彼女に学校での自身の地位を告白してから、ほんの僅かではあるけど気持ちが楽になっていた。それも彼女が俺のことを幻滅することなく受け入れてくれたからに他ならない。もし引かれていたら、その日を機に避けられるようになっていたら、俺はきっと生きていない。そう思ってしまうほど、彼女は俺にとって最も大切な女の子で、俺の好きな人だった。
 他校生の彼女と交流していることは、彼らには絶対に知られるわけにはいかない。知られたら彼女とのことを揶揄されるのは明白だし、下手すれば彼女が俺の弱点だと思われて。この問題には無関係な彼女に忍び寄り危害を加える恐れもあった。女子であっても手加減はしないだろう。俺を貶めて楽しむことしかきっと頭にないから。彼らは一人残らず無慈悲だ。だから余計、彼女に危険な火の粉を飛ばせたくはない。隣町の学校でもう既に生きにくさを感じているであろう彼女を、俺のせいで更に追い詰めることはできなかった。
 自分もいじめられていると伝えてくれた彼女を、近くで守ってあげられないことが酷くもどかしい。俺はいいから、彼女だけでも救われることを強く切望しているし、何よりこの手で救いたい。それまでどうか、生を諦めずにいてほしい。俺は彼女に死んでほしくない。生きていてほしい。
 別の学校で日々を生き抜いている彼女のことを想いながら、彼らが息を潜めている校舎に足を踏み入れた。すると。普通は硬いはずの床が、クッションのように柔らかく感じて。俺を捕獲するように沈んで、沈んで、沈んだ。低反発だった。足が埋もれていく。踏み出す一歩が異様に重たい。
 追い詰められて幻覚を見たあの日から、学校はずっと歪んでいた。狂っていた。彼女に本当のことを告白して少し楽になったとはいえ、そう簡単に精神的なストレスが解消されるはずもなくて。いじめがなくならない限り、いや、いじめがなくなったとしても、この学校は歪なまま俺の目に映ってしまうのかもしれない。笑えるような思い出なんて一つも存在しないのだから。
 卒業したら最後、泥沼に沈んだ学舎に戻ってくることはないだろう。言わずもがな、こんな所にわざわざ戻るつもりもない。苦悩するだけの時間なんて、就寝すればあっという間に迎えてしまう朝のように、ほぼ一瞬で過ぎ去ってしまえばいいのに。苦しければ苦しいほど、針が重労働を開始しているかのようで。停止しているんじゃないかと疑ってしまうほど、それはゆっくりとしか回らなかった。
 見える錯覚。泥濘に嵌まる足。異常な視覚のせいで、気持ちまで沈んでいく。彼女といる時は普通だったのに、そうじゃない時の俺の目は自嘲してしまうほど狂ってしまっていた。見えていなかった、見ようとしていなかった学校の闇を、まざまざと見せつけられている、そんな不穏な空気、環境。泥沼の中に沈んでいるかのように、全身に妙な圧迫感と胸の苦しさを覚えた。
 靄のかかった偽りだらけの学校の中で笑っている生徒に紛れるように上履きに履き替えた俺は、誰とも目を合わすことなく階段を目指した。誰も俺のことなんか見ていない。誰も俺のことなんか興味ない。そう思っていても、誰かが好奇の目で俺を見ているような気がするのは、俺がいじめられているからとか、俺が担任に猥褻行為を誘発した淫乱なゲイだからとか、決して好印象は持てないそれらの出来事や嘘の話が拡散されているせいかもしれない。指を刺され嗤われている。忌み嫌われ避けられている。可哀想だと情けをかけられている。担任の猥褻行為から月日は経っているのに、男に襲われた男、男を誘った男、そういったレッテルはいつまで経っても剥がれなかった。
