今宵は宮殿にて、アルフォンス王太子殿下の誕生日をお祝いする舞踏会が開かれる。
 アイスフェルト公爵の一人娘である私――エミリア・フォン・アイスフェルトは、王太子殿下の婚約者として今夜の舞踏会に出席することになっていた。
 このヴァーミリオン王国で男女の婚姻が許されるのは十八歳から。
 現在十七歳の私は、約一年後に王太子妃として嫁ぐことになっている。
 光の魔力が発現した五歳の頃から次期聖女という地位に就き、その後アイスフェルト公爵家の令嬢として王太子殿下より婚約を申し込まれてから、もうすぐ十年。
 現聖女である王妃に次ぐ光の魔力を持つ者として、女神セレスソルティエーラ様の神殿にて嵐の日も病の日も欠かさずお祈りを行う生活を続けながら、時折王宮にて王太子妃となるための教育を受けている。
 ……年月とは意外に早く過ぎ去るものね。
 王都ルビアにある屋敷の自室で、新しく誂えてもらった舞踏会用の盛装を侍女に三人掛かりで着せてもらいながら、私は感慨深い気持ちで今日までの日々を思い出す。
「本日のドレスのお色も鮮やかで素敵ですわ」
「エミリア様といえば〝薔薇色〟ですものね」
 ペティコートの上にコルセットを締め終えた私に真新しいドレスを当てながら、二人の侍女たちが微笑む。
「そうね」
 でも、私にとってはそれが一番の問題なの……。
 彼女たちから丁寧に手入れされたハニーブロンドの髪に、白磁のごとく透き通る肌は、誇りであり自慢でもある。
 父や兄に似た、きゅっと吊り上がった目元と長い睫毛に隠されたアイスブルーの瞳を持つ顔も、母に似た口角がきゅっと上がった赤林檎のような唇も、家族をそばに感じられて大好きだ。
 しかし、他人には『我儘で意地悪そうだ』という第一印象を抱かれる。
 加えて、私に唯一似合う色である〝赤〟の影響もあって、令嬢たちの間では『公爵令嬢は傲慢で目立ちたがり屋』と吹聴されているらしかった。
『エミリア嬢は美人だが、愛するには向いていない』
 大きな姿見を眺めていた私は不意に、いつだったか王宮で叩かれていた陰口を思い出した。
 確かに陰口通り、他の令嬢達が持つような庇護欲をくすぐる愛らしさなど欠片もない。
 ツンと澄ました可愛げのない表情しか出来ない私を、慕ってくれる殿方はまずいないだろう。
 その証拠に、婚約者であるアルフォンス王太子殿下とだって、一度も甘い雰囲気になったことなどなかった。
 そんな自他共に認める悪役顔の私だけれど、本当は女性らしくて可愛いものが大好きだ。
 今日だって、他の同世代の令嬢達と同じように可憐なレースに包まれたかったけれど、顔立ちの問題が立ちはだかって――。
 可憐なレースはかけらもなく、豪奢な刺繍や品のあるフリルが施されたドレスは、どことなく冷たい。
 いまさら気落ちしたって仕方ないけれど、残念ながら似合うドレスは限られているため、いつもと同じく、好きなドレスとは正反対のデザインを着るしかないのだ。
 凛とした印象を与える真紅のドレスに身を包んだ私の姿は、相変わらず、今日も今日とて最高に意地悪そうだった。
「エミリアお嬢様、よくお似合いですよ。誰よりもお美しいのですから、自信を持って」
「ありがとう、ペトラ」
 長年アイスフェルト公爵家に仕える私付きの侍女ペトラが、まるで姉のような慈愛に満ちた笑みをたたえながらいつものように褒めてくれる。
 私は少しだけ肩を竦めながら、胸の奥にひっそりと潜む寂しさを隠すように微笑んだ。
 暗い顔で舞踏会に臨むわけにはいかない。なぜなら今宵の舞踏会は、特別も特別。
 アルフォンス王太子殿下の十八歳の誕生日、つまりヴァーミリオン王国での『正式な成人』を祝う特別な生誕祭だ。
 十八歳となれば、お酒を楽しむことも、自由に婚姻関係を結ぶことも可能になる。
 とは言え、まだ十七歳の私が婚約者なので、彼が可能なのはお酒を楽しむだけになるが。
 今夜は彼の大事な門出。きっといつも以上に華々しくて、祝福に満ちた舞踏会になるだろう。彼の正式な婚約者として……いいえ、未来の王太子妃として恥ずかしくないよう、精一杯彼のために頑張らなくては。
 もちろん、次期聖女としても国民へ安心感を抱かせる存在でなければいけない。
 王太子殿下から昨年の誕生日にいただいた扇子の内側で、「ふん」と気合を入れる。
 公爵であるお父様や使用人と共に屋敷から馬車で宮殿へ向かう間中、自他共に認めるほど生真面目な私は、頭の中で『あるべき立ち居振る舞い』の練習に努めた。

 ――しかし。
 宮殿で私を待ち受けていたのは華々しい舞踏会でも、祝福に満ちた笑顔でもなく、予想外の出来事だった。
 いつもならば招待客は皆お喋りに興じている時間のはずなだが、なぜだか宮殿内の大階段の前にずらりと並んでいる。
 どういうことかしら? なぜ皆様控え室にも入らずここに?
