしずと置いた。五色の陶製皿だ。五行にちなんだ色合いを使って邪を祓うという縁起物である。
「木蘭様。数刻前に宵世(ショウセ)様がいらっしゃいまして、次の選妃姫(シェンフェイジェン)に関する通達がありました。それから先ほど徳姫様の女官が来られて、徳姫様主催のお茶会を明日開催すると」
 筆頭女官の若麗が言う。
「徳姫は自分主催の茶会を誰よりも早く通達したかったんだな」
「そのようですね。お茶会の方は、招待状には紅玉宮からは貴姫様だけで、水星宮の白蛇妃様のお名はありませんでした」
 それで、と若麗が申し訳なさそうに言い淀む。
 けれど苺苺は「お茶会のお呼ばれがないのはいつものことですので、お気にならさずに。刺繍を刺しつつ、楽しくお留守番いたいますわ」と答えた。
「……宵世はなんと?」
「はい。七日後に行われる選妃姫の試験内容は、『端午節(たんごせつ)の香袋』だそうです」
 端午節は燐華(リンファ)国五大節句のひとつだ。
 国中のいたるところで無病息災を祈る龍舟嘉年華(まつり)が行われ、おこわを笹の葉で巻いた粽子(ちまき)艾饃饃(よもぎもち)などを食べて、子孫繁栄や疫病退散を願う。
 端午節に作る香袋は『香包(シャンパオ)』と呼ばれていて、五行に基づいた五色糸を使って刺繍し、中には清涼感のある香りがする(よもぎ)や生薬を詰めて作る。
 こちらも無病息災や疫病退散、そしてその末にある子孫繁栄を願って作られ、香包は主に首から下げて使われる。昔は母が子のために手作りするものだったが、今ではその風習も変化していて、親しい間柄で贈り合うことも多い。
「七日間で製作し、選妃姫当日に皇太子殿下へ披露するようにとの仰せでした」
「やはりそうか。過去の選妃姫では一度目が詩歌、二度目が端午節の香袋の腕前を競うことが多かったというから、驚きはないが」
 選妃姫の題目に一喜一憂する妃嬪が多い中、顔色ひとつ変えずに言う幼い木蘭に、侍女たちは賑やかになる。
「まあ、さすがは木蘭様」
「貴姫様として必要な教養をしっかりお勉強なされていて感心致します」
「木蘭娘娘、偉い偉いなのです」
「ふふん、妾にとっては当然の知識だ」
 木蘭は背筋を伸ばして胸を張り、紅玉宮の幼い主人らしく応じる。
 苺苺はそんな様子を見て、紅珊瑚の瞳に感動の涙を浮かべる。
(あああ、得意満面な様子の木蘭様……! 金銀財宝では買えない尊さ、ここにあり……ッ)
 頬を染め上げて眦を下げる苺苺を見て、『本当は、試験内容を決めているのは自分なんだが……』と木蘭はいたたまれず目をそらした。
「あー……。妾は詩歌には自信があったが、刺繍は苦手だ。その点、苺苺は刺繍の名手。ぬかりはないな」
「ふふふっ、はい。『端午節の香袋』とは腕が鳴ります」
 苺苺は早速頭の中に図案を広げる。
「領地をあげて香包製作をしている州もあると聞きます。他にも、粽子(ちまき)型や瓢箪(ひょうたん)型などの福寿にちなんだ意匠だけでなく、毒を持った蟲さんたちを刺繍する五毒図案(ごどくずあん)が人気を呼んでいる地域もあるとか」
 毒を以て毒を制するという意味を持つ五毒図案は、苺苺にとっては手に取るのも難しい図案だが、これまた巷で大人気なのだという。
(妃たちがどのような立場で、どのような意味合いを持たせた香包を製作するのか……。香包の完成度や刺繍の腕前だけでなく、持たせる意味合いも含めて試験されるのでしょう)
「わたくしも、あっと驚くような香包を考えなくてはなりませんねっ。紅玉宮に置いていただいている以上、木蘭様に恥じぬよう立派な働きぶりをお見せいたしませんと!」
「本当よ。あんたのせいで紅玉宮が落ちぶれたらタダじゃおかないんだから! ……頑張ってよね!」
「もちろんです、春燕さん」
「白蛇娘娘なら『百花瓏玉(ひゃっかろうぎょく)』を賜われるなのです」
「ちょっと! そこまでは望んでないわよ! それは木蘭様のものなんだからっ」
 百花瓏玉とは、選妃姫で皇太子殿下から妃に下賜される褒美だ。