 担任に襲われたあの日、誰も彼もが揚げ足を取るように好き放題話して盛り上がっていた光景を、俺はずっと忘れることができないでいる。頭にこびりついて離れないのだ。家に帰って一人でこっそり涙を流しても、傷は全く癒えてくれない。いっそ感情がなくなってしまえばいいのに。そう願っても、喜怒哀楽を知ってしまった以上、無感情になんてなれやしないし、なったらなったで、彼女への想いまで消えてしまうんじゃないか。手を繋いだことも、抱き締め合ったことも、唇を重ねたことも、全部、全部、何も感じられないものにはしたくない。
 踏み出すごとに沈む足を懸命に動かし、自教室へ向かった。でも、そこに近づくにつれて酸素が薄くなっているかのようで。酷い頭痛と胸の痛みに苛まれた。無論、息苦しさを覚えているのは俺だけで。俺を追い抜いたりすれ違ったりする人たちは全員、苦しさなんて微塵も感じていないのだろう。ああ、俺も、あんな風に普通に生きていたかった。普通がよかった。一体何が基準で普通と言えるのか分からないけど、周りと同じように普通に過ごしていたかった。
 この学校での俺の地位なんて、下級生よりも下だ。同級生が俺のことを舐めているから、それが下級生にも伝わって。結果、笑いものにされてしまうのだろう。そこに男も女も関係なかった。男は俺を気持ち悪がって、女は俺に同情の目を向ける。教師の逮捕という騒動の被害者になってしまってから、俺の格は明らかに下がった。奈落の底へ落下した。這い上がれないほど深く、深く、泥犁へ。堕ちた。
 廊下の途中で立ち止まってしまう俺の横を、後ろにいた生徒が迷惑そうに通り過ぎて行った。一人で佇む俺は通行の邪魔をしていて。それでもしばらくは動けなかった。足が床に沈む。呑み込まれる。今日はまだ何もされていないのに、彼らとも出会していないのに、どうしてこれほどまでに気分が悪いのか。
 教室に行きたくない。入りたくない。これ以上前へ進めない。体が拒絶している。そもそも、学校に来る意味を見出せない。どうせいじめられるだけなのに。授業に集中なんてできないのに。わざわざ教室に顔を出す意味なんてあるのだろうか。
 頭を抱える。気持ち悪い。頭痛がする。とにかく、どこかの空き教室で身を潜めて落ち着きたい。放課後になるまでずっと彼らに会わなければ何かされる心配もないんだ。誰にも見つからない場所で存在を消していたい。
 俺はそうやって自分を守ることしかできなかった。彼らに立ち向かったところで反撃されるだけなら、最初から背を向けていた方が賢明だ。逃げるなんて情けない格好悪いなどと挑発されようが、はたまた幻滅されようが、今更自分の体裁なんて気にしていない。
 踵を返して波に逆らい、使われていない教室へ足を向ける。ガラス窓から中を覗いて誰もいないことを確認し、そのまま吸い込まれるように空き教室に入った俺は、適当な席に腰を下ろした。無意識のうちに溜息を吐く。頭が痛い。鈍痛が走っている。体も怠い。息も苦しい。学校という環境すら、俺の体に悪影響を及ぼしているかのようだった。
 廊下を通る人の気配に怯えつつも、そこから出ることなく時間を潰した。たまに制服のポケットから彼女の名札を手に取り眺めて。無事を願った。女子がするいじめの方が陰湿そうだし、そこに男子まで加担していたらと思うと気が気でない。
 彼女は一度、男に襲われた過去がある。同じ男である俺のこともトラウマの対象になっていたっておかしくないのに、彼女は俺に対して怯えている様子はなかった。寧ろ意識しているみたいに顔を真っ赤に染めることの方が多くて。緊張しやすい恥ずかしがり屋なのかもしれない。
 赤面しながら涙目で見上げられると、どうしようもなく胸が騒ついて。男の本能を剥き出しにしてしまいそうになる。彼女は俺を挑発しているつもりはないにしても、煽られていると感じている俺は我慢してばかりだった。
