ヴァーミリオン宮殿にあるアイスフェルト公爵令嬢に与えられていた部屋では、窓の外で上がった花火の音を聞いて、宮殿に仕える侍女たちがわっと華やいだ。
「さあ、エミリアお嬢様。花火が上がったということは、そろそろお時間ですので参りましょう」
「お天気にも恵まれて大変ようございました。聖女様を一目見ようと、国民もお祭り騒ぎです」
「……ええ。今日までありがとうペトラ、それに皆さんも」
 聖女の盛装である純白のドレスに身を包んで椅子に腰掛けていた私は、髪飾りの位置を直してくれている公爵令嬢付きの侍女ペトラ、そしてワクワク感を隠しきれていない宮廷侍女達に御礼を告げる。
 青空の下で王立楽団の演奏が響く中、妖精魔法を使って次々に打ち上がる色とりどりの花火に、宮殿の外で『聖女』の出立を待ち望んでいる観客の歓声が一層賑やかになっていた。
 幸運にも、三日後に処刑されるというシナリオから逃れることはできたが、どうやら……物語の強制力には抗えないらしい。
 現在から遡ること一週間前、投獄された翌日の夜――
『お嬢様、無事に無罪を勝ち取れましたよ』というジェラルドの言葉と共に、私はあの牢獄から釈放された。
 悪役補正が効かなかったテオドール殿下やジェラルド、そしてお父様のおかげで、私に悪意がなく冤罪であったと証明されたそうだ。
 それにしても、出廷して真実を証言してくれたご令嬢がいたのには驚いた。
 皆には、感謝の気持ちでいっぱいだ。
 朝までは確かに絶望の淵にいたので、用意された馬車に乗り込むまでポロポロと涙が溢れて止まらなかったことは、大目に見て欲しい。
 しかし。新しい人生が始まったかのような幸福感を胸に、王都にある屋敷へ帰宅した私を待っていたのは、愛するお母様からの抱擁と公爵家のシェフ自慢の美味しいご飯、それから……。
『お前は今日、ディートリヒ皇帝陛下の婚約者になった。一週間後にエーデルシュタイン帝国へ向けて出立だ』
『な、なんですって――っ!?』
 国王陛下に進言し、私の無実を証明するための議会を開いてくれたお父様からの、衝撃発言だった。
 確か、前世でプレイした乙女ゲーム『永遠の約束を君に捧ぐ』の多くのルートでは、悪役令嬢エミリアの死亡後にラスボスだった王妃が倒される。実は王妃は古代種で、代々聖女の肉体を乗り換え永遠を生きていたのだ。
 そんな王妃の秘密など何も知らずにいた国王陛下は、責任を取るために退位することになり、王太子殿下が国王に即位。
 青年伯爵が宰相、近衛騎士は騎士団長などなど攻略対象者たちが王太子と共に出世して、ヒロインが聖女になる展開だった。
 すなわち、エミリアの処刑によってお父様も宰相の座を引きずり降ろされ、アイスフェルト公爵家は没落の一途を辿ることになると予想されたわけだが、実際のお父様は私の無罪だけでなく、アイスフェルト公爵家への信頼と畏怖も勝ち得た上に、宰相としての地位も確固たるものにしてきていた。
 同じく私も、公然で婚約破棄をされた上に次期聖女からも外され、最後には投獄された可哀想な公爵令嬢……で終わることなく、皇帝陛下に次期聖女として臨まれて幸せな婚姻を結ぶことになった公爵令嬢へ華麗なるジョブチェンジを果たしていたという訳である。
『こ、皇帝陛下の……婚約者……』
 婚約者なんて綺麗な言葉で濁してはいるが、ようは神への生贄のようなものだ。
 処刑される危機から脱したと思えば嬉しいけれど、斜め上の超展開過ぎて、素直に喜べない……!