 その名の通り百花の美しさを持つ最高級の宝飾品で、指輪、腕輪、首飾り、額飾り、(こうがい)(かんざし)があって、それぞれに金、銀、白金、そして至極の宝石をあしらっていると聞く。
 選妃姫の最終選抜ではこれらで着飾り、その美を競うとか。
 つまり、それまでに賜った『百花瓏玉』の希少性で妃嬪たちの力関係はすでに決すると言ってもいい。
 一回目の選妃姫では、妃嬪たちには階級を表す官名と宝石の名を冠した宮が与えられた。
 二回目の今回は、八人の妃の誰かひとりに百花瓏玉のひとつが褒賞として下賜されるはずだそうだ。
「木蘭娘娘なら『鴿血紅寶石(ピジョンブラッド)蓮花(れんか)(しん)』、白蛇娘娘なら『(しろ)翡翠(ひすい)花雫(はなしずくの)額飾(ひたいかざり)』が似合いそうだと言っていたのです」
「言ってないったら!」
 春燕と鈴鹿のふたりのやりとりに、クスクスと鈴を転がす笑い声がいたるところから漏れる。
 いつも自室で繰り広げられるやりとりがここでも見られるとは思わず、苺苺も「ふふっ」と思わず頬を綻ばせた。
「お二人とも、とっても詳しいのですねぇ〜」
 苺苺の周囲にぽけぽけと花が飛んでいる幻覚を見た春燕は、「ふんっ、こんなの常識よ」と顔をそむける。
「むしろこれくらい知ってなきゃ、皇太子宮の上級女官になんてなれないんだから」
「『百花瓏玉』の位と階級を事細かに示す、『百花瓏玉目録』があるのです」
 鈴鹿の言葉に、木蘭が鷹揚に頷く。
「皇帝宮の宮女を選ぶ秀女選抜試験でも、皇太子宮の宮女を選ぶ女官登用試験でも、『百花瓏玉目録』に関する試験がある。目録の写しが配布され、正式名称と宝石の種類、それから過去にどのような妃嬪たちが賜ったかという歴史を学ぶ筆記試験が実施されるんだ」
「へええ、そうなのですね」
「上級女官は妃嬪に最も近い存在だ。『百花瓏玉』を知らなくては、自らの主人をそれに相応しく着飾ることも、たしなめることもできないからな」
「なるほど、なるほど。勉強になります」
 木蘭の説明に苺苺が大きく頷くと、木蘭は幼妃に似合わぬ呆れた表情で頭を抱える。
「……苺苺、水星宮にもあっただろう? 『百花瓏玉目録』の写しが」
「いいえ? あったのは『王都妖怪大事典』でしたね?」
「は? 『王都妖怪大事典』?」
 木蘭が「意味がわからない」と突っ込んだのと同時に、茶会の準備を進めている侍女たちもポカンとする。
「なにが書いてあったか聞くのは負けた気がするが、なにが書いてあったか聞いてもいいか」
「ええ。なんでも、昔々に王都に現れたあやかしさんたちを事細かにまとめた大辞典だとか」
「ほう、それで?」
「黒墨で描かれた写実的な画風が猛々しく、夜はちょっぴり眠れなくなりましたが……。あやかしさん達について、とても勉強になりましたわ! ところどころ虫さんも載っていたので、冗談みたいな読み物なのかもしれませんけれど」
 そう語った苺苺は探偵のようにキリリと表情を引き締めて、指先をぴんと一本立てる。
「なんと王都には、悪鬼と並んで最恐と呼ばれる最高位のあやかし〝饕餮(とうてつ)〟も出たそうです……! 『王都妖怪大辞典』の解説によると、今もまだ王都にいるかもしれないとか。真相は謎のままです……!」
「そ、そうか」
 それって宵世だな? とは言えない木蘭であった。
(ということは、水星宮に『百花瓏玉目録』を配布される係の方が、間違えて『王都妖怪大辞典』を置いていかれたのでしょうね。おかげさまで猫魈(ねこしょう)様のお姿やお名前も勉強できましたので、ありがたかったです)
 と、苺苺と木蘭の話がひと段落したところで。
 筆頭女官の若麗が侍女たちに目配せをする。茶会開始の合図だ。
 上級女官五人はそれぞれの位置について、今日も時間を惜しまずに手作りした茶菓子をしずしずとつぎ分け始める。
「木蘭様、苺苺様。本日はお茶菓子は三種の餡の煎堆(揚げ団子)、それから艾饃饃(よもぎもち)をご用意いたしました」
 白胡麻がまぶしてある丸い煎堆の中は、落花生(ピーナツ)餡、紅小豆餡、黒胡麻餡だ。
 発酵させた米粉と小麦粉から皮を作り、餡も全て手作りしたそうだ。
