こうしてなにがなんだかわからないうちに、いつの間にやら社畜から猫、猫から人妻になるという、一般人とはいささか異なるルートを辿り、私は十七歳で結婚するに至った。
アトス様は手際よく私の実家に挨拶に行く段取りをつけると、初めての夜から一週間後にはもう両親、弟妹一同と顔を合わせていた。
お屋敷の厨房の四分の一ほどしかない、貧乏を壁に塗り込めたような我が家に、キラキラ光り輝く魔術師が現れたのだからさぁ大変。
お父さんとお母さん、弟妹たちは目を輝かせて、アトス様と私を中心にテーブルを囲んだ。
「いやあ、まさかお前がこんな玉の輿に乗るとはなあ!」
お父さんがガハハと笑いながら、まだ真っ昼間なのにエールを煽る。
猫族の血が濃いはずなのに、どうしてこうも飲兵衛なのかしら……。
「アイラちゃんもやるわねえ。さすが私たちの娘だわあ~」
お母さんはアトス様のジョッキに、やはり真っ昼間なのにエールを注いだ。弟妹たちは状況をよく把握していないのか、とりあえず騒いでおけといった感じで、「きゃー」「わー」と部屋を走り出している。
アトス様はそんなやかましさにも顔色一つ変えなかった。
「つきましては、三ヶ月後には挙式、披露宴を行うので、お義父さん、お義母さん、ご兄弟の皆様にも出席していただきたいのですが……」
「おー、そりゃいいな! たんと飲めるんだろ?」
「お料理が楽しみよねえ。お持ち帰りできるのかしら?」
「きゃー」
「わー」
今夜借金で夜逃げになろうと、娘がとんでもない相手と結婚しようと、うちの家族っていつ何時もこんな感じよね……。ある意味大物と言っていいのだろうか。
私が遠い目になっていると、お母さんが「そういえば」と首を傾げた。
「魔術師様のご両親はいらっしゃらないんですか?」
アトス様は両親と聞いて小さく頷いて説明する。
「ええ。私の父は私が生まれる前に事故で亡くなっております。母は十二歳ごろまでは私を育ててくれたのですが、その後行方不明になりまして、現在の養父に引き取られました」
人づてに聞いては知っていたけど、アトス様自身が家族の話をするのは初めてだった。
「まあ、それはお気の毒に……」
「養父のクラウスが……魔術師団の総帥が代わって出席しますので、よろしくお願いします」
「おお、そりゃ景気のいいメンツだなあ」
私は二杯目のエールを飲み干すお義父さんから、こっそりアトス様の横顔に目を移した。
思えば私はアトス様のことを、イケメンエリート魔術師なのだとしか知らない。どんな育ち方をしたのかとか、猫以外の好きなものはなんなのかもわからない。これから一緒にあのお屋敷で暮らすことになれば、だんだん知っていけるのだろうか。
お父さんとお母さんとアトス様は、もう式に誰を呼ぶかの相談に入っている。私もエルマさんを招待しようと考えていると、出入り口の扉が軋む音がしたので振り返った。
「あら、ミーア」
少し前からうちで飼い始めた猫のミーアだった。遊んでいたところから帰ってきたのだろうか。
丁寧に毛づくろいをしているのか、あの真っ白な長い毛には汚れがまったくない。相変わらず気品のある猫だった。アクアマリンのような澄んだ水色の目が、お父さんでも、お母さんでも、弟妹でも私でもなく、アトス様を真っ直ぐに見つめている。
気配を感じたのかアトス様がミーアに目を向ける。そして、目を見開いてその場から立ち上がった。勢いで椅子が倒れてけたたましい音を立てる。
「おい、魔術師様、どーしたんだい」
「もう酔っちゃいましたか?」
驚くアトス様の顔を見るのは初めてで、私も何事かと続いて席を立った。
「アトス様、どうしたんですか?」
アトス様は私の声なんて聞いちゃいなかった。
「……あなたは、まさか」
アトス様もミーアを見つめ返している。やがて、つかつかとミーアに歩み寄ったかと思うと、感極まったようにその胸に抱いたのだ……!!
にゃ、にゃ、にゃ、なんですって!? 猫好きだとは知っていたけど、すわミーアと浮気か!?
