賢太郎は、不良たちが愛実を取り囲んだのを植栽の後ろからのぞき見していた。

「これでいいんだ」

 自分に言い聞かせるようにつぶやく。

 すぐにヤれる女がいる、とあの不良三人衆に声をかけてここに誘導したのは賢太郎だ。

「あいつが悪いんだから」

 あいつのせいで家族は死んだ。

 あいつが無駄な正義感を行使しなけれな、こんなことにはならなかった。

 これは報いだ。

 罰だ。

 あいつのせいで家族を、すべてを、失ったのだ。だから自分には、あいつから家族も恋人も体も精神も奪い取る権利がある。

 愛実がすっと体の力を抜いて無抵抗になったところで、賢太郎は植栽から出していた頭を引っ込め、彼らから視界を切った。

 いくら自分の行いが正しいとはいっても、これ以上は見ていられない。

 今回だけではなく、彼女に母親と喧嘩するよう指示をした時も、彼氏と別れるために自分の彼女のふりをさせた時も、すかっとするような爽快感はやってこなかった。家族を失ったことを受け入れた日に生まれた虚しさが、ますます胸の中に広がるばかりだった。

「これ以上の罰を、考えないとな」

 そうしないと、この虚しさはきっと報われない。

 お世話になっている親戚の家に帰って(この親戚は、賢太郎を不幸の子として嫌っている)また新たな罰を考えないと。

 そう思い、足音を立てないようにこの場から立ち去ろうとした時だった。

 背後から突風が吹いてきて、賢太郎は前にふらつく。

 その後で、

「おかーさんをいじめるな!」

 舌ったらずの、幼い子供が発するような声が聞こえ、賢太郎は振り返った。

「……え」

 そこにいたのは、幼い子供のようなではなく、本当に幼い子供だった。

 五歳くらいだろうか。

 そんなひ弱な子供が、勇敢に、不良三人組を睨んでいる。

「お前らなんか、ゆちあ怖くないぞ!」

 あんな小さな子供が、自分よりもはるかに大きないかつい不良に立ち向かう。

 ものすごい勇気が必要だと、賢太郎でもすぐにわかった。

 自分だったら、あの不良三人組に睨まれるだけで体が竦み上がるはずだ。

「……ふざけんな」

 なんで、嫌なことばかり思い出させるんだ。

 子供だから、まだなにも知らないガキだから、そんな正義のヒーロー気取りのことができるんだ。

 死への恐怖とか、血の色とか、家族の悲鳴を聞いてしまえば、途端に足が竦んで動かなくなるに決まっている。

「ゆちあ、どうして」

 愛実が無謀な子供に視線を向けると、

「おかーさんは私が守る!」

 その子供は、愛実に笑顔を見せた。

 ああ、ゆちあって言うのかこの子は。

 ってかおかーさんって?

 どういうことだ?

「あ? このガキなんだ?」

 愛実の腕を掴んでいた金髪ロン毛が不機嫌に顔を歪める。愛実から手を離し、ゆちあにゆっくりと近づいていく。

「おじょーちゃん。こんな時間に出歩いてていいのかな?」

 そして、にっこりと笑いながらしゃがみ、頭をなでようと――

「触るな! あくとーども!」

 ゆちあが金髪ロン毛に体当たりした。

 金髪ロン毛が、無様に尻餅をつく。

「テメェなにしやがんだ!」

 眉をぴくつかせ、子供相手に大人げなくムキになった金髪ロン毛が、ゆちあに向かって拳を振るおうとする。

「やめて!」

 その腕に愛実がしがみつく。

 さっきまで、恐怖に支配され全く動こうとしなかった愛実が、だ。

「離せよこのっ!」

 金髪ロン毛が愛実を振りほどこうとするも、愛実は必死でその腕にしがみつき続けている。

 ゆちあはずっと金髪ロン毛を睨み続けている。

「なんだよ、これ」

 賢太郎は、ずっとそれを見ていた。
 
 ――触るな。あくとーども。
 
 心臓が疼き始める。

 ――触るな。あくとーども。

 あんな幼い子供が勇敢に立ち向かえて、その子供を守るために愛美だって恐怖を押し殺して体を張って。

 ――触るな。あくとーども。

 そんな中で、自分はそれを見ているだけ。

 また、見ているだけ。

「……ふざけんなよ。ほんとに」

 賢太郎の体が震え始める。爪が掌にめり込んでいる痛みで、自分が手を強く握りしめているのだと知った。

「俺は…………こんな大人に、なりたかったんじゃない」

 賢太郎はクローゼットの中から飛び出せなかった自分を思い出していた。家族の悲鳴を思い出していた。

 ああ俺はまた! なにもかもを見捨てて自分だけ!

「おい、お前ら!」

 パンチパーマと剃り込みが金髪ロン毛に加勢しようとした瞬間、賢太郎は植栽から飛び出していた。

 あれ、俺はなにをしているんだと、賢太郎は自分の行動が理解できなかった。

「おお、なんだお前か。ちょうどいい。加勢してくれ。こいつらうぜぇからみっちりわからせてやらないと」

 金髪ロン毛は賢太郎が協力しに来たと思ったらしく、賢太郎に不敵な笑みを向ける。

「夢見くん……」

 愛実は絶望の顔をしてこっちを見て――

 ――その瞬間、足になにかがぶつかった。

「……あ」

 賢太郎は視線を落とす。

 ゆちあという名の小さな子供が、明確な怒りをその目に湛えて、こちらを睨んでいた。

「お前もわるものか! ゆちあ負けないぞ! お前らなんか怖くないぞ!」

 賢太郎の心にその言葉が突き刺さる。

 また、逃げるのか?