 不安げに引き結ぶ唇を何回でも奪いたい。何の跡もない綺麗な首筋に噛みつきたい。いじめられているにしても、男子高校生らしい性欲は常にあった。彼女のことがほしい。付き合いたい。付き合って、一緒に幸せになりたい。誰よりも。
 交換した彼女の名札をポケットにしまい、彼女との未来を勝手に想像、妄想しながら机に突っ伏して目を閉じた。現実逃避だった。ここが学校であること、いじめの舞台であること、いつ緞帳が上がってもおかしくない状況であること、それから必死に目を背けた。寝て起きたら、いじめがなくなっていた。そんな非現実的な願望すら抱いて。
 次第に全身の力が抜け、水面のようにゆらゆらと揺れていた意識が静かになろうとした時、唐突に響いた乱暴で攻撃的な音によって夢想から現実に一気に引き戻された。何が起こったのか分からないまま咄嗟に顔を上げて音の出所に目を向ければ、人生で最も会いたくない人たちが俺を見て口の端を上げていた。頭がガンガンする。痛い。驚愕や恐怖に暴れる心臓が囂しい。空気が瞬く間にどんよりと重たくなった。
「見つけたー。隠れるならもっと見つかりにくいところに隠れた方がいいんじゃね?」
 お前相当馬鹿だよな。授業サボってるからだろ。馬鹿がサボったらもっと馬鹿になりますよー。今ですら頭おかしいのに勉強しなかったら更におかしくなるな。成長してるのは下半身だけ。あははは、それは面白すぎる。淫乱クズ野郎だから間違ってはないな。制欲を抑えられない下半身が死ねば彼奴自体も死ぬんじゃね? そうだな。まぁ、理由は何であれ死んでくれればいいけどさ、残念なことに簡単には死なないし。だから今日は、お試しでお前を飼おうと思ってんだわ。少しでも早く死んでもらうために。セックスでいう前戯的な。あはは。ギャハハ。
 唇を引き結ぶ。彼らの無駄話を何一つ聞きもせずに視線を彷徨わせて逃げるプランを立てるけど、扉の片方は塞がれている。もう片方から脱出するにしても、そこに向かって動いた時点で相手の方が早く扉に辿り着いてしまうだろう。
 捕まったら死ぬ。逃げても死ぬ。自棄になって飛びかかっても返り討ちに遭うだけ。無意味。死ぬ。彼らに見つかった時点で、今日の俺は死ぬんだ。脳内パソコン。死ぬ。死なない。死ぬ。死なない。矢印は死ぬで止まり、そのままクリック。ああ、これ、また、詰んだかもしれない。頭が痛い。
 落ちそうになっていた意識が完全に覚醒し、やがて訪れるであろう苦痛に冷や汗が背中を伝う。どうすれば助かるのか。どうすれば逃げられるのか。考えたところで、どれも自滅するだけだった。扉からも窓からも、逃げられない。あ、窓。窓。外を見る。快晴。ここ、何階。二階だ。上手く着地できれば、死なない。死なない。逃げられる。飛び降りてすぐ、どこかに隠れられれば。
 安直な思考。現実的ではない行為。危険すぎることは分かっていた。それでも俺は、吸い寄せられるように開放的な外へ。彼らから距離を取るために。
 椅子から立ち上がろうと腰を浮かせたその瞬間、何かを力任せに蹴るような、重くのしかかる鈍い音が立て続けに響き行動を妨害された。見ると、彼らの近くにあった机や椅子が倒れていて。その周りの席にも被害が及んでいた。激しく鳴った音と張り詰めた空気に萎縮し、体を動かせなくなる。頭が痛い。息が苦しい。
「お前、人の話聞いてんのかよ。いつもいつも気持ち悪いくらい一言も喋らないし胸糞悪いほど陰気臭いしイライラする。失せろ。早く死ね。それができないなら人間やめろ。俺がやめさせてやるから」
