ステイシーは、お店の裏手にあるお手洗いに向かって歩きながら、自然と頬が緩んでいる自分に気が付いた。

「……ふん、バカみたい」

 あの二人のやり取りを見ていると、ずっと自分の殻に閉じこもっていた自分が、馬鹿らしく思える。

 王家の長女として育てられるということ。それは常に重大なプレッシャーが付きまとった。
 現国王は子宝にあまり恵まれず、生まれたのはステイシー一人娘だけだった。そのため、長女であるステイシーは次期王位継承者は確実と周囲からは目されている。

 自由な時間など、生まれてこの方、一度もなかった。物心ついたころから日常生活も全ては王位を次ぐための教育に充てられた。

 血の繋がった両親にも、甘えることは許されなかった。
 国王と王妃は公務で忙しく、まともに構ってもらったことはない。それは甘えたい年頃の十二歳の少女には、あまりに酷なことだった。

 それでも、少しでも教育の成果を示すことで両親に認められようとした。
 苦手な勉強も頑張った。分厚い学術書を必死で暗記し、寝る間も惜しんで学習に勤しんだ。
 女子ながら、王家直属の騎士から手ほどきを受け、剣術も学んだ。大人の騎士たちに交じって、ときに流血するような厳しい訓練に身を置いた。

 幼少期より、血の滲むような努力に自ら取り組んできた。
 しかし、それでもステイシーには決定的に欠けるものがあった。

 それは、魔法。
 王家は限られた人間にしか扱うことのできない魔法を自在に操ることでその名声を手にしてきた。もちろん、現国王もその例に漏れない。貴族出身で、王家と遠縁の血縁者である王妃も、国王ほどではないが魔法を扱える。

 しかし、不思議なことにステイシーは魔法を扱う才能に恵まれなかった。
 どれだけ訓練を重ねても、炎をひとつ生み出せない。どれだけ時間をかけても、風ひとつ吹かせられない。

 初めは「そのうち彼女も使えるようになるだろう」と周囲も見守ってくれていた。
 しかし、どれだけ努力をしても魔法の才能の片鱗すら見せないステイシーに対する周囲の目は、次第に冷たいものとなっていた。

 自分の居場所がなくなってしまうのではないか。
 自分はもういらない存在なのではないか。

 その恐怖が、ステイシーの心を侵食していくようだった。

 ぽん、と不意に何かが頭にぶつかった。
 ぼーっと考え事をしながら歩いていたせいで、前方をしっかり見ていなかったのだ。誰かにぶつかってしまったようだ。

「ご、ごめんな――」

 慌てて謝罪を口にしながら、顔を上げる。
 するとそこには、無精髭を生やした恰幅の良い男が立っていた。

「――なるほど。こりゃ確かに王女様の特長と一致するな」
「な、なによ、アンタ」

 目の前の少女を上から下まで、値踏みするように視線を滑らせ、頷く男。
 ステイシーはその悪意の籠った視線に、嫌な予感を感じた。走って逃げだすこともできず、おろおろと狼狽えながら一歩後ずさる。

 すると、とんっと両肩を後ろから乱暴に抑えられる。
 慌てて後ろを振りかえると、同じような雰囲気の男が立ちふさがるようにして、ステイシーの両肩を抑えていた。

「おっと、俺たちはお嬢ちゃんにちょっと用があってね。大人しくついてきてくれるかな」

 二人の怪しい男は顔を見合わせて、にやり、とぞっとする笑みを浮かべた。
 ステイシーの色白な額から、一筋の冷や汗が流れる。

◆◆◆

 お手洗いに席を立ったまま、忽然と姿を消したステイシーを探すため、料理屋を飛び出したアルフとアイリッシュは、路地裏を小走りで駆けていた。

「どこにいったの、ステイシーちゃん!」

 ステイシーの名を呼びながら、周囲を見渡す。しかし、付近には路地が続くばかりで、人の気配はない。

「まだ遠くに入っていないはずだ」

 アルフも必死な様子で辺りを見渡す。これは明らかな誘拐だ。時間が経てばたつほど、救出するのは難しくなることを、アルフは経験則的に知っていた。

「アルフ、どうしましょう……このままじゃステイシーちゃんが」
「落ち着け、アイリッシュ。必ずどこかに手掛かりがあるはずだ」

 涙目になって瞳を潤ませるアイリッシュをなだめる。
 アルフがキョロキョロと辺りを見渡しながら路地を探っていると、

「これは……」

 ふと、何かに気がついたアルフが、路地に落ちていた小物を拾い上げる。
 それは一般的なシャツによく使われる小さなボタンと、赤色に光る特徴的な形のバッジだった。

「これは……」

 拾い上げた小さなボタンと、赤色のバッジを握りしめる。そうするが早いか、アルフは確信の色を表情に浮かべて駆け出した。