帝には何人もの子がいる。規定の年齢を満たすと公主(ひめ)や皇子は城を出て自らの殿を構えるが、数名は宮城内に残る。帝による後継者指名は崩御後に明かされるが、それは城に残った者から選ばれるのであって、宮城に住まう皇子は後継者候補とも言える。その一人が、(えい)秀礼(しゅうれい)だった。隠れ里で過ごし、世俗に疎い華仙(かせん)紅妍(こうけん)はそのことをよく知らない。

 ほどなくして一行は内廷にある震礼宮(しんれいきゅう)へと向かった。
 内廷の中央には帝が住まう光乾(こうけん)殿(でん)があり、周囲には皇后が住んでいた宮や貴妃、妃たちの宮がある。皇子らの宮は光乾殿より少し離れた位置に構えられ、震礼宮は北西の奧にあった。震礼宮は青藍色を基調とし、柱や門は青藍に輝いている。
 着いたのは震礼宮の奥部、客人を出迎えるための間ではなく、最低限の調度品しか置かれていない質素な房間(へや)だった。秀礼は(とう)に腰掛けると、そのそばに()清益(しんえき)がついた。

「華仙紅妍、大都はどうだ?」
「どれも初めて見るものばかりで驚きました。まさかこんなにも人がいるなんて」
「だろうな。あの里は時代に背をむけていた」

 里のことを思い出したのか、秀礼が口元を緩める。小馬鹿にしたような仕草から、彼はあの里を快く思っていないのだと伝わる。

「お前の故郷は、文や遣いに返事を出すということを知らぬようだからな。あれでは大都の繁栄も耳に入るまい」
「文や使いを送っていたのですか?」

 唖然と問う紅妍に頷いたのは、秀礼のそばに立つ清益である。

「華仙術を用いる娘をお借りしたいとの旨、何度も文を出しておりますよ。どれも里からはお返事いただけませんが」
「華仙とは字も読めぬ者の集いかと思い、使者も送っている。一人として帰ってこなかったがな」

 華仙の里は外部の者を嫌う。特に宮城からとなれば長たちは拒否していただろう。(ふもと)の村まで調達に向かう者は華仙の名を隠していくのだと聞いた。宮城からやってきた使者は長や婆が内密に処分していたのかもしれない。

「お前としては突然都に連れ出されたようなものだろうが、我らとしても長く待ったのだ。それでどうだ、里に帰りたいか?」

 秀礼に問われ、紅妍は迷った。馴染みがあるのは華仙の隠れ里だが、帰ったところで婆や姉の白嬢(はくじょう)に疎まれる事実は変わらない。大都を知った者として殺されることだって考えられる。
 どうせ殺されるのならばどこであろうと変わらない。紅妍は首を横に振った。
 逡巡から否定まで、紅妍をつぶさに眺めていた秀礼は小さく呟く。

「……だろうな」

 まるで紅妍の答えがわかっていたかのような呟きだ。

「華仙一族というのは理解できないな。お前が隠れていた室の奥に、もう一人の娘がいただろう。あれは身なりも良いのに、お前は枯れ枝に襤褸切れ引っかけたようなひどさだ。これでお前が偽物であり華仙術も使えないとなれば、お前も一族も斬り捨てていただろう」

 隠れていた白嬢のことも見抜かれていたと知り、紅妍は驚きに顔をあげた。その反応を見た秀礼がにたりと笑う。

「気づいてないとでも思ったか。音を立てて木箱が震えているのだ、人が隠れていると誰でもわかる。堂々と室を出てきたお前に対し、奥に潜む者は臆病の顔をしていたからな。あれでは鬼霊に立ち向かえるまいと知らぬふりをしたまでだ。あの女の方が華仙術に優れているというのなら話は別だが、実際はどうだ?」

 華仙術が優れているのは紅妍の方であり、白嬢は花詠みも満足に出来ない。だがこの場で白嬢のことを話すのは気が引け、紅妍は口を引き結んだ。

 無言から何を読み取ったのか秀礼は満足げに「よい」と手で制した。ひとつ咳払いをし、再び口を開く。

「お前に引き受けて欲しいことがある」

 空気が張り詰める。清益は変わらず微笑んではいるが、瞳が冷えていた。宮城に紅妍を呼び寄せた理由はこれなのだと重い空気が語っているようで、自然と唾を飲みこんでいた。その音は張り詰めていた紅妍の身によく響く。

「公にはされていないが帝は臥せっておられる」

 清益も口を開く。

「大都では疫病が流行っていますが、それとは異なります――何人もの宮医が診ましたが原因はわかりません」
「ああ。だが、それは《《表向き》》だ」
「となると、秀礼様は理由がわかっているのですね」

 紅妍が問う。これに秀礼、そして清益が頷いた。

「おそらく(まじな)いだ。それに宮城には鬼霊が多い。何者かに呪詛をかけられたか鬼霊に祟られたのだろう」
「それで華仙術の使いが必要になったと……」
「鬼霊であれば宝剣で叩き斬ることができるが呪詛であれば太刀打ちできぬ。昔に宮城にいたという華仙術使いが呪詛や鬼霊祓いに優れていたと調べた。そこで華仙一族の生き残りを探したのだ」

 華仙術は花詠みと花渡しを主とする。花渡しは浄化することであり、鬼霊や呪いといったものを祓うのは得意とするところだ。帝を苦しめるものは断定できないが、呪詛鬼霊の類いであるならば紅妍でも祓うことができるだろう。
 秀礼は瞳をすっと細める。射貫くように鋭く、紅妍を睨めつけた。

「ここまで来て、この話を聞いているのだ。拒否すればお前の首を跳ねる。失敗しても同様だ。その首が地に落ちると思え」

 紅妍が逃げ出さぬよう脅しのつもりとして秀礼は言ったのだろう。だが紅妍は元より居場所のない身。里に帰ってもいずれ殺されてしまうだろう。山を下りると決まった時から死の覚悟はできている。椅子を降りて床に膝をつく。両手を胸の前で組んだ。

「里を出た時から死は覚悟しております。力の限り尽くすと、誓います」

 それに対し秀礼はというと、自ら脅しておきながらも不思議そうに首を傾げていた。

「お前はよくわからんな。まだ若いだろうに枯れ枝のような痩身をし、生を諦め達観している。華仙術の使い手はみな厭世的なのか」

 白嬢や婆は厭世的でなかったが、どちらも華仙術の力は紅妍ほどに強くない。過去の華仙術の使い手がどうであったのかは知る由もなく、紅妍は黙りこむしかなかった。