 ほら、選べ。どっちか。人間らしく死ぬか、人間をやめるか。選べ。ほら。早く。言え。どっちだ。決めろ。死ぬか人間に飼われるか選べ。選べ。え、ら、べ。チッ、クソが。なんとか言えっつってんだよ気色悪い。それとも何? 言葉通じねぇの? 人間やめてんの? あ? ちょっとお前落ち着けって。何言っても彼奴、まともな言葉発さないだろ。でもそれってつまり、人間やめるってことじゃん。だからほら、さっさと家畜にしようぜ。そうすれば鬱憤ばらしもできるし。お前のその苛立ちも解消するだろ。それに、俺らだってイライラしてんだよ。彼奴がいつまで経っても死んでくれないから。
 唇がわなわなと小刻みに震える。俺が死なないことで苛立ちを募らせている彼ら。一人が爆発すれば、周りもストレスを感じて。感情が伝播していく。俺に死んでほしいなら、俺に失せてほしいなら、殺せばいいのに。そんな諦めにも似た思いが沸々と湧き上がってきた。ああ、馬鹿だ、俺。生きたいって思ったばっかりなのに。殺せばいいなんて。支離滅裂だ。
 彼らに対して何も言葉を発せない。ただ震えながら喉を詰まらせるだけの俺に、機嫌の悪い彼らがぞろぞろと近づいてきた。一人の男の手には、ずっと隠していたのか、犬用の首輪と鎖が収められていて。顔が引き攣る。飼うとは、家畜とは、そういうことか。そういう。遊び。躾。凌辱。ストレス発散の道具。玩具。飼い主に従順な犬。ワン、って吠えたらいいですか。吠えてほしいんですか。はは。はは。俺。人間。やめさせられる。人間なのに。人間。俺。人間。犬。人間。犬。ワンワンワン。ははは。はは。頭が痛い。痛い。くらくらする。くらくら。俺、人間やめさせられるんだって。家畜にさせられるんだって。あはは。ははは。もう全部どうでもいいから彼女に会いたい。会いたい。会わせて。会わせて。会いたい。会わせろ。会わせてくれない。
 黒目が泳いで表情筋が痙攣。何も面白くないのに口角が上がる。下がらない。歪な笑みを浮かべてしまう自分が奇異なのは実感していた。現実を受け入れたくなくて、人間をやめたくなんかなくて。それでも、受け入れなければならない境遇に、家畜以下にさせられる状況に、脳味噌がぐちゃぐちゃにびちゃびちゃにめちゃめちゃに掻き回されて。知能が著しく低下する。俺って、頭おかしいんだ。そうなんだ。こんな異常な俺、彼女は見てくれないか。頭が痛い。
 目の前がぐるぐると回っていて。酔う。平衡感覚すら失っているかのよう。立てない。動けない。喋れない。逃げられない。頭が重い。肩が重い。腰が重い。足が重い。気持ち悪い。気が狂う。ワンワンワン。犬になるのはまだ早い。なりたくない。先入観のせいだ。俺は犬じゃない。違うから。違う。俺は犬ではありません。俺は犬にはなりません。その首輪も鎖も、捨ててください。彼女に会いたい。
 不機嫌な彼らは人間を改造しようと、新製品の玩具を開発しようと、躊躇なく俺に危害を加えた。髪と腕をそれぞれ掴まれ、力任せに床に投げ出される。足が机にぶつかり、床についた手が冷たく痛んだ。その後すぐ、無防備な体にめり込む爪先。前からも後ろからも加えられる一方的な攻撃に息ができなくなる。気持ち悪い。吐きそう。頭が痛い。割れそう。逃げられない。彼らから。抜け出せない。彼らの作る地獄の輪から。
 散々蹴られ、悶絶するような苦しみに喘ぐ。それでも悪夢は終わらない。序章に過ぎないのだ。手や足を使った単純な暴行は。俺の行動を封じる手段。抵抗する気力を失くさせる悪行。
 彼らは何か言っているけど、言葉としてそれが頭に入ってこなかった。ただの汚い雑音だ。ずっと聴いていたら頭がおかしくなる。精神が崩壊する。
 何も聞きたくない。何も理解したくない。無意識に歯を食い縛り、両手で耳を塞いだ。音は消えてくれなかった。いつまでも、ノイズが俺の脳内に響き渡っている。正常な糸がプツンと切れてしまいそうで。畏怖に震えた。苦痛に悶えた。崩壊の音がした。やめて。やめて。壊れる。俺を殺さないで。俺を。俺を。殺さないで。殺さないでください。