呆然とする私と家族を前に我に返ったのか、アトス様は顔を上げて「失礼しました」と謝った。
「この子はこの家で飼っているのでしょうか?」
弟が「そうだよー」と胸を張った。
「ちょっと前迷い込んできたの。ミーアって言うんだ。可愛いでしょう?」
「迷い込んできた……」
アトス様は胸のミーアを見下ろしていたけど、すぐにそっと下ろして椅子を直した。
「申し訳ございません。話を進めましょうか」
「あ、ああ。だが、いいのかい?」
アトス様はテーブルの上に手を組むと、人当たりのいい微笑みを浮かべた。
「ええ。昔飼っていた猫にそれはそっくりだったので、驚いたんです」
「ああ、なるほどなあ。気持ちはよーく理解できるぞ。猫は人生そのものだもんなあ」
「お義父さん、わかっていらっしゃる」
それからまた話が盛り上がったものの、私はさっきのミーアに対しての、アトス様の態度が気になって仕方なかった。
それから二時間ほどしてお屋敷に帰るころになると、アトス様は町の共同トイレに行くから、十分ほど待ってくれと言って一人で外へ出て行った。
野生のカンとでもいうべきなのだろうか。私は何かがあるとピンと来て、こっそりアトス様の後をつけて行った。
ううっ、これって夫と愛人の浮気を疑って、現場を押さえに行く妻そのものじゃないの。それにしても、前々から疑問ではあったんだけど、アトス様の恋愛対象って猫族だけ? それとも人間と猫も含まれるのかしら!? 国家財政よりよっぽど重要な問題だわ!
アトス様は曲がり角を曲がると、トイレではなく井戸のある裏道へ向かった。
こ、これはやっぱり密会くさい……!
私はどこぞの家政婦を見習って、建物の影からこっそり顔を覗かせた。
井戸の近くに真っ白な猫が座っていて、アトス様がそこに近付いていく。
うわーん、やっぱりミーアと浮気だった! 猫もばっちり対象になるって、私には今後ライバルがどれだけ増えるわけ!?
ショックのあまり顔面百面相になる私をよそに、アトス様はミーアの前で片膝をついた。
「なぜ、こんなところにいるのですか? どれだけ心配したと思っているのですか!?」
ん? 愛人にしてはなんだか様子が変だ。
私は息を殺して一人と一匹の会話に聞き耳を立てた――
アトス様は手際よく私の実家に挨拶に行く段取りをつけると、初めての夜から一週間後にはもう両親、弟妹一同と顔を合わせていた。
お屋敷の厨房の四分の一ほどしかない、貧乏を壁に塗り込めたような我が家に、キラキラ光り輝く魔術師が現れたのだからさぁ大変。
お父さんとお母さん、弟妹たちは目を輝かせて、アトス様と私を中心にテーブルを囲んだ。
「いやあ、まさかお前がこんな玉の輿に乗るとはなあ!」
お父さんがガハハと笑いながら、まだ真っ昼間なのにエールを煽る。
猫族の血が濃いはずなのに、どうしてこうも飲兵衛なのかしら……。
「アイラちゃんもやるわねえ。さすが私たちの娘だわあ~」
お母さんはアトス様のジョッキに、やはり真っ昼間なのにエールを注いだ。弟妹たちは状況をよく把握していないのか、とりあえず騒いでおけといった感じで、「きゃー」「わー」と部屋を走り出している。
アトス様はそんなやかましさにも顔色一つ変えなかった。
「つきましては、三ヶ月後には挙式、披露宴を行うので、お義父さん、お義母さん、ご兄弟の皆様にも出席していただきたいのですが……」
「おー、そりゃいいな! たんと飲めるんだろ?」
「お料理が楽しみよねえ。お持ち帰りできるのかしら?」
「きゃー」
「わー」
今夜借金で夜逃げになろうと、娘がとんでもない相手と結婚しようと、うちの家族っていつ何時もこんな感じよね……。ある意味大物と言っていいのだろうか。
私が遠い目になっていると、お母さんが「そういえば」と首を傾げた。
「魔術師様のご両親はいらっしゃらないんですか?」
アトス様は両親と聞いて小さく頷いて説明する。
「ええ。私の父は私が生まれる前に事故で亡くなっております。母は十二歳ごろまでは私を育ててくれたのですが、その後行方不明になりまして、現在の養父に引き取られました」
人づてに聞いては知っていたけど、アトス様自身が家族の話をするのは初めてだった。