 正に、一難去ってまた一難。ううう、災難が災難を呼んでるわ……っ。
 私は新たな死亡フラグの出現に一瞬で思考回路を停止し、公爵令嬢にあるまじき表情で頭を抱えるしかなかった。
 この一週間は、宮殿で国王陛下や王妃殿下に謁見して謝罪の言葉や感謝の言葉を頂いたり、私の無罪を証明するために協力してくれた皆様の所へ直接御礼を伝えに行ったりして、忙しく過ごした。
 前世の記憶がなければ、王妃殿下の聖女という聡明で真面目な顔の下に隠されたラスボスの気配には、全く気がつかなかっただろう。
 ヒロインのアーニャは次期聖女の修行をするため、女神神殿からの外出が禁止されているらしい。
 今の私は、彼女が悪い訳ではないことを前世の乙女ゲームを通して知っている。
 きっと彼女も乙女ゲームのアーニャと同じく、長い間私の振る舞いで悩んでいたはずなので、『お互い様』ということにすることにした。
 アルフォンス殿下は王位継承権を剥奪され、その他の攻略対象者達は各々の領地で暫く謹慎することになったと謝罪をされたが、今はもう『古代種の婚約者(生贄)』という破壊的なワードで頭がいっぱい過ぎて、罪を償って下さるのならそれだけで、というのが正直な気持ちだった。
 これからはラスボス退治も待っているはずなので、今まで以上に鍛錬に励み、この国のためにせいぜい頑張ってほしい。
 ところで、『古代種』と言えば、ゲーム内では単に先祖返りの攻略対象者達を説明するための記号でしかなかったが、この世界では神話時代から実在している不老長寿の種族だ。
 見た目は人間と全く変わらないが、いつでもドラゴンに転化可能で魔力も寿命も桁違い。この世界の人間の祖先は皆古代種に行き着くと言われているため、神にも等しい存在だった。
 そんな不老長寿の皇帝や王侯貴族達は、長い歴史の間に何人もの人間の娘を花嫁に貰っている。
 しかし婚姻を結んだ後には古代種の掟に則って、出身国の使者でさえ花嫁との面会が許されず、如何なることがあろうとも出身国へは二度と帰さない。
 いくら掟と言えど不自然すぎるため、『花嫁は生贄として食われているのだろう』と考えられていた。
 ヴァーミリオン王国でも約二百五十年前に、当時の聖女アレクサンドラ・フォン・ヴァーミリオン王女が、皇太子殿下の妃になるため輿入れしている。
 彼女の消息は婚姻関係を結んだ後に途絶えているため、『花嫁=生贄』説の信憑性はかなり高いと言えよう。
 しかし彼女が帝国と婚姻関係を結んで以降の約二百五十年間、帝国がヴァーミリオン王国寄りだということは、もっぱらの噂だった。
 ヴァーミリオン王国の繁栄と平和のために婚約を取り交わしたアイスフェルト公爵家は、今、ノリに乗っていると言っても過言ではない。
 宰相の地位を狙われ一家没落の危機にあったところを、娘を生贄に恩着せがましく国の危機まで救ってしまったというのだから、流石公爵家の大黒柱なだけあった。
 この一週間、普段は優しく穏やかなお父様も、愛情深くてお茶目なお母様も、私と同じく悪役顔だけれど能天気なお兄様も、まるで娘が幸せな結婚をするかの如くの大層ご機嫌だ。
 まさか三人とも、ハッピーエンドが待ってるなんて本気で考えてるんじゃないでしょうね……?
 とうとう『ねえエミリア、孫の顔はいつ見られそうかしら?』なんて言い出したお母様に、私は大きな溜息を吐き、『生きていればそのうちにね』と呆れながら肩を竦める。
 しかし、そんな家族に救われたのも事実だ。諦めずに頑張れば、いつかきっとハッピーエンドを手に出来るような気がしてしまう。
 私は一縷の希望を胸に抱き全力で己を奮い立たせることで、この婚約を受け入れた。

 ……だというのに、お約束の結末に向かうが如く、出立前のご挨拶のために国王陛下と王妃殿下に謁見した際、私は本日限りの『聖女』へ特別昇進した。
 ただの公爵令嬢から、『次期聖女』をすっ飛ばしての二階級特進なんて! 完全に〝災難〟の気配しかしないんですが……っ!!
 うううっ。既に殉職したみたいな扱いは、縁起が悪いので切実にやめてほしい。
「愛してるわ、エミリア。……体に気をつけるのよ。できればお手紙を頂戴ね」
「皇帝陛下と幸せになれることを祈っている。勉強を日々頑張り、立派な皇妃になるように」
「お母様もお父様も、無理をせず体に気をつけてくださいね。お兄様、ペトラ、二人を頼みます」
 宮殿内の大階段の前でお母様とお父様と肩を抱き合い挨拶を交わす。お兄様とペトラは私の言葉に力強く頷いてくれた。
 それを合図にファンファーレが鳴り響く。
 そうして私はついに、皇帝陛下に嫁入りする聖女として、この国から盛大に送り出されることになってしまった。