 普段とは違う舞踏会の趣向に、私は思わず首を傾げる。
 もしかして私達が到着時間を間違えた? けれど、招待状には確かに夕刻からと……。
 舞踏会も開始していないので当たり前であるが、国王陛下や王妃殿下の姿は見当たらない。
 その上、お祝いの雰囲気なんて欠片もなく、むしろどこか……緊張感が走るただならぬ空気を感じる。
 ざわざわとひしめき合う噂声は、どこか私を咎めるような、卑下するような色を含んでいた。
 ……本当に一体、どういうことなの?
 蔓延している異様な空気に、さっと身を硬くした。その瞬間。
 盛装をしたアルフォンス王太子殿下が、大階段の最上段に現れた。怒ったような表情は、生誕祭という記念日には到底似つかわしくない。
 彼は大階段に並ぶ貴族たちの中央に開けられた道を、威厳に満ちた足取りで降りてくる。
 大広間の門の前に立ちすくんでた私の前で立ち止まると、やっとその口を開いた。
「エミリア・フォン・アイスフェルト。ヴァーミリオン王国王位継承権第一位アルフォンス・フォン・ヴァーミリオンの名の下に、お前を〝聖女の名を穢した罪〟で拘束する!」
 嫌悪で顔を歪ませまがら彼が声高々に宣言する。
「なっ!?」
 なぜですか、と全てを言えぬ間に、騎士団のお仕着せに身を包んだ屈強な兵士達が、周囲を取り囲んだ。
 唐突な事態と宣言された内容に驚きながら、私はハッと彼を仰ぎ見る。
「私は、聖女の名を穢したことなどありません」
 今日まで次期聖女としての公務にとどまらず、公爵家の私財を使って礼拝堂や修道院の修繕など、幅広くの慈善事業を推し進めてきた。
 そんな自分が、聖女の名を穢すなどありえない。
 内心は酷く困惑しつつも、「何かの間違いではございませんか?」と冷静さを装って、彼らへ抗議する。
 この国で聖女の名を穢す行為は、死罪に当たる。
 聖女は王国のあらゆる生命に必要な〝魔力の源〟を大地に巡らせ、農作物の成長や人々の生活を支えている。
 だからこそ、聖女の悪い噂を流すだけでも、王国の中枢ひいては〝魔力の源〟に毒を流し入れる行為に等しいとされるのだ。
 それほど大きな罪だと認められているのに、一体誰が聖女の名を穢そうというのか。
 そもそも、私が次期聖女本人である。現在宮殿内で行われているこの行為こそ、聖女の名を穢す行為なのでは? と叫びたいのをぐっと我慢して、「アルフォンス王太子殿下」と静かに呼びかける。
 これが聖女の名を穢す行為と国王に判断されれば、アルフォンス王太子殿下こそ死罪である。
 きっと何かの間違った情報のせいで、正義感を働かせた王太子殿下が、このように次期聖女を裁こうとしているのだ。
 私もだが、アルフォンス殿下も死罪になるべきではない。
「罪のない令嬢をこのような場で裁くなんて、いくら王太子殿下でも許されることではありません」
 私を次期聖女と言わず、ただの『令嬢』として表現して、婚約者という立場から彼をたしなめるように進言する。
 しかし、彼は「ハッ」と嘲笑を吐き出す。
「とぼけても無駄だ、エミリア」
「とぼけてなど――!」
 私は弁明も許されぬまま、すぐに王太子付きの近衛騎士によって取り押さえられる。そのまま、ガチャン、と重たい手錠をかけられてしまった。
 意図せず拘束され、跪かされる。
 私の見上げる先には、平民出身の宮廷侍女アーニャ・アンネリースを守るようにして、アルフォンス王太子を中心とした特殊な魔力を持つ『先祖返り』の貴族達がずらりと並んだ。
「罪ならいくつもあるだろう。どれもこれも、次期聖女にあるまじき非道で残虐な行為ばかりだ。
 現在を以てエミリア・フォン・アイスフェルトが持つ次期聖女という称号を剥奪し、私と結ばれていた婚約を正式に破棄させてもらう。
 代わりに次期聖女には、アーニャ・アンネリースを任命する」
 想像もしていなかった言葉に、私は大きく目を見開いた。
「お前には失望した。こんなにも執念深く、私のアーニャを虐め抜くなど……」
「お待ちください。執念深く虐める? 私のアーニャ、とは?」
 一体、何のことを言われているのか理解できない。
「そのままの意味だ。私はこの心優しき次期聖女、アーニャ・アンネリースを心から愛している。彼女こそ、王太子妃に相応しい器だ」
「あっ、アルフォンス様……っ」
 王太子殿下が優しく笑みを浮かべながらアーニャ・アンネリースを見つめると、彼女は感動したような声音で彼の名を呼んだ。
 ちょっと待って? こ、心から? あああ愛している? ……な、なんですって――!?
