俺――坂本健(さかもとけん)は、新米刑事でありながら数々の事件を解決してきた。もちろん、俺の力ではない。俺はいたって平凡な人間であり、普通の刑事だ。

 他の人と違うといえば、家には美人推理作家――道重梨乃(みちしげりの)が住んでおり、彼女の知恵を活用し、数々の功績を上げてきたということだろう。

 現場検証が終わり、大量の資料を手に帰ってくると、梨乃の部屋を訪ねた。
 六畳ほどの部屋の中は、大量の推理小説で埋め尽くされている。

「梨乃、今日も頼みたいことがあるんだ」

 地面を覆っている推理小説を避けながら、梨乃の転がっているベッドに移動する。

 真っ黒な長髪に、キラリと輝く双眸。朱色に火照った両頬に、健康的な唇。前身は紺色のパジャマだが、どうにも美人を隠しきれていない。

「そう、また事件?」

「ああ、小説家の常井次人(つねいつぎひと)先生の事件だ。同業者だよ。興味あるだろ?」

「常居先生亡くなったの? 残念だわ。あの人の小説好きだったのに……」

 梨乃はいいながら、地面に転がっている常居先生の推理小説を大事そうに抱き寄せた。

「そのままでいいから俺の話を聞いてくれ。お前に推理してほしいんだよ」

 梨乃は首を縦に振った。俺は事件の概要を語りだす。

「被害者は常居次人、小説家。ホテルに缶詰めになって小説を書いていたらしい。
 証言によると、今月一日、編集者の田中幸作(たなかこうさく)が、常居先生の部屋に原稿を取りに来た。いつもは鍵がかかっていないはずの部屋に鍵がかかっていたため、部屋の中には入れず、次の仕事もあったのでその日はその場を後にした。
 三日後、再び原稿を取りに来た田中がドアを押すと、いつもより重かったらしい。それも当然、ドアの目の前には常居先生が血だらけになって倒れていたらしい。
 死亡推定時刻は、一日、田中が来るよりも十から十二時間前だそうだ。
 体からは毒物が検出されている。血は吐血した際のものと考えている。
 常居先生の遺体近くからは、毒物の入った紅茶のカップが落ちていた」

 俺は、梨乃に遺体の写真や、検視の結果など資料を見せながら話した。

「そう、残念だわ。部屋の間取りは?」

「ドアを開くと一メートルもなく壁があり、左手にユニットバス、右手に八畳ほどの部屋がある。部屋の窓は閉まっていて、鍵も部屋の奥にあった。
 この部屋自体、カードキーを刺してないと電気もつかないし、鍵も開かない。じゃあ、誰が部屋の鍵を開けたのかっていう話だ。これは密室殺人だよ」

 警察署内でもみんながみんな頭を捻らせている。指紋は結果待ちでなんともいえないが、もしも犯人の痕跡が見つからなかった場合、どうするべきなのか。

 常居先生は売れっ子作家――著名人だ。ネットで「つ」と検索すれば、最初に常居次人○○と関連ワードが出て来るほどだ。その事件が解決しないとなれば、マスコミが黙っていない。警察は糾弾されるだろう。