 端午の節句の訪れを一足早く知らせる艾饃饃は、昨日のうちに夕露時の御花園で摘んだ春蓬を使ったらしい。朝でなく夕方に収穫するのは、日中に陽気をたっぷり浴びて糖分を増やした葉は甘くなるからだ。
 みずみずしい翡翠色に蒸しあがっている小ぶりの姿は、それこそ『百花瓏玉』と例えたくなる。
「こちらの艾饃饃(よもぎもち)は珍しい形をしていますね? ひとつは木蓮の意匠ですが、もうひとつはまさか、苺の花でしょうか……?」
「はい。こちら私が型から作らせていただきました」
 女官の中で一番背の高い、いかにも先輩という雰囲気の怡君が腰を曲げ、少しはにかみながら言う。
「怡君さんが?」
「はい。実は私、木彫りが趣味なのです。普段は観音菩薩様などを彫っているのですが、木蘭様と苺苺様のお泊まり会延長が決まった時から、なにかおふたりの記念になるようなものを作れないかと考えていて……」
 茶菓子の型にしようと思い至り、休憩時間に図案を考えて彫刻刀で木を彫って作ったらしい。
「すごいです、怡君さん! ありがとうございます」
「うむ。妾も気に入ったぞ」
「ありがたきお言葉でございます」
 怡君が下がると、美雀がふたりの妃の前にそれぞれ空の銀杯を置く。
「本日のお茶は、春燕と一緒に考案した食譜(レシピ)で作った水果茶(フルーツティー)です」
蘆薈檸檬(アロエレモン)と野苺の薬草茶を合わせて、目の前でお作りいたします」
(野苺の薬草茶! あの時、水星宮で若麗様にお渡ししたものですね)
 玻璃(はり)の水壺には蘆薈(アロエ)と檸檬の果肉が入った果汁蜜(シロップ)が入っている。まずはそれを、春燕がふたりの銀杯にそれぞれ注いだ。
 とろとろと注がれた果汁蜜から、清涼感のある香りがふわりと漂い始める。
 薬草茶が入った茶壺を持った美雀が、木蘭の銀杯にそれを注ぐ。
「そちらの匙でよく混ぜてお飲みください」
 次に苺苺の隣にやってきた。
 茶壺から銀杯にとぽとぽと――。
 その彼女の周囲を、ひらひらと黒い胡蝶が飛んでいる。誰にも見えないはずの呪妖の姿を、苺苺と、木蘭だけは捉えていた。
「いただこうか」
 木蘭が銀杯を手にする。それから不自然にならぬよう、互いの視線を合わせた。
 色鮮やかな食器や茶菓子でいっぱいになった朱塗りの円卓の隅に、苺苺がそっと置いた朱塗りの小皿の上はまだ空だ。それを二人で確認する。……だが。
「飲んではいけません、木蘭様。そちらには――〝毒〟が含まれております」
 苺苺は毅然とした態度で言い放った。
 真珠色のけぶるような睫毛の下、紅珊瑚の瞳がすっと温度をなくす。
「ど、毒なんて」
「そんなまさか……っ」
 先ほどまでの紅玉宮に似つかわしくない言葉に、女官たちはハッと息をのんで動きを止めた。
 木蘭は銀杯をくるりと回して、内容物を確かめる。
「……苺苺、銀杯にそれらしき痕跡はない。毒とはいったいどういうことだ?」
「銀杯には反応しない毒が使用されております。野苺の葉の毒です。よく乾燥させずに茶葉を作ると、腐敗の過程で有毒になるのです」
「なんだと?」
「薬草茶の水色(すいしょく)をご覧ください」
 銀杯の中身は比重の関係で二層になっている。下は薄黄色、上は黒茶のような色だ。
「こちら黒茶のように濃くしっかりと出ておりますが、通常の野苺の葉茶は黄茶。君山銀針(くんざんぎんしん)を思わせる色合いをしているはずです。そして香りも青く、清涼ではありません。それをごまかすために蘆薈檸檬の果汁蜜を入れたのでしょうが、」
 苺苺は「ふふふっ」と絹扇で口元を隠し、この場でただひとり呪妖の中に立つ犯人に笑う。
「わたくしはごまかせません。……ねえ、美雀さん?」
(幼い頃に飲んだあの、あの猛毒茶の匂いと味は忘れていません! 嘔吐が止まらず、お腹を下して寒気の中で震え、死の淵を見たあの日……! お兄様が助けてくれていなかったら今頃どうなっていたか。ああああ、思い出すだけで感情がごっそり抜け落ちます……っ! けれど今は木蘭様に猛毒茶を飲ませようとした犯人の前。ここは無理やりにでも笑顔を作り余裕を保ちませんと! 笑顔です、笑顔っ!)
