空に浮かんでいた月が闇に紛れてすっかり姿を見せなくなった。望を見送った俺は店の窓から新月の空を見上げる。

「あれでよかったの小麦? いいや、ムーン」
「小麦って呼んでくれよ。望が初めて俺につけてくれた名前だからさ」

 店の片づけをしていたマスターが声をかけてきたので、視線を店の中に戻した。
 
「いいんだ。俺は望が自信を取り戻してくれたらそれでいい。どうせ、俺はもう行かないといけないし」
「君がいなくなったらお店が困るな」
「また新しい猫が来るよ。俺みたいにこっちにとどまってるやつがさ」
「そうだね、そうして君みたいにまた去っていくんだ」
「ここはそういうところだろ?」
「まぁね」

 死んだ猫たちの魂が集うのがこの陽だまり亭だ。旦那を待つスミレさんも、ノワルのじいさんも、客はみんな死んだ猫だ。盆の時期にはあの世からも猫が還ってくるから店は忙しい。

 俺も、毎年盆の時期にこっちの世界に戻ってきていた。基本的に森の外には出られないから、遠目に町を見ながら望を探していた。
 去年ようやく望を見つけた。俺の記憶の中の望よりもずっと大きく成長していたけど、一目でわかった。

 必死に受験勉強をしていた望を猫の姿で見守った。望は俺に「ムーン」なんて名前を付けて可愛がってくれた。相変わらずの動物好きっぷりだ。

 あの雪の日、捨てられた俺にマフラーをかけてくれた望のままだった。俺は望の力になりたくてこっちの世界にとどまった。

 春が来て、志望校に合格した望は浮かない顔をしていた。気になって仕方がなかったけれど、どうにもできなくて。そんなとき現れたのがマスターの店だ。移動式のその店は、満月の夜に森に現れた。

 どうしても望の力になりたくて、俺は人間の姿になった。望への思いが、俺の姿を人間に変えてくれた。
 一緒に過ごすうちに、誰かのために一生懸命になる望のことをどんどん好きになっていた。この恋は叶わないってわかってるのに。

 望が俺のことを好きだといってくれた時、俺も好きだといいたかった、抱きしめたかった。だけど、今の俺にはできない。だから俺は、あふれだす想いを必死に飲み込んで笑ったんだ。「ありがとう」って。

「次は本物の人間に生まれ変わってくるよ。だって、望のこと迎えに行かないといけないから。神様は叶えてくれるかな?」
「叶えてくれるさ、きっとね」

 ほほ笑むマスターに、俺も笑顔を返す。

「俺もそろそろ帰んなきゃ」
「森から出たりするから力を使っちゃったんだね、もうその姿でいるのも厳しいのかな」
「うん。もうこっちには来れないかもしれけど、でもいいんだ。望の背中を押してやれたと思うから。ありがとうマスター、本当にお世話になりました」
「こちらこそ、助かったよ」
「じゃあね」

 俺は猫の姿になって、窓から外に出る。向かうのは森の向こうだ。

 新月の夜は星がやけに綺麗だ。キラキラと輝く星の下、煌々と灯る陽だまり亭の明かりに背を向けて、俺は軽快に駆けていく。新しい命に向かって。