「〝切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)イタリアに蘇る〟何ともまあ、物騒な事件ですね」

 先程届いたばかりの夕刊に目を通しながら、エドアルドは呟いた。
 まだ開店前の店内には三人の人物がいる。
まず一人。掃除の手を止め、眼鏡の位置を直しながら新聞を読んでいる男――エドアルド・ロレンツィ。

「新聞もいいけど、さっさと手を動かして欲しいんだけど……っていっても聞こえてないよなあ」

 次に二人目。カウンターを丹念に磨き上げながら、呆れたようにエドに言葉をかける女性――ジーナ・アルマーニ。一応この〝STRAY SHEEP〟の店主である。

 新聞を読み始めてからずっと手を止めているエドに働けと声を掛けているのだが当の本人の耳には入っていないようで、空返事しか返ってこない。
「働いてよ」といえば「もう少し」と答える。先程からこの押し問答がずっと続いていた。

「被害者は女だし、見事に臓器も持ち出されてる。昔イギリスで騒がれた〝切り裂きジャック〟と同じ犯行だ。路地裏とはいえ外で殺されてるっつうのに、不思議なことに目撃者が一人もいねえし、証拠もねえ。やる気なくすぜ本当によ」

 最後に一人。エドと向かい合った席に座りながら珈琲を啜っている男――オラーツィオ・ベルモンド。
開いた胸元、着崩したスーツ。ブロンドヘアはこだわりのオールバックに整え、顎に無精ひげを蓄えた生粋のイタリア人男。この風貌で刑事だというのだから驚いたものだ。

「オラーツィオがいい加減なのはいつものことだけど。一般人に捜査情報漏らしてるの上にバレたらクビになるんじゃないの?」
「へいへい、どうせ俺ぁいい加減な男ですよ。後、情報はお前たちにしか漏らしてないからいーの」

 そういう問題ではないのだが、というツッコミは心の奥にしまいジーナは呆れたように溜息をついた。
 オラーツィオは完全に二人を信用しきっている。とはいうものの二人も態々この情報を他言するつもりはないが、刑事が此処まで人を信用しきっていいものなのか。はたはた疑問である。

 三人が話題に上げている〝切り裂きジャック〟とは、最近巷で流行っている通り魔事件のことだ。

 女性二人を殺害。その後体内から臓器を摘出し持ち去るという残忍な犯行は十八世紀に英国で起こった切り裂きジャック事件と酷似している内容だった。
その為マスコミは〝時代と場所を変え、切り裂きジャックが蘇った〟と騒ぎ立てているのである。

「しかし犯人が過去の模倣犯だとするのであれば……こんな報道をすれば余計に被害者が増えるのでは?」

 エドが読んでいる新聞の一面には大々的に〝蘇った切り裂きジャック〟と称された記事が書かれている。新聞のみならず、テレビを付ければどの番組でも切り裂きジャックの話題で持ちきりだ。
過去の事件と今回の事件の類似点、犯人の予想像など評論家が我が物顔であることないことを勝手に喋っているのが殆だ。しかし本当に模倣犯だとしたら、この騒ぎで調子に乗りまた犠牲者が増えるだけではないのかとも囁かれていた。

「そうなんだよな、俺もそれを恐れてんだが――っと、悪い。電話だ」

 話の途中でオラーツィオの携帯電話が鳴った。いつものお気楽な口調で受話器を取ったのだが、表情が一瞬にして強ばり声のトーンが数段下がった。
少しして電話を切るとオラーツィオは深いため息をつき、くわえていた短い煙草を灰皿に押し付けた。荒々しい動作から苛立っていることが見て取れた。

「……相棒、お前さんの読みが完全に当たっちまった。三人目の被害者が発見された」
「……そう、ですか」

 大方の予想はついていたのかエドは驚いた様子はなく至って冷静だった。オラーツィオは席を立つと、薄汚れた使い古しのロングコートを羽織った。

「ちょいと現場に行ってくるよ。そういうわけで色々と物騒だからな……あんまり一人で出かけるなよ」
「一人で出かけたくてもこの人がついてくるから、大丈夫だよ」
「ははっ、違いねえや」

 嫌味なのか褒めているのか、どちらとも取れる笑みを浮かべながらジーナはエドの肩を叩いた。照れ隠しのために、エドは大きく咳払いを一つ。

「兎に角、何か俺達にできることがあったら協力しますよ」
「はは、そいつぁ頼もしい限りだ。頼りにしてるぜ相棒」

 エドの言葉に彼は小さく笑みを浮かべ、店を後にした。
オラーツィオが出て行くとエドは再び新聞に目を落とす。

「もう、いい加減にして! 早く掃除手伝ってよ!」

 とうとう痺れを切らしたジーナがエドの手から新聞を奪い去った。
視界から突然消えた新聞に、その手は宙を掴む。そして新聞の代わりに目の前に現れたのは恋人の顔。その細い両手が伸ばされ、エドの両頬を思い切り抓り上げる。

「刑事の目になってる」
「……元職業病ですよ」

 その言葉にジーナは大きくため息をついて手を離した。
エドは元刑事。オラーツィオとは同僚で優秀な名コンビとして活躍していた。
そんな男は今拳銃の代わりに箒を握り、店の掃除に勤しみながら元相棒の健闘を祈るのであった。