 私は内心、大混乱していた。
 二人が階級を超えた親しき間柄であることは、王宮で彼らを見かける度になんとなく感じていた。
 それがまさか、友人ではなく恋人としてだったなんて!
 王太子殿下と私の婚約は両家の父親が取り決めたもの。
 彼は国王陛下の決定や宰相という後ろ盾など重要視せず、純粋な愛を選んだと言うことか。
 恋愛の末にアーニャを王太子妃にしたいと望んだことで、聖女の名を穢す行為が許されぬこの国の法に則り、次期聖女である私と婚約破棄を決断するに至る経緯は……常識的とは思えないが……理解はできる。
 けれど、わざわざ私が原因で婚約破棄に至ったということにして、熱りが冷めたら彼女と円満に結婚しようとするなんて。
 そんなの……そんなの、非常識にも程がある。
 こんな大勢の貴族達の前でわざわざ見世物にされながら最悪の汚名を着せられて、更に役職まで奪われてしまっては堪らない。
 この事件を切っ掛けに、お父様は長年築き上げてきた宰相という地位からも引きずり降ろされることになる。
 アイスフェルト公爵家はきっと没落一直線。それどころか、領民にも多大な迷惑がかかることになるだろう。
 ……婚約破棄、次期聖女からの解任、さらには手錠を掛けられ、公爵家の問題にまで発展するなんて。なんでこうも、災難続きになるのかしら……っ!
 私の一人のせいで、両親や家族同然の使用人達、そして領民を危機に晒すわけにはいかない。
 幸いこの国の法律には、王妃が聖女である決まりも無ければ、聖女が王妃にならなければいけない決まりも無い。
 それならば冤罪だと主張し、せめて次期聖女という役職だけは何としてでも取り返さなければ。
「……わかりました。婚約破棄は受け入れます。しかし、私は女神に誓って、聖女の名を穢すような行為は行なっていません。
 ですから私が次期聖女という役職から解任されることは、到底受け入れられませんわ。
 第一、神殿にて祈りを捧げたこともない彼女が次期聖女に突然任命されることを、国民の誰が認めるのですか」
 不安や恐怖に苛まれる自分を叱咤するように、両手を胸の前でグッと強く握りしめながら、諦めずに王太子殿下へ食い下がる。
 女神の神殿の内部へ聖女と次期聖女以外の者が立ち入ることは許されていない。
 言外に『あまりにも非常識ではないか』と伝えると、王太子殿下は更に険しい顔をした。
「お前が、私に愛されたいがためにアーニャへの嫉妬で行なった数々の行為が、〝聖女の名を穢す〟ことに値すると言っている。ここに全ての証拠が揃っているんだ、言い逃れはできないぞ。
 それに、アーニャはすでに王妃の許可で神殿を出入りしている。第一、真の聖女は祈りの場所に囚われることなどなく、どこへいても正しく女神へ祈りを捧げられるものだ。お前の行為を国民が知れば、誰もがお前よりもアーニャに対する理解を示すに決まっている」
 王太子殿下は聞く耳を持たぬ様子でまくし立てる。
 それから、側に控えていた彼の友人である青年伯爵から受け取った罪状書を、次々と読み上げ始めた。
 罪状のどれもこれもが私がアーニャへ悪意を抱いていたことにされ、本来の意味とは捻じ曲げられている。
 身に覚えのない罪に、私は大きく目を見開くしかなかった。
 王太子殿下を見つけた彼女が駆け寄っていたのを注意したのは、嫉妬からではなく、お仕着せを着た侍女が宮殿の回廊を走って気軽に殿下へ声を掛けることは許されないことだと思ったからだし、彼女に『王太子殿下を狙っている平民出身の女狐』と良くない噂が立っていたことを気遣ったから。
 私が宮廷に上がっている間中ドレスの着付け方を注意し続けたのは、彼女に毎朝ドレスを着付けてもらっていた王宮暮らしの令嬢達が『彼女はドレスをわざと変に着せて嫌がらせをする』と噂していたので、この機会に正しいドレスの着付け方をマスターしてもらいたいと思ったから。