 梨乃は顎に手を置き、考える素振りをしながら口を開いた。

「そう……本当に密室だったの?」

「……どういうことだ?」

 田中の証言によると、部屋には確かに鍵がかかっていた。中にはすで常居先生の遺体があり、鍵は部屋の奥にある。間違いなく、部屋は密室だろう。

「ほら、ホテルの従業員ならマスターキーならあるじゃない」

「残念だったな。そんな初歩的なこと捜査済みだ。ここ五日、マスターキーは鍵のある部屋から動いていない。監視カメラが録画していた」

「じゃあ、最初から開いていたとか」

「だから、鍵はかかっていたんだよ。田中が開けようとしたけど開かなかった。その映像も監視カメラで確認済みだ」

「違うわよ。鍵でドアが開かなかったのか、っていう話」

「……どういうことだよ?」

「ねえ、死後硬直って言葉知ってる?」

 梨乃は小バカにしたようにいった。

「当然だ。死んだ人間が筋肉の硬直とかでカチカチになる現象だな」

「じゃあ、死んでから固くなるまで時間は?」

「……知らない」

 梨乃は口角を持ち上げ、得意そうに口を開いた。

「大体、一〇時間から一二時間ね。それに常居先生がなくなっていたのはドアの目の前よ。壁まで一メートルもない。そんなところに大の大人が倒れていたら……?」

「……遺体が邪魔でドアが開かないっていうことか?」

「そういうことになるわね」

「ちょっと待て、でも三日後にはドアが開いてるんだ。死後硬直があったのなら、ドアが開くこと自体おかしな話じゃないか?」

「おかしくないわよ。人間だって動物よ。死んで、適切に処置されなければ腐ってしまう。腐った肉体は硬いままかしら? 私は違うと思うけど」

 俺はポケットからスマホを取り出すと、『腐敗』について調べる。どうやら、適切に処置しなければ、一日もすれば硬直は解けていくらしい。

「密室でなかったことはわかった。でも俺が知りたいのは、常居先生を殺した犯人だ」

「状況を冷静に考えれば答えは自ずと見えてくるはずよ。一般的に、誰もいないはずの部屋で毒物を飲んだ死体が見つかったら、どう考えるかしら?」

 俺は想像する。部屋の中に毒物の検出された死体。客観的に見てこれは――。

「まさか、自殺ってことか?」

「そうだと思うけど……常居先生は執筆のためにホテルにいたのよね? 原稿は?」

「ここにあるよ。隠れて持ち出した」

「誰か読んだ?」

「いや、誰も読んでないだろうな。調べたのは指紋とかだ」

 いうと、梨乃は激高した。鬼のような表情を浮かべて、俺の胸ぐらをつかんだ。

「小説家が死んだのよ? 証拠は小説の中にあるに決まってるじゃない!」

 俺は梨乃の手を振り払いながら、自分のカバンの中から常居先生の遺作原稿を取りだす。

 梨乃はそれを受け取ると、

「読むから、少しの間待っててくれる?」

 にんまりと満面の笑みを浮かべた。

 こいつ、ただ小説を読みたかっただけじゃあるまいな。

 数時間後、常居先生の遺作を読み終えた梨乃は、俺を自室へと招き入れた。

「いやー、面白いわね。常居先生は天才だわ」

「で、なにかわかったのか?」

 俺は原稿を抱きかかえる梨乃に、ため息をつきながら尋ねた。

「常居先生の代表作って知ってる?」

「それなりにな。『鍵のない密室』や『これは密ではありません』とか、密室殺人の推理ものが多いイメージがある」

「そうね。常居先生は密室トリックが使われる作品しか書かないわ。それを好きな読者もいれば、それを嫌う読者もいる。常居先生がネットでなんていわれていると思う?」

「……ワンパターンとか?」

 以前、ネットで調べたとき関連ワードでそんな文字を見た気がする。

「ええ、目の肥えてない読者にはそう見えるかもしれないわね。ここでこの原稿よ」

「それになんか書いてあったのか?」

「原稿には中編の密室殺人ものが二つ描かれていたわ。でもね、その二つとも事件が解決しないまま終わるの。どうすればこの時間が解決するのか、考えたわ」

 梨乃は捜査資料に束を叩きながら、

「死後硬直と腐敗。この二つを使えばこの事件は解決することができる」

 と、声を張った。

「つまり、どういうことだ……」

「常居先生は、自分の死をもって物語を解決してほしかったのよ。小説家はエンターテイナーよ。新しいことをするためには、死すら恐れないかもしれない」

「それはお前の想像だろ?」

 普通、人間は死を恐れるはずだ。

「いうと思ったわ。この原稿にはご丁寧にあとがきまで書いてあったわ。読んでみて」

 俺は梨乃から原稿を受け取ると、最後のページにあるあとがきを読む。

『これは僕の遺作になります。新しいチャレンジです。アンチを黙らせます』

「どう? これでも信じない?」

「信じる、信じないというか、信じられない」

「それはあなたがおこちゃまだからよ。プロじゃないからよ。警察のプロが一般市民を守るとき、怖いからといって逃げるかしら。消防士が火が熱いからといって戦わないかしら。小説家が小説のために自分の命を落とすことはおかしいことかしら」

「だとしても、俺は信じられない。それにこの本は……」

「このまま出版されないでしょうね。物語として成立していないから。でも、出版社は常居次人の遺作として出版したい。綺麗に改正されて、常居先生の伝えたいことは伝わらない」

 そんなのあんまりじゃないか。いったい、なんのために死んだのか。

「この事件、なかったことにしなさい。自殺でも、他殺でもなく、未解決事件にしなさい」

「は? なんで?」

「私は小説家として、常居先生を助けたいわ。できるだけ改正させずに出版させたい。それを広く届けるには、未解決事件のほうが影響力がある。だから……」

 つまり、梨乃は常居先生の遺志を継いで、物語を完結させたいのだ。

「いやいや、俺は新米刑事だぞ? そんなことできるわけ――」

「お願い。できたら、なんでもお願い聞いてあげるから」

 梨乃の顔を見る。艶のある髪の毛、膨らんだ唇、色気のある胸元。

「……わかった。約束だぞ」

「うん」

 数か月後、常居次人の遺作は、道重梨乃との合作で出版された。
 未解決事件、被害者が残した遺作。ここだけにしかない物語。

『腐敗と硬直の森』