狩野更紗、今年31歳になる。

「あんたらにありえそうなことだわ、陳腐ね」
たった今、彼氏の浮気現場を取り押さえて放った一言。


今、この目の前にいる男は午前中に私とデートをしていた。
私といていてもどこか上の空で、10分おきに携帯を見ては
妙にソワソワしていた。
私の勘はすぐにピンときた。
浮気してるんだろうな、こいつ。

会話を上の空でしているのは、あんただけじゃない。
私だってそう。
心の中はドロドロしはじめ、どうやって浮気を発見して
この男を振ろうかと考えながらデートを続けている。

そんな事を考えると、雑貨屋の前を通り過ぎようとしている。
ある作戦が閃いた。
「ねぇ、私マグカップが欲しいな、一緒に選んでよ」
「うん」
ごく簡単な会話、相変わらず心ここにあらずな返事。
「スタイリッシュな感じもいいけど、ペアのカップが可愛いな」
「そろそろ付き合って2年だし、記念に買っとくか」
なぜそんな白々しい事が言えるのか分からない。
すぐさま頬に平手をお見舞いしたくなったが、私は笑顔で返す。
「覚えてたんだ、ありがとう」
ちぐはぐな心と言動を二人で続けながら、互いに腹の底は反対方向のベクトルに向かい始めている。
そんな私の心を彼はまだ知らない。


午後からのデートを途中で切り上げた。
彼に内緒で、預けていた荷物を取りに彼の部屋を訪れる作戦をたてていた。
17時きっかり、彼の部屋のインターホンを押す。
「ごめん、預けてた荷物とりにきたの」
案の定、慌てたような彼の声。
「ちょっと、まってて」
5分も待ったかな、腕組みしてどんな決め台詞で彼を捨てようかと考える時間は十分だ。

「お待たせ」
彼がドアを開ける。
女の靴は片付けられているな。
「ごめんね、さっき買い物してた時に荷物持ってもらったものが混じってて」
「あぁ、言ってくれれば次の時に渡したのに」
「そっか、じゃあちょっとお邪魔するね」
「え?今日は困る、ちょっと!」

彼の制止もむなしく、私はズカズカカと部屋へ入り込む。
バスルームかな?
適当に検討をつけて入り込むと、やはりバスタオルを巻いただけの女がいた。
なんと5年らいの同僚としての付き合いのある女だ。
最悪、休みの日までこの女に会うなんて。
見た瞬間、彼にもこの同僚へ対しても今までかろうじて持っていた
優しい気持ちを保とうというカケラまでが、すっと潮目が引く様に冷めた。


そして、口をついてでた、
「あんたらにありえそうなことだわ」、
そしてもう一言、
「陳腐ね」という今の言葉だ。

最近妙に揚げ足を取る様な言葉や、恋愛に対して私の近況を聞きながら
くすくす笑いをしていたりなど気になる点は今まであった。
2歳下のこの同僚は、私から何かを奪う事に快感を覚える癖があることは
気付いていた。
まさか恋人まで奪われていたとは思わなかったけれど、目の前に現実として
突き付けられた時ストンと腑に落ちた。
と同時に、こんな女にまんまとひっかかるこの男の浅さに驚くほど冷めてしまった。
そして、そんな男と付き合っていた自分自身にも。

何かを言おうと、この女が口を開こうとしているが、どこか薄笑いを浮かべる寸前のように唇が歪な形をしている。
内心、関わるだけ面倒臭いと思った。
修羅場なんて言うほど喧嘩してまでこの男が欲しいなんて情熱もわかない。

「じゃあお幸せに。私はあんたらなんて要らないから。」
男はこの言葉にポカーンとし、女はバツの悪そうな表情をした。
「その袋の中、あんたらへの私からの餞別だから」
そう告げると、私は彼の部屋を後にした。

そう恰好つけて出てきたけれど、心の中は台風のように強烈な風と雨が吹き荒れている。
なんな女にあんな男なんか、0、1秒で記憶の片隅からも抹殺してしまおう。
いつもならば瞬殺で忘却の彼方にすぎさるようなクズみたいな奴らだ。

今は猛烈に溜まった怒りを発散したい。
そもそも、私って何をしてる時がストレス発散だったのだろう。
あれっ?買い物?映画?どれも違うような……
酒だ!こういう時はやけ酒がスタンダードだ。

あんな子供みたいな成熟してないクソガキとは違って、大人っぽい
バーに踏み込んでみよう。
一人でも行って雰囲気になじめる事を自分に証明しよう。
オシャレな人に溶け込んで少し背伸びすると決めた。

とにかく行ってみよう。
そう決めて向かった先は、旧外国人居留地等の街並みが色濃く残る
隠れ家的バーだ。
震えそうな心を鼓舞して勇気を出しドアを開ける。
店内に入った瞬間、さすが私、31歳にもなると行動と目の付け所が違うわ
と自画自賛したくなった。

私の好きなヴァイオレット・フィズを注文する。
うすい菫色の液体に炭酸の繊細な粒と、口の中で弾け花のような芳香が鼻を抜けていく。
儚げな優しい味わいがする。

落ち着いて店内を見ると、カップルにまじって年配の層のお客さんも結構いる。
この店の雰囲気に似合うゆったりとしたピアノ曲が流れている。
体におっとりとした音が流れ込み細胞からリラックスしてくる。
ささくれ立った心を、液体絆創膏のようなこの紫の液体と共に治してゆく。

お酒で気持ちの靄や怒りを発散しようとしていたのに不思議なものだ。
私が何故あんな男に浮気をされ、後輩から奪われなければならなかったのかを冷静に考えられる空間のようだ。

どうして喧嘩の一つもしないでそそくさとあいつらを捨ててきたのか。
それは思うに、あの男にたいしての情熱がとっくに冷めていたのだ、また相手の男も私と同じように。
そして、まんまとその隙間を見繕いあの男を取ったあの女の顔が、一瞬脳裏によぎり不快に感じて頭を振り追い出す。

そして選んでやった餞別のペアのマグカップ。
二つを合わせて初めてハートになる絵柄が入っている。
ダサいことこの上ないこのカップをわざとはしゃいで選んだ。
彼も私も円満なカップルを演じながら買ったのだ。
一方では浮気と言う事実を隠し、私はと言うと私のハートはギザギザになり個別の一個として離れていく事も表していると思い買わせた。
そして、そのダサいカップと男を浮気相手に嫌がらせに残してやったのだ。


フリーになるという形で戻ってきた恋を新しく始めるという権利にたいしてもう心がはしゃぎはじめた。
自分さえ気づかなかった落とし物のように、彼に預けていた私の心と情熱が彼という縛りから解き放たれて再び自分宛てに返ってきた。


今度は、自分に見合う冷静でいて一途に情熱を注げる男を研ぎ澄ませた感覚で見つけるのだ。
そして、菫色のグラスの中で私を忘れないでと泣いていた、私と言う自由な心に再会を果たした。
大人になった私は彼女の心を受け止めると、もう一杯だけ自分の好きなシードルを注文した。
黄金色の微細な泡がはじける様に、もう少しだけこの雰囲気に私の心を満たしたら、月明かりの下を歩いて帰ろう。