 苺苺の赤い唇が弧を描いた瞬間。
 その場にいるすべての人間は息をのみ、胸の奥底から湧き上がる畏怖から微動だにできなくなった。
 白き大蛇と生贄花嫁の異類婚姻によって生まれた――『白蛇の娘』。
 その、この世のものとは思えぬぞっとするほどの禁忌の美貌が、美雀を見据える。
 先ほどまで少女らしい可憐な笑みを浮かべていた美雀は、その禁忌の美貌に直視され、恐怖のあまり青ざめてガタガタと震え出した。
「白蛇妃様? わ、私には、白蛇妃様がなにをおっしゃっているのか、わかりません……」
 彼女の周囲をひらひらと舞っていた呪妖が、途端にぶわりと数を増す。
「茶葉は厨房にある、刺繍袋に入っていたものを使いました。白蛇妃様のお作りになった茶葉です。見知らぬ茶葉だったので、量はたくさん使ってしまったかもしれませんが……。けれどそれだけで、私は無実ですわ……!!」
「おかしいですねぇ。わたくしは確かに野苺の葉茶をお贈り致しましたが、しっかりと乾燥させ、薬草茶として人体に良い影響を与える状態にしたものだけを吟味しておりますわ。それに黒茶になるほどの量も差し上げておりませんでした」
 今もひらひらと飛ぶ黒い胡蝶をまとっているのは、感情が乱れるほどの悪意を抱いているからだ。
 昨夜の呪妖の光は、美雀と春燕の部屋から()確認されている。
 白澤の八花鏡を使い異能を行使した時、呪妖は美雀のそばに還り、だからこそあの悲鳴をあげたはずだ。
 その件に関しては、すでに紫淵(シエン)に報告済みである。――もちろん、()()()()()()()()()()()()()()
「……美雀さん。わたくしの野苺ちゃんを(はさみ)で切ったのは、あなたですね?」
 苺苺が静かにそう告げると、美雀が大粒の涙を浮かべる。
 彼女の手から滑り落ちた茶壺が床で跳ね、パリンッ! と部屋の空気をさらに凍らせる音を立てて割れる。茶壺の中から茶葉が飛び散った。
 それはゆうに十人分以上の量に相当するほどの茶葉だった。
「……やはり。よく乾燥させずにわざと有毒の状態にした茶葉ですね。こんなにたくさんの葉で抽出したお茶ですから、きっとひとくちでお手洗いに駆け込むことになりますわ! 一杯飲んだら死の淵です!!!!」
 苺苺は毅然と美雀を睨みつける。
 美雀は悲痛そうに顔をくしゃくしゃにすると、「――春燕ですッ!」と泣き叫びながら崩れ落ちた。
「毒茶を淹れた犯人は春燕です! この食譜は、春燕が考えたものなんです!」
「な、なにを言ってるの美雀……!? あなたが最初に『白蛇妃様に喜んでもらうお茶にしよう』って提案してたから、だから、私は――!」
 春燕が驚愕し顔を青ざめる。
「春燕はいつも白蛇妃様の悪口を言っていました……っ。出て行ってほしいっ、不吉だって。白蛇妃様の野苺だって、白蛇妃様付きの春燕だから盗めましたっ! 昨日、(よもぎ)を摘む時にもいっぱい摘んできていて……っ」
 美雀は頬を真っ赤にしながら、一生懸命に叫び、大粒の涙をこぼす。
「私は……ぐすっ、……何度も止めたんです! だけど、春燕は紅玉宮から白蛇妃様を追い出すために……ッ!!」
「は、はあ!? ちょっと、でたらめ言わないで!」
「木蘭様! 春燕は白蛇妃付きにした木蘭様を逆恨みしていました、それで木蘭様の銀杯にまで……! ううっ、ぐすっ、私が春燕を止めていたのは、紅玉宮の女官全員が証人です!」
 涙で目を腫らした美雀が泣き崩れた姿のまま、冷静に事の成り行きを観察していた木蘭を見上げる。美雀はそのまま膝立ちで駆け寄り、幼妃の小さな膝に縋った。
姐姐(ジェジェ)が、『寝台の下に腐敗した茶葉を隠してるのを黙っててほしい』って言ってたけれど、私……っ。私もう、姐姐の大きすぎる罪を隠し通せないわ……っ!」
