俺にはもう一つの記憶がある。
 それはこことは別の世界に生きた、もう一人の自分の記憶。

 女性向けファンタジー恋愛小説『マジカル・ハーツ』
 別の世界では、そんなタイトルの小説が販売されていた。

 それはそれは顔面偏差値の高いキャラの豊富さと、流行りのファンタジージャンルで作り上げられた物語なだけあって、その界隈では名の知れた小説だった。

 小説『マジカル・ハーツ』は、キャッチコピーが『恋と魔法が織りなす軌跡 ❤︎.*』なだけあり、魔法が存在する世界でストーリーが展開される。
 王族、貴族、そして希少種の平民にのみ魔法適性がある世界。
 アデランド大陸 西方領土を広く統治する魔法先進国『ハンバルト王国』に住む主人公セーラは、平民でありながら魔法が扱えるという希少種の人間だった。

 人物紹介では『ごくごく普通の町娘』と記されていたが、イラストではめちゃくちゃ可愛かった。
 どっこが普通の町娘なんだよ!! と、読者のほとんどはツッコミを入れたという。

 ……と、そこはいいとして。

 ある出来事をきっかけに魔法の才が開花した主人公は、大陸随一と呼び声高い『グレートクインズアカデミー』に通わなければならなくなってしまった。

 約八割ほどが王族、貴族、そして希少種の平民により構成された魔法士養成クラスと、作品の特徴の一つと言われる()()()()()――通称ハーツバレットクラスの二つに分かれたアカデミーを舞台に、主人公の物語は幕を開ける。

 物語には障害やトラブルが付き物。そしてある時期を境に起こっていたほとんどのトラブルの元凶は、一人の少女によって引き起こされていた。

 クリスティーナ・エムロイディーテ。
 侯爵家の次女として小説内に登場する彼女は、物語の最終章あたりまで主人公に親身な脇役キャラとして存在する。

 端的に言うと彼女は最後、闇堕ちして死ぬ。

 本編ではそこまで詳しくクリスティーナにスポットは当てられなかったが、クリスティーナの死後については短編スピンオフで書かれていた。

 スピンオフは専属従者を務めていたという青年の独白で語られる。
 そして判明したのが、クリスティーナの出生から死亡までに関する短く寂しい生涯だった。

 作中の視点は主人公のセーラであるため、本編ではあまり語られなかったが、スピンオフから解説するとクリスティーナ・エムロイディーテの生い立ちはこうだ。

 闇の魔力を体に秘めて生まれたクリスティーナは、闇の精霊に依り代として目をつけられ、闇の精霊が彼女の体内に取り憑いたことにより、強大な力を胎児の段階で宿してしまった。
 それが原因で実の母は、クリスティーナの出産と同時に亡くなる。
 闇の精霊が原因であるとは侯爵家の人間も、急遽呼ばれた治癒魔法士も判明できず、愛する妻を失ったショックにより父親はクリスティーナを遠ざけた。

 欲しいものは与えられ、何不自由ない暮らしはできていたクリスティーナであったが、愛情は与えられなかった。
 住まいは敷地内の別邸に移され、出産時に原因不明で亡くなった母親のことや、不可思議な容姿を気味悪がられ、貴族間や侯爵家の使用人らからは『呪いの子』といわれていた。

 そういった事情はあるものの、貴族であり魔法が使える彼女は『グレートクインズアカデミー』に入学。アカデミー内では、極力目立たずに過ごしていた。

 極めつけはクリスティーナの姉の存在。
 高慢ちきな性悪娘に育った年子の姉は、ことある事に彼女を罵り自尊心を奪った。
 アカデミーに気心の知れた友人は一人もおらず、クリスティーナは言葉通りの日陰生活を送っていたのだ。

 そんな生活のさなか物語の主人公であるヒロインのセーラと出会ったクリスティーナは、小説のストーリーを通して仲を深め、はじめて心の拠り所のような場所を見つける。
 ……だが同時に、自分の心の醜さを痛感し、どんどん病んでいくこととなった。

 依り代となる日までクリスティーナが胎児の頃から体内に潜んでいた闇の精霊の影響は、主人公に出会ったことによりクリスティーナの精神を徐々に侵食していった。

 呪いの子と呼ばれ家族の愛を知らずに育ち、アカデミーでは主人公以外に友達と呼べる存在はいない。

 しかし自分とは違い主人公の周りには常に人がいた。
 主人公にも苦労はあったが、クリスティーナの目には大した努力もせず無条件に人を引き寄せ、結局は誰からにも愛されてしまう幸せな人間に映っていたのだ。

 嫉妬、苛立ち、怒り、羨望。
 忍び寄る闇の影に、ついにクリスティーナは取り込まれた。
 そして……すべてを闇に囚われたクリスティーナは闇の精霊に自我を乗っ取られる。
 最後は主人公の『光の加護』という特別な能力を元に発現させた光の魔法によって浄化される。

 光の魔法の浄化とは、すなわちクリスティーナの死を意味していた。

 この物語『マジカル・ハーツ』の主人公が光だとするならば、クリスティーナは正反対の闇に位置している。
 光の存在が強くなるほど、闇もまた深く濃くなっていく。
 光の資質と闇の資質を持った相容れない二人が、結末で対峙し、クリスティーナはこの世を去ってしまうのだ。

 クリスティーナのことだけを考えて小説を見た場合、なんとも報われない話になる。

 本編を読み終え、短編ではあるがスピンオフまで読破した前世の俺は、心の底からクリスティーナが不憫だと思った。

 報われない、救われない、彼女視点では後味の悪い話。
 ゆえにクリスティーナ・エムロイディーテというキャラクターは、読者の間でも不憫すぎる闇(病みも含む)堕ち令嬢としてペクシブのキャラ説明で議論されていた。


 ――で、そんなお嬢様に、俺はこのたび買われたと。