莉子がキッチンで皿洗いをしている間に、俺はゆちあとともにお風呂に入る。

 二人で湯船につかっている時に、ゆちあと向かい合ってようやく声をかけた。

「今日のあれはよくないぞ。せっかく莉子おねーちゃんが作ってくれたんだから、感謝しなきゃ」

「でも、おかーさんの味と全然違うもん」

 ゆちあは唇を尖らせて言い返してくる。

「それは、そうかもしれないけど」

「ゆちあはね、おかーさんの作る肉じゃがが食べたかったの。おかーさんと一緒にいたいの。なんでおかーさんはゆちあに会いに来ないの?」

「それは……」

 俺はなにも答えられなかった。

「おとーさんだって、おかーさんと会えなくて寂しいでしょ?」

「……」

「おとーさんだって、おかーさんの味と違うって思ってるでしょ?」

「……」

「おとーさんだって、夜ご飯食べる時、ものすごく悲しそうな顔してるんだよ」

「え? おとーさんが?」

 ゆちあがこくりと頷く。

 知らなかった。

 笑顔を作っていたはずなのに。

「そう、か……。おとーさんも」

 愛実が来なくなってから、俺はゆちあを悲しませまいと常に明るく振舞おうとしてきた。

 今日だって、愛実のいない食卓を和ませようと頑張っていた。

 でもゆちあには、俺が悲しそうな顔をしているように見えていたなんて。

「おとーさんも、おかーさんのごはん食べられなくて、悲しいんでしょ?」

「…………ああ。悲しい」

 俺はゆちあの前で、ゆちあの前だからこそ認めてしまった。

「ゆちあのおかーさんと一緒にごはん食べられないから、物足りない」

 莉子には悪いけれど。

 俺だって心の中ではそう思ってしまっている。

 ダイニングテーブルに三人で座った時、俺の隣にはゆちあがいて、俺の正面には莉子が座っている。それがわかっているのに、俺はなにかしゃべろうとする時、いつもゆちあの前の誰も座っていない席をまず見てしまう。愛実が座っていた席を見てしまう。

「でしょ? ゆちあもすっごく悲しい」

 ゆちあが俺の手をぎゅっと握りしめる。

 心を直接握られているのかと思った。

「おかーさん。明日は絶対来てくれるよね」

「ああ。きっと来るさ。だってゆちあのおかーさんなんだから」

 絶対に、と言えなかった自分が情けない。

 ゆちあの頭をなでながら、俺は奥歯を噛みしめる。

 なにやってんだよ愛実。

 ゆちあにこんな顔させやがって。

 しかし、そんな俺たちの思いとは裏腹に、その翌日も愛実は来なかった。

 もちろん音信不通。

 莉子も「今日はごめん。忙しいから」と料理を作りに来なかった。

「おかーさん、今日も来ないの?」

「忙しいんだろ」

 その翌日も音沙汰なし。

 愛実と連絡が取れなくなって、もう一週間だ。

 なにやってんだよ愛実!

 でも考えてみれば、こうなる予兆はあったかもしれない。

 三人で遊園地に出かけた日を境に、愛実はぼうっと考え込むことが増えていた気がする。

 食器を何度も落としたり、俺が話しかけても返事をしなかったり、どこか上の空が続いていた。

「おかーさん、ゆちあのこと嫌いになっちゃったの?」

「もうおかーさんと会えないの?」

 ゆちあの悲しそうな顔を見るたびに、胸が痛んだ。

 くそっ。

 愛実のやろう。

 ゆちあをこんなに悲しませやがって。

 曲がりなりにも、ゆちあからおかーさんって呼ばれてるだろうが。

 もちろん、お前のお父さんは俺とかかわってほしくないと思ってるから、これが本来のあるべき姿なのかもしれないけど、ゆちあに会わないのは違うだろ。

「ゆちあ、心配するな。おとーさんが直接話をつけてくる。一緒に帰ってくるから」

 だから俺は、愛実の家に乗り込もうと決めた。

 ゆちあを莉子に預けて、単身で愛実の実家に乗り込む。

「ゆちあも行く!」

 と駄々をこねられたが、とある事情からゆちあを連れていくことはできなかった。

「昨日ね、愛実が駅前を歩いてるの偶然見たんだけど、髪を金色に染めてたんだよね。もちろん見間違いかもしれないけど、あの歩き方は間違いなく愛実だったよ」

 莉子にそう言われた時は、俺だって驚いた。

「しかも愛実、学校も無断で休んでるらしいの」

 その驚きは、次第に怒りに変わっていった。

 なにやってんだよ愛実!

 お前は医者になるんだろ!

 勉強のストレスでなにもかもどうでもよくなっちまったってのかよ!

 才能あるんだから、ちゃんとやれよ!

 俺は今日、愛実を説得すると言うより叱るつもりだ。

 もし家にいなくても、帰ってくるまで家の前で待ち続けてやる!

「おとーさん。絶対おかーさんと一緒に帰って来てね」

「ああ。約束だ。ゆびきりげんまんだ」

 俺が小指を差し出すと、ゆちあがその小さな小指を絡めてきた。

「ぜったい、ぜったーい、約束だからね」

「当然。死んでも守る」

 ゆちあの小さな体に込められた願いを、俺はつながった小指を通してしっかりと受け取った。

 だからこそ。

 なあ、愛美。

 俺を嘘つきにだけはさせないでくれよ。