クリスティーナお嬢様の従者二号になれたはいいが、奴隷であった俺の身体は限界寸前だった。
 そのためお嬢様からまず言いつけられたのは「しっかり寝てしっかり食べ体力を戻す」というご命令である。

「ひまだ」

 従者となって二日目、さっそく俺は暇を持て余していた。

 実は昨日、従者になるという話のあと、俺はいつの間にか意識を失くしてしまった。
 今朝になってお嬢様に平謝りをしたが、体が万全ではないため少し会話をしただけでも気疲れしてしまったのだろうとクリスティーナお嬢様は笑っていた。

 今の俺ってどれだけひ弱なんだよ。
 まあ、このマッチ棒みたいに細っこい手首を見れば一目瞭然だけど。
 そういうことなので、あと数日は食っちゃ寝生活をしろというのがお嬢様からのお達しだ。

「ううん、ねむれない」

 クリアが運んできてくれた朝食を摂り、数時間の仮眠を挟んだため、すっかり目が冴えてしまった。
 そのうち睡魔も訪れるだろうと柔らかな枕に頭を預けるものの、一向に眠れない。

 こういうのって瞼を閉じているだけでも効果があるっていうし、じっとしておこう。その間に考え事もできる。


 現段階で疑問点を出していくと、こんな感じだ。

 まず俺は、前世の記憶がある。
 そして前世に読んでいた恋愛ファンタジー小説『マジカル・ハーツ』の世界に転生をした。
 小説の世界に転生したと確証を得る今のところの理由は、クリスティーナ・エムロイディーテと、クリアの存在。
 小説にはこの二人が登場キャラクターとして作中に現れていたため、そうなのではないかと考える。

 次に、この世界の俺は貴族だったが、家が没落後に奴隷となった。
 奴隷となる前の記憶は覚えていない。この理由について考えられるのは、前世の記憶を思い出した際の衝撃で記憶の一部が飛んだということ。
 記憶の欠如が一時的なのか、それとも永久的なのかはまだ分からない。

 そんな作中に登場するクリスティーナ・エムロイディーテの従者二号となったが、未来に起こり得る事態を彼女に伝えるかは迷いどころだ。
 本当にこの世界が小説どおりならば、クリスティーナお嬢様の体内には闇の精霊に潜んでいるということになる。

 ……というか、おそらく百パーセントで体内に居座っていやがる。
 クリスティーナお嬢様の髪と瞳の色。あれは闇の精霊に憑かれているという証拠。
 鮮やかなアメジストに黒いインクを一滴垂らしたような髪と瞳は、エムロイディーテ侯爵家の人間の毛色とは異なる。
 あれは闇の精霊が体内に宿った影響が色濃く出てしまっているのだ。

 兄と姉は赤系統の父親の瞳の色と、蜂蜜色の母親の髪の色を譲り受けているのだが、クリスティーナお嬢様は当てはまらない。
 だからクリスティーナお嬢様は、小説の中で『呪いの子』と呼ばれ、また酷いときは不義の子と陰で噂されていたらしい。

 だが、あくまでもクリスティーナお嬢様は登場キャラの一人で主人公ではないので、俺の知っている範囲にも限界がある。
 短編のスピンオフもすべてが語られていたわけじゃなかったからなぁ。あとは読者のご想像にお任せしますなんて都合のいいところもあったし、困った。

 だからこそ、こんな状態で先のことや、『マジカル・ハーツ』のことをクリスティーナお嬢様に話した場合、どうなるのかが俺には全く想像できない。

 すぐに伝えてしまうのは時期尚早な気がする。
 まずは自分の可能な範囲で闇の精霊についての情報を集めよう。
 もしかすると、対策が錬れるかもしれない。

「そのためにも、体力、つける」

 体がガラクタでは行動すら起こせない。
 俺は回復回復回復、と心の中で念じながら再び瞼を下ろした。


 夕食の時間になると、従者一号ことクリアがまた食事を持ってきてくれた。

「ありがとう、ございもす」
「もすではない、ますだ。今のうちに直さなければ癖になる」
「ます」

 自分では言っているつもりなんだが、難しい。
 ピシャリと指摘を受け、頑張って言い直す。

 クリアの眼差しがおっかない。氷の瞳というか、こいつの周りだけ吹雪でも起こっているように常に温度が冷ややかである。
 まるでブリザード……ブリザード先輩だ。

「あの、聞いてもいいです?」
「なんだ」

 スープをちびちびと飲む姿を横でじっと見られるのも気まずいので、勇気を持って声をかける。
 言葉の練習にもなって一石二鳥だ。

「おじょーさま、なぜ買ってくれた?」
「クリスティーナお嬢様が、奴隷のお前を買った理由か?」

 少ない言葉でクリアは俺の言いたいことを読み取ってくれた。
 
「おじょーさま、奴隷買う、ひつようない」
「……ああ、そうだ。もともと奴隷を購入する予定はお嬢様になかった。あの場にいたのも別の理由があったからだ」
「じゃあ、なぜ」

 小説には登場していない俺について何か分かるかもしれないと思ったが、クリアの返答は素っ気ないものだった。

「そんなの知らない。わけを聞きたいのなら、自分の口から聞け。もっと言葉使いがマシになってからだがな。みっともないままお嬢様に尋ねたりするな」
「……おう」


 言葉の練習、頑張ろう。

 その後、胃に優しい食事の数々を食べ終えた俺は、次の日の朝までぐっすり眠った。