 息も絶え絶えの瀕死状態。全身に痛みが走っていて。衰弱してしまったかのように体が動かなかった。上手く呼吸ができない。頭がずっと痛い。悪寒がする。気持ち悪い。吐きそう。
 精神的に崩れ落ちる俺の手を、両耳を塞いでいた俺の無力なその手を、彼らのうちの一人が掴んで拘束した。例の恰幅のいい男子だった。勝てない。
 顔を上げた先には、首輪と鎖を手に持った男。俺を足蹴にしてストレスを発散したからなのか、その顔は愉悦に満たされていた。優越感に浸っていると言っても過言ではない表情。地獄の緞帳が上がってしまった。
 音もなく伸びるいくつもの手が俺を押さえ込み、急所でもある首が無防備になった。ザーザーと頭に響くノイズは鳴り止まない。視界も白く光って見える。吐き気すら催しそうなほど頭が痛い。眼球が痙攣しているみたいに視線も定まらない。明らかに体に異状をきたしている。彼らに対してアレルギー反応を引き起こしているかのようだった。
 飛びそうで飛ばない朦朧とした意識の中、首に圧迫感を覚えて。ああ、俺は遂に、人間をやめさせられるのだと悟った。諦観。絶望。崩壊。零落。体の外側も内側も抉られて潰されて穴を開けられた俺に、多くの手を振り払って危機を逃れるような気力は全く残っていなかった。
 何か言っている、仲間同士で何かを話している彼らの声が雑音に埋もれ、雑音に聞こえ、依然として何も聞き取ることができなかった。首輪をつけられた後、鎖で繋がれた後、次は何をされてしまうのか。なんて、考えたくない。何もされなければいいのに。家畜にされていること自体、現実ではなかったらいいのに。これは、夢だ。夢。夢。夢。夢。夢だったら何をされてもただの夢で済む。夢でよかった。安心。安堵。それで済む話なのに。
 痛みが走っている頭がぼんやりとする。なんとなく呼吸もしにくい。首を絞められているような感覚に近かった。つけられてしまった首輪が少しきついのかもしれない。苦しい。持っている鎖を引っ張られたら完全に絞まってしまう。外したい。外して。外してくれない。外して。外したい。ねぇ。外してくれませんか。苦しいです。痛いです。外してください。
 機能が低下する聴力と視力、そして思考。何も聞きたくない。何も見たくない。何も知りたくない。こんな醜い自分なんか、全て忘れてしまいたい。俺は犬ですか。いいえ、人間です。人間でありたい。
 羽交い締めにするように拘束されていた手が無理やり背中に回され、手首に食い込むほど細くて頑丈そうな何かで両手の自由を奪われた。絞める時に響いた濁音がついたような音とプラスチックのような質感から、紐でも縄でもない、百均でも買える結束バンドで縛られたのではないかと予想して、恐怖した。絶望した。
 唇を震わせて沈黙し続ける俺を嘲笑って破壊する彼らは、保険をかけるように親指も拘束して。完全に反撃する術をなくした俺の無防備な背中を強く蹴り飛ばした。噎せるほどの衝撃。掃除の行き届いていない埃まみれの床に倒れる俺の体は、後から追いついてきた泥に呑み込まれた。学校に潜む負の感情を全て吸収した不満の塊のようなそれが、穴という穴に容赦なく入り込み、俺を侵食していく。
 ここは歪んでいるのだ。狂っているのだ。こんな汚くて醜い世界で、彼らのように弱者をせせら笑う人間がいる世界で、懸命に生き抜くほどの生命力を持ち合わせていない俺は、ひたすら泥に呑み込まれていくだけ。沈むのだ。沈んで。沈んで。深く、沈んで。沈んでいくだけ。沈んだその先に、笑っている彼女がいてくれたらいいのに。なんて考えて、ほんの僅か、よく見ないと分からないくらい小さく、笑って。泣いた。流れる涙は、底冷えしそうなほどに冷たかった。彼女に、会いたい。