 俺は、あの時みたいに逃げるのか。

「お、れは…………わる、ものじゃ…………」

 母親の悲鳴を聞いて、咄嗟に自分の部屋のクローゼットに隠れた。

 妹たちの泣き叫ぶ声を聞いて、足が竦んで、恐怖に包まれて、動けなくなった。

 隠れることしかできなかった。

 相手は女だったのに。

 怖くてどうしようもなくて、立ち向かうことができなかった。

「おいどうした? そのガキこらしめてやってくれよ。俺らは先にこいつで遊んどくから」

 金髪ロン毛がなにか言っている。

 どうでもいい。

 家族が死んだのは愛実のせいじゃない。

 そんなことはわかっていた。

「……違うんだ」

 でも、どうしていいかわからなかった。このやり場のない感情と、隠れることしかできなかった自分に対する怒りと、向き合うことができなかった。自分は悪くないんだ! 他人のせいにしたかった。弱さを、家族を守る勇気がなかった弱虫の自分を、認めたくなかった。

「ゆちあ! いいからもう逃げなさい!」

「逃げるもんか! おかーさんを助けるんだ!」

 愛実の言うことを無視して、こんな小さな子供が大人相手に勇敢に立ち向かおうとしている。

 それを無謀だと、誰が笑えるだろうか。

 本当に逃げているのは誰だ?

 ここにいる愛実だって、いつだって現実から逃げなかったじゃないか。

 それもきっと羨ましかったのだと思う。

 愛実は自分のしたことをちゃんと認めて、恨まれる可能性の方が高いのに、きちんと謝罪をしにきた。

 被服準備室で頭を下げた彼女を見た瞬間、賢太郎の中では惨めさが爆発していた。きちんと謝れる勇気を持っている愛実が羨ましかった。現実から逃げずに立ち向かって、伝える必要なんかなかったのに勇気を持って謝罪する姿を見せつけられて、羨望が嫉妬に、そして憎悪に変わった。

 いや、この思考だって、まるで愛実が悪いみたいな考え方だ。

 ただ夢見賢太郎という人間が、ひたすらに弱虫だっただけなのに。

 勇気が無かっただけなのに。

 賢太郎は、自分の太ももを思い切り殴った。

「おい。ゆちあとか言ったか」

 賢太郎はゆちあの腕を掴んだ。「離せわるもの!」と暴れるゆちあの隣でしゃがみ、耳元で話しかける。

「俺は悪人じゃない。正義のヒーローだ。俺があいつらを引きつけてる隙に、君はおかーさんと逃げるんだ」

「正義の、ヒーロー?」

「ああ。ヒーローは遅れて登場するもんだからな」

 くいっとサムズアップすると、「わかった」とゆちあが力強く返事をしてくれる。

「おにーさんの笑った顔優しいから、絶対いい人だ」

 子供がそう思ってくれるような顔がまだできたんだという事実が、賢太郎によりいっそうの勇気を与えた。

「よし、じゃあやるぞ!」

 賢太郎は立ち上がり、不良三人衆へ視線を向ける。

「お前ら! この世に蔓延る悪事は、この正義のヒーローが許さんぞ!」

「あ? お前なに言ってんの?」

 振り返った金髪ロン毛の眉間にしわが寄る。

 パンチパーマと剃り込みは、

「正義のヒーローって」

「ダサっ」

 と腹を抱えて笑っていた。

「ダサくなんかねぇ! 俺は星座戦隊オリオンレッドだ! 星の彼方から悪を成敗しに来たんだ!」

 昔、本気でなりたい、なれると信じて疑わなかったキャラクター、オリオンレッド。

 だからその文言も、変身のポーズも、子供のころに何度も何度も真似をした。今でも体が覚えている。

 ああ。

 ようやくあのころの夢を叶えられたんだ。

 足が浮足立っているのがわかる。

 って、なんて情けない夢の叶え方だろう。

 自作自演って。

 賢太郎は、今のこの状況が急におかしく思えてきて、小さく笑った。

「この世に蔓延る悪党どもを、星の力で成敗する」

 賢太郎が三人の視線を引きつけている間に、ゆちあが不良三人衆の後ろにいる愛実にひっそりと近づき、

「オリオンレッドの拳には、宇宙に散らばる星たちの輝きが宿っているんだぁ!」

 賢太郎が大仰に拳を空高く突き上げた時、ようやくゆちあが愛実の手を取った。

 よしっ! いいぞゆちあ!

 ここは星義のヒーローオリオンレッドにまかせて、おかーさん連れてさっさと行くんだ!

 心の中でつぶやくと同時に、ゆちあと愛実が一目散に走りだす。

 パンチパーマがそれに気がついて追いかけようとしたが……そんなこと絶対にさせるものか!

「喰らえ! 星義の鉄槌(オリオンジャッジメント)!」

 賢太郎が叫びながら、パンチパーマめがけてその拳を放った。

 パンチパーマの頬に星義の鉄槌(オリオンジャッジメント)がぶち当たる。

「……ってめぇ、やりやがったな!」

 パンチパーマから即座に頬を殴り返される。間髪入れずに金髪ロン毛からも腹を殴られた。

 ははは、俺、よえぇ……と、賢太郎は自分を嗤った。

 でも、まだだ。

 もう少し、逃げる時間を確保しないと。

 オリオンレッドは決して悪から逃げないんだ!

「星義は必ず勝つんだぁ!」

 賢太郎は三人に囲まれながらも必死で戦う。

 自分の心に宿った弱き者を救う星義のヒーロー、オリオンレッドの魂を誇らしく思いながら。