 ポロポロと大粒の涙をこぼしながら春燕を仰ぎ、美雀はそう堂々と叫んだ。
 ……まるで悲劇の少女(ヒロイン)だな。
 木蘭は幼い顔に似つかわしいほど冷めきった表情で、まるで蛆虫でも見るかのような視線を美雀に向けた。
 心底軽蔑しきった表情をして主人に気づかぬ美雀は、まだ膝に泣きすがっている。
 春燕はふつふつと湧き上がる怒りのせいでぶるぶると震えながら、一歩踏み出した。
「隠してなんかない! いい加減にでたらめ言うのはやめて!」
「うっ、ぐすっ……私が白蛇妃様に疑われるように、わざと茶壺(ちゃふう)を持たせたんでしょう? 姐姐はいつも、木蘭様付きになった私を妬んでいたものね……っ。それで犯人に仕立て上げて、白蛇妃様と一緒に追い出すつもりだったんだわ! そうやって、幼い頃からいつも、姐姐は私に意地悪をして虐げる……っ」
 (らち)が明かないな。
「……若麗(ジャクレイ)
「はい」
 木蘭は呪妖が次々に湧き出す美雀から視線を外すと、硬直している怡君と鈴鹿の隣に並んで、神妙な顔をして事態を見守っていた筆頭女官に命じる。
「今すぐここへ東宮補佐官を呼べ」
「御意」
 完璧な礼をとった筆頭女官が颯爽と応接間を退出し、皇太子付きの筆頭宦官を呼ぶために紅玉宮を出て行く。
 それからすぐに宵世と皇太子宮の警備請け負う宦官が到着し、宿舎にある春燕と美雀の部屋が改められた。
 宦官たちが、湿り気のある水盆に入った大量の腐った野苺の葉を持って、この部屋に入ってくる。それから土のついた鋏、蓋つきの籠の中で衰弱死した野兎。
「ひいっ!」
「なんとむごいことを……っ!!」
 女官たちが顔を青ざめ小さく悲鳴をあげ、苺苺は悲痛に満ちた表情で口元を覆う。
 声をあげなかったのは木蘭くらいだ。
 木蘭は指を顎先に当て考え込みながら、それらの品を改める。
 鋏に付着しているのは栄養のないその辺の土ではなく、御花園の腐葉土だ。水盆の湿り方から見ても、毒素を含ませるため意図的に野苺の葉を大量腐敗させたのは間違いないだろう。
 皇太子宮に上がっていた盗難報告書に野兎があったな。
 蓋つきの箱も目撃情報と一致している。
 極めつけに、彼女を慕うように飛び回る黒い胡蝶。……決まりだな。
 木蘭は侮蔑を含んだ笑みを浮かべそうになるのを抑え、大袖に埋もれた両の指先でちょこんと口元を隠す。
「証拠品は以上です。すべて春燕の寝台の下から出てきました」
 墨をこぼしたような杏眼を、宵世が春燕に向ける。
 動かぬ証拠を前に、集まってきた紅玉宮の女官や宦官たちは誰もが黙したまま思っていた。『春燕が犯人だろう』と。
「そんな……ッ。東宮補佐官様、私じゃありません! 信じてください!」
「そうですよ、宵世様! 春燕さんではありません!」
 四面楚歌の春燕をかばうために、苺苺も負けじと声を張る。
 春燕はハッと目を見開き、信じられないものでも見る顔で、自分を庇った苺苺を見た。
「春燕さんの言葉は警戒心から生まれるもので、わたくしへの悪意がありません。春燕さんはなんだかんだ言って、わたくしを慕ってくれています……!」
(どんなことを口にしていてもどなたの周りにも呪靄(じゅあい)が生じず、今だってこんなに混乱している状況ですのに呪妖を宿してもいませんッ。そして、なにより――木蘭様を推している方に、悪人はいないのですわ!! 木蘭様推しのひとりとして、わたくしが春燕さんを守らなくてはっ)
「わたくしには春燕さんの心の清らかさがわかるのです!」
 力説した苺苺を心底気だるげに一瞥した宵世は、抑揚のない声で「引っ捕らえよ」と冷たく宦官たちに命じた。