道路に沿って家を囲むように紫陽花が植えられている。

 紫陽花は隣の公園にも似たように続いている。僕の祖父は医院を開設するとき、この紫陽花を景観のために残したのだという。

 三崎が花房に軽く触れながら言った。

「まだ少し咲いているのね」

「ほとんど枯れたけどな。今年は雨がよく降ったから、紫陽花も綺麗に咲いてたよ」

 歯科医院の入り口前から公園まで、一直線上に並んで咲く紫陽花は、梅雨時は圧巻の美しさを誇る。

「昔、散歩したときにここを通ったの。すごく綺麗だったから、また見たいと思ってた」

 三崎は少しだけ残念そうな空気を漂わせた。

 今は見頃の季節を過ぎた八月。青に近い紫のグラデーションは茶色にしおれ、この道もどこか寂れた印象となる。

 メンバーに三崎も加わり、『思い出探し』は始まった。進む先を日比野が簡単に指定だけで、目的も理由も定まらないあやふやな集まり。暑い日差しを後頭部に浴びながら、足の歩みだけは進んでいく。

 歯科医院の隣にある公園には、ブランコとシーソーと滑り台。敷地面積に比べて、一般的な遊具しか置いていない。少ない遊具の代わりに、公園の半分は雑木林で埋め尽くされている。

 雑木林は夏の日中になると、蝉の大合唱が鳴り響く。無料の蝉の取り放題は、子どもたちを笑顔にさせる。この時期は子どものきゃらきゃらとした楽しげな声がどこかしこでも聞こえてくる。

 逆に、近所に住む大人たちは毎年、このうるさい季節がやってきたかと恐々とするのだ。蝉やその抜け殻で虫かごをいっぱいにさせていた、無邪気な頃が懐かしい。

 雑木林の奥は僕の家の裏口に面していて、塀を乗り越えると、ショートカットで林の中へ行くことができる。母親に被せられたお揃いの麦わら帽子と、水筒を装備して、僕とさーやは網と虫かごをそれぞれ手にして雑木林を駆け回っていた。

 あのとき、さーやは確かに自然体で楽しんでいた。将来も、人間関係も、深く考えないでいられたあの頃が、僕らにとって最も幸せだった。

「相変わらず、蝉がうるさいわね」

 あまりの蝉の絶叫に、日比野は耳を手でふさいだ。

「夜はさすがに鳴かないけどね。昼はずっとだよ」

 僕が返すと、日比野は同情めいた視線を寄越してくる。

「この公園でさーやと遊んだのか?」

 沢田は公園の入り口をまたぐ。それには公園を懐かしそうに見回す日比野が答えた。

「夏休みに、ここでよく遊んだの。さーやと一織がどんどん林の中に入っちゃうから私もついていくんだけど、土は湿ってて、蝉は上から問答無用で降ってくるの。なのに、二人とも自慢するみたいに採った蝉を見せてくるから、もう絶交してやるって何度も思ったわ」

 正確に言うなら、僕とさーやの遊びに、日比野が勝手について回ってきたのだ。隙あらば、さーやを独り占めしようとする手腕を、僕は面倒だと思っていた。

 日比野はどんどん先を行った。猛暑のせいか子どもたちの姿はない。近場の親水公園にでも行っているのだろう。遊び足りない子どもが夕方にくたびれた父親と虫取りに来るのは珍しくない。

 大人に擬態した者たちがぞろぞろと林に向かい、膝丈の柵を越え、以前よりも幾分か少なくなった林の中に入っていく。

 沢田があとを付いていき、僕も続くと背後に気配がない。三崎は柵を越えずに外で待っていた。隣に高橋も立っている。

「行かないのか?」

 そう問うと、三崎は無言で小さく手を振るのみ。

「僕もパス」

 高橋は柵に腰かけ、手足をぶらぶらさせ、三崎とともに待つことを選んだ。二人を一緒に放っておいていいものかと一瞬だけ悩んだが、日比野たちを追いかける選択を取る。

 揺れる木の影の模様で彩られた三崎と、ぼっーと林の奥を見つめる高橋に見送られ、僕は雑木林の中に進むことにした。

「うわ、臭う」

 追いつく前に、沢田のいやそうな声が聞こえてくる。声を頼りに行くと、沢田は鼻をつまんで呻いていた。どことなく漂うアンモニア臭が、鼻の入り口を刺激する。気分が悪くなる前に息を止める。

 小さい頃とこの臭いも変わらないはずだ。耐性がなくなったのは、きらめいた未来を信じる心を失ってしまったからか。

 夏の昼間なのにもかかわらず、薄暗い雑木林は湿っぽくて不気味だった。この中を探検と称して何度も巡ったのに、背中に寒気さえ感じる。

 蝉の声が反響して目が回りそうになる。ハウリングするみたいに、音と音がぶつかり合っている。小さな体を振り絞って、文字通り生命を対価に鳴き叫んでいる。これだけ鳴けたら、生きた意味もあるというものだろう。

 ――ああ、蝉といえば。

「七年前の夏に」

 先導していた日比野が、僕の声に振り返った。

「もっと大きな声で喋って!」

 蝉の鳴き声で聞こえないらしく、蝉に負けない声で催促された。

 大声を出すのは苦手だ。労力と体力がいる。鼻で息を吐いてから喉を生暖かい唾で潤して、言われた通りできるだけ声を張る。

「七年前の夏、ここを警察が一掃したんだ。木々を伐採したり、土を掘り返して入れ替えたり。警察は殺人性のある事件を考慮してたんだと思う。ここは見るからに怪しいから。――でも、結局出てきたのは小さな動物の死骸とかで、証拠品一つ出てこなかった」

 きっと、これは日比野が知りたいさーやの情報ではない。日比野が今回求めているのは、さーやとの「お綺麗な」思い出なのだから。

「きゃ!」

 日比野は悲鳴を小さく上げて止まったかと思うと、明るい公園の方へずかずかと戻って行った。蝉に尿をかけられたのかもしれない。野生の動物の糞尿に足を滑らせたのかもしれない。どちらにしろ、この頭が圧迫される空間に僕も長居したくなかった。

 あの夏、一掃された公園から逃げてきた虫たちが家の方に大量に出現して大変だった。母親は悲鳴を上げながら、殺虫剤を何本も買ってきた。逃げ遅れた節足動物たちの死骸が道路に散乱し、他は僕の家の庭の養分となりにやってきた。

 僕は自分の部屋がある二階から、遊び慣れた雑木林が一本一本抜かれていく様を、ぼんやりと眺めていた。

 ブルーシートで申し訳程度に囲ってあったが、自室の二階からは微妙な角度で丸見えだった。庭の桜の木越しに、死体ないし証拠品を探す警察を、僕は抜け殻のようになって見ているしかできなかった。

 さーやが行方不明となった夏、止まり木がない蝉たちはどこへ行ったのか。鳴き声は全く聞こえてこなかったことを憶えている。