「まあ、それはお気の毒に……」
「養父のクラウスが……魔術師団の総帥が代わって出席しますので、よろしくお願いします」
「おお、そりゃ景気のいいメンツだなあ」
私は二杯目のエールを飲み干すお義父さんから、こっそりアトス様の横顔に目を移した。
思えば私はアトス様のことを、イケメンエリート魔術師なのだとしか知らない。どんな育ち方をしたのかとか、猫以外の好きなものはなんなのかもわからない。これから一緒にあのお屋敷で暮らすことになれば、だんだん知っていけるのだろうか。
お父さんとお母さんとアトス様は、もう式に誰を呼ぶかの相談に入っている。私もエルマさんを招待しようと考えていると、出入り口の扉が軋む音がしたので振り返った。
「あら、ミーア」
少し前からうちで飼い始めた猫のミーアだった。遊んでいたところから帰ってきたのだろうか。
丁寧に毛づくろいをしているのか、あの真っ白な長い毛には汚れがまったくない。相変わらず気品のある猫だった。アクアマリンのような澄んだ水色の目が、お父さんでも、お母さんでも、弟妹でも私でもなく、アトス様を真っ直ぐに見つめている。
気配を感じたのかアトス様がミーアに目を向ける。そして、目を見開いてその場から立ち上がった。勢いで椅子が倒れてけたたましい音を立てる。
「おい、魔術師様、どーしたんだい」
「もう酔っちゃいましたか?」
驚くアトス様の顔を見るのは初めてで、私も何事かと続いて席を立った。
「アトス様、どうしたんですか?」
アトス様は私の声なんて聞いちゃいなかった。
「……あなたは、まさか」
アトス様もミーアを見つめ返している。やがて、つかつかとミーアに歩み寄ったかと思うと、感極まったようにその胸に抱いたのだ……!!
にゃ、にゃ、にゃ、なんですって!? 猫好きだとは知っていたけど、すわミーアと浮気か!?
呆然とする私と家族を前に我に返ったのか、アトス様は顔を上げて「失礼しました」と謝った。
「この子はこの家で飼っているのでしょうか?」
弟が「そうだよー」と胸を張った。
「ちょっと前迷い込んできたの。ミーアって言うんだ。可愛いでしょう?」
「迷い込んできた……」
アトス様は胸のミーアを見下ろしていたけど、すぐにそっと下ろして椅子を直した。
「申し訳ございません。話を進めましょうか」
「あ、ああ。だが、いいのかい?」
アトス様はテーブルの上に手を組むと、人当たりのいい微笑みを浮かべた。
「ええ。昔飼っていた猫にそれはそっくりだったので、驚いたんです」
「ああ、なるほどなあ。気持ちはよーく理解できるぞ。猫は人生そのものだもんなあ」
「お義父さん、わかっていらっしゃる」
それからまた話が盛り上がったものの、私はさっきのミーアに対しての、アトス様の態度が気になって仕方なかった。
それから二時間ほどしてお屋敷に帰るころになると、アトス様は町の共同トイレに行くから、十分ほど待ってくれと言って一人で外へ出て行った。
野生のカンとでもいうべきなのだろうか。私は何かがあるとピンと来て、こっそりアトス様の後をつけて行った。
ううっ、これって夫と愛人の浮気を疑って、現場を押さえに行く妻そのものじゃないの。それにしても、前々から疑問ではあったんだけど、アトス様の恋愛対象って猫族だけ? それとも人間と猫も含まれるのかしら!? 国家財政よりよっぽど重要な問題だわ!
アトス様は曲がり角を曲がると、トイレではなく井戸のある裏道へ向かった。
こ、これはやっぱり密会くさい……!
私はどこぞの家政婦を見習って、建物の影からこっそり顔を覗かせた。
井戸の近くに真っ白な猫が座っていて、アトス様がそこに近付いていく。
うわーん、やっぱりミーアと浮気だった! 猫もばっちり対象になるって、私には今後ライバルがどれだけ増えるわけ!?
ショックのあまり顔面百面相になる私をよそに、アトス様はミーアの前で片膝をついた。
「なぜ、こんなところにいるのですか? どれだけ心配したと思っているのですか!?」
ん? 愛人にしてはなんだか様子が変だ。
私は息を殺して一人と一匹の会話に聞き耳を立てた――