「智仁、変わらないなぁ」

 愛実は思わずスキップし出してしまうくらい浮かれていた。

 智仁とまた話せるようになったことが、智仁が変わらず優しかったことがとにかく嬉しかった。

 勇気を出して、ゆちあを連れて智仁の家に行ってよかったと、昨日の自分を褒めたたえる。

「でも……」

 ふと足をとめて、アスファルトの上に落ちている自分の影へ視線を落とす。

 このままでいいのだろうか。

 いつまでこのままでいられるのだろうか。

「誘拐、なんて嘘……いつまで」

 信じてもらえるだろう。

 実際、ゆちあは気がついたら手をつないでいた不思議な子供だ。

 それを言っても智仁は信じてくれなかったので、とっさに智仁が言った『誘拐』という言葉に乗っかった。

「普通はそう考えるよねぇ」

 もし私が智仁の立場だったとしたら同じような推測を立てるだろうと、愛実は思う。

 まあ、今は別にこのままでも悪くないか。

 ゆちあの正体――私だってそれを完全に信じているわけではないけれど、そう考えなければ説明がつかない――を伝えたら、『そんなバカな話があるか。こんな幼い子供を利用して、ふざけてんのか』と智仁から糾弾されて、最悪、もう二度と会ってもらえないかもしれない。

 だって智仁は、山吹愛実を恨んでいるはずだから。

 智仁が本当の意味で山吹愛実を許してくれているわけがない。

 今回だって、切羽詰まった事情があるがゆえの誘拐だと誤解しているから、本当の感情を押し殺して協力してくれているだけだと思う。

 昨日、あの日離してしまった手を、本当の意味でつなぐことは叶わなかった。それだけは明確に智仁から拒絶された。

「私が、智仁の心に」

 とどめを刺した事実は変わらない。

 高校の合格発表の日。

 自分の番号を見つけて、愛実は安堵と興奮で浮かれてしまった。

 不安や緊張から解放されて心がハイになり、智仁の手を離して掲示板の前に向かうなんて愚行をかますバカ女は、他人が落ちている可能性を考えてもいなかった。

「ねぇ、一緒に写真撮ろう」

 と振り返ったが、そこに智仁はいなかった。

 なにがなんだかわからなかったのは一瞬だけ。

 すぐに智仁は落ちたのだと理解した。

 それを信じたくなくて、智仁の不合格を考えもせずに浮かれてしまった自分のアホさを信じたくなくて、事前に聞いていた智仁の受験番号を必死で探した。どこにもなかった。

 やがて、携帯にメールが届いた。

《ごめん。俺落ちてた。先帰るわ(笑)》

 思わず携帯を落としそうになった。

『(笑)』って……。

 心配をかけないようにしてくれた智仁の優しさが胸に突き刺さった。

 すぐに駅まで走ったが、智仁はどこにもいない。

 なんとかして智仁を元気づけないと、と酸欠のままそのメールに返信した。

《智仁なら大丈夫だよ。ここからここから》

 本当にバカだ。

 気が動転していなければ、あんな返信しなかったのに。

 受かった側が落ちた側にどんな言葉をかけてもそれは皮肉になる。

 受験とはそういうものだ。

 あの返信のせいで、智仁の心は完全に折れてしまったに違いない。

「……って」

 隣を自転車が通り過ぎたことで我に返る。どれくらいボーッとしていたのだろう。スマホで時間を確認。急がないと学校に間に合わない。

「でも今は、この幸せを噛みしめてもいいよね」

 そうつぶやいてから、愛実は小走りで駅へ向かった。