――どこからか声が聞こえる。そして、鼻先が花粉症みたいにくすぐったい。

「この子全然起きないのね。野生はどこへ行ったのよ」

「奥様に野生を期待されない方がよろしいかと」

 ムニャムニャ……野生って何それ美味しいの?

「顔を前足で隠して寝ているのはどうして?」

「箱から出されて眩しいからだそうです。布団にくるまって抱っこして寝ると、そういうこともないそうですよ」

「なんだか妻っていうより飼い猫ね。まあ、そう考えると腹も立たなくなってきたわ」

 そこでついにムズムズに耐え切れずに、私は盛大なくしゃみをした!

「ニュ……ニュエックシュン!!」

「何するのよ! 汚いわね!」

 キンキン声にようやく目を覚まし、なんとマリカ様が私の顔を覗き込んでいたので驚いた。手にはなぜか猫じゃらしを持っている。

……まさか常備されているのですか? あのどM王太子と猫じゃらしプレイもされたのだろうか。その前にお茶の間にマリカ様がここに来たの!?

 驚に目がまん丸になった私を前に、マリカ様はすっと立ち上がると、くいと顎でどこかの方向を指し示した。

「やっと起きたの。グズグズしていないで帰るわよ」

 帰るってどこにと戸惑う私に「もちろんカレリアによ」告げる。

 いや、ちょっと待って。マリカ様が宿屋にいることもそうだけど、今私は猫の姿のはずなのに、どうして言いたいことがわかるの!?

「あなたって単純だから表情でわかるわよ」

 ううっ、前にアトス様にも同じことを言われた気が。魂レベルで引きずっている性格だから、今更変えようがないのが悲しい。

 私は前足をついて体を後ろに反らし、続いて後ろ足と背をうんと伸ばして凝りをほぐした。

 どうもあれから箱から出され、ベッドの上に置かれたみたいだ。部屋には部下の魔術師もいた。

 私は人間に戻って部下を見上げた。

「マリカ様はアトス様とあなたが助けたの?」

「はい。ほとんどは副総帥がされたことですが……」

 アトス様はなんと風の魔術で小型の台風ドリルを錬成。マリカ様のいる牢まで地下を掘り進め、そのトンネルから連れて戻ったのだとか。

 魔術師ってやっぱり重機だわ……。

 やっぱりアトス様は並みではないと感心していると、扉が開けられアトス様……ではなく、アト子様が入ってきた。

「準備は済ませたか」

「はい。すぐにでも出られます」

 地下牢には定期的に見回りが来るので、マリカ様が逃げ出したのだとはすぐにバレる。追手が来る前にカレリアに帰ろうということだった。

 アト子様がマリカ様に「こちらにお着替えを」と、男の子の服一式と帽子を差し出す。マリカ様には男装をしてもらうみたいだ。更に部下を振り返って説明する。

「お前と私は夫婦、マリカ様は私の弟ということにしておこう。アイラ、君は変身しなさい。私たちのペットという設定だ」

 なんで私だけ猫バージョン!?って、顔面偏差値の差ですかそうですか。美男美女の一家に一人だけ平凡顔が混じっていたら不自然だものね、うっうっうっ……。

 こうして私は再び猫に変身してキャリーバッグに詰められ、アト子様ご一行とともに国境近くの街へ向かった。

 街は国境に沿って配備された兵士らがいる以外は、特に変わったところもないように思えた。

 ちなみに、カレリアとリンナは仲が悪いとはいえ、国交がまったくないわけではない。商人は両国の許可証をもらって交易をやっている。その許可証をすでに取得した商人から買い取り、成り済まして抜け出そうということみたいだった。

「カレリア側にはすでに迎えが来ているはず。マリカ様は彼らにともない、すぐに王宮に戻るようにと陛下から伝書鳩で連絡がありました」

「きっとお説教を二時間は食らうわよね……」

 まあケガもなかったことだし、それくらいで済むのならええじゃないか。

 何せアト子様がついているのだから心強い。それでも出入国審査で許可証をチェックされ、荷物を調べられた時にはドキドキした。

 マッチョで黒々と光るおっさん審査官が、キャリーバッグに詰められた私を見下ろす。手にはアトス様の申請した荷物の持ち出しリストがあった。そう、ペットは荷物扱いなのだ、うわぁあん!

「これが最後の荷物だな。ふむ、ペットの猫か。名前は"世界一可愛いアイラたん"、……変わったネーミングセンスだな。一歳、メス……」

 淡々と一つ一つを読み上げていく。やがて審査官はアトス様と部下の魔術師に「行ってよし」と告げた。

 やった!

 こうして私はアトス様に持ち運ばれ、国境線上に設置された門の前へとやって来た。

 カレリアとリンナは高さ五メートルはある、万里の長城リンナ版で分かたれている。数十メートルおきに衛兵がいて、厳重な警備体制になっていた。通り抜けるには空を飛ぶか、唯一ある石造りの門を潜るしかない。この門は地球のパリの凱旋門そっくりだった。

 私たちはゆっくりと門の下を歩いていき、ついにカレリアの領土に足を踏み入れた!

 ところが次の瞬間、背後から「待て!」と怒鳴り付けられる。

「お前たちはカレリアの間諜だな。よくもここまでこの私を馬鹿にしてくれる」

 聞き覚えのある声に私はまさかと息を呑んだ。キャリーバッグの格子から目を凝らす。私たちの後ろには背の高い影が立っていた。

 やっぱりあの変態猫好きのおっさんじゃありませんか!