 彼女が王太子殿下からプレゼントされた大事なドレスを私が手にしていたのは、見知らぬドレスが自室に置いてあって、しかもそれがボロボロだったものだから修復魔法をかけようとしていただけ。
 その日の舞踏会で水瓶の水を魔法でかけたのは、王太子殿下と踊っていた彼女に私が怒りを募らせたからではなく、彼女に日々怒りを募らせていた令嬢たちから、
『痛い目を見ていただきたくて、闇魔法をかけておりますの。もうすぐ効果がでますわ』
と聞いて、咄嗟の判断でたまたま近くにあった水瓶を光魔法で聖水に変えて、闇魔法を浄化しようとしただけだ。
 第一、聖水浄化の魔法をかける前に、あらかじめ本人に『アーニャ。あなたの命に関わりますから』と説明を入れている。
「アルフォンス殿下、全てには理由があるのです。今から順にご説明を……っ!」
「まだ自分の罪を認めないか、エミリア。お前のような心の汚れた者が次期聖女の役職についていたことが、そもそも間違いったのだ。
 アーニャこそ、女神セレスソルティエーラ様に選ばれし真の聖女。次期聖女は彼女以外に認められない。――これ以上彼女を侮辱すれば、国家反逆罪とみなすぞ」
 そ、そんな……。
 私の言葉など既に誰にも届かない状況に、絶望せざるを得なかった。
 唇が、細かく震える。
 こみ上げる感情のまま涙してしまわぬように、しなければ。
 私は公爵令嬢の意地とプライドをかけて、懸命に背筋を伸ばし凛と振る舞う。
 ……絶対に、泣き出したりするものですか。
「聖女の名を穢す行為は重罪だ。その悪しき心を、命をもって悔い改めろ」
 王太子殿下のその言葉を合図に、私を拘束していた近衛騎士が手錠に繋がる鎖を引っ張り無理やり立ち上がらせた。
 ジャラリと重たい音が鳴って手首が痛む。
 わざわざそんなことをしなくても、ここに無様に座り込んでヒステリックに泣き喚いたりなんかしないのに。
「言葉でおっしゃっていただけましたら、従います」
「どうだかな。公爵家を守りたくば大人しくしていろ」
 温度など感じさせない声音で告げられた言葉にハッとして、私のせいで大勢のギャラリーの中心になってしまったお父様を見上げれば、彼は無言で眉根を寄せていた。
 真紅のドレスは、高飛車で傲慢で意地悪というイメージを彷彿とさせ、より一層私の〝悪事〟の印象を引き立ててしまっている。
 これが、大好きなお父様を見ることのできる最後の機会かもしれない……。
 そう悟った私は、グッと感情を堪えながらお父様の姿を目に焼き付けた。
「お父様……」
 公爵家の名を貶めてしまって、ごめんなさい。
 そんな気持ちを込めて見つめると、苦悶の表情をしていたお父様の眦に一粒の涙が光った。
 公爵という地位をもってしても今はどうすることも出来ないと悟ったのか、お父様は私をそっと優しく抱きしめる。
「すまない。我が愛しのエミリア。必ずお前を助けよう」
 お父様は悲しみのこもった声音で一言だけ告げると、我が家の従者たちを引き連れて私から離れた。
 この場で下手に反論すれば、娘ともども牢獄行きになりかねない。
 ならば娘が無罪である証拠を掻き集めてから正しく国王陛下へ進言するべきだと、お父様も私も理解していた。
 子供の頃から従者として私を側で支えてくれていた護衛騎士のジェラルドは、怖いくらい眉間に皺を寄せながら、「お嬢様、待っていてください」とお父様の側で力強く頷いた。
 私は扇子の裏でヒソヒソと喋りながら成り行きを見物していた招待客達へ向き直り、舞踏会の場を荒らしてしまった謝罪を込めて凛然とした態度で丁寧にお辞儀を行う。
 粛々と地下牢へと連行される道中、一際強い視線を感じたのでそちらへ視線を向けてみると……。
 この騒動の中心的存在であり、次期聖女という肩書きを持つことになった平民の少女――アーニャ・アンネリースが、まるで悪魔に怯えるような表情でこちらを見ていた。