「……今日も依頼人、きませんねぇ」

 少女は窓辺に肩肘をついて街道を眺めながら、ため息まじりにポツリと呟いた。

「アイリッシュ、それは王都が平和な証拠だ」

 少女に声をかけた男は、プカプカと葉巻をふかしながら、うなだれるように革製の椅子にもたれかかっている。

「アルフさ~ん、今月のお給料しっかり支払われるんでしょうね?」

 少女は恨みがましい思いのこもったジト目で、男を睨んだ。

「王家による北の国への遠征が中止になったせいで、小麦が値上がりして生活が苦しいんですよ」

 自らの置かれた環境を嘆くように、再び少女はため息をつく。

 少女の名前はアイリッシュ。
 宝石のように赤く輝く瞳に、すらっとした鼻立ち。その顔立ちは世間一般に美少女と称して差し支えない。
 そして、その背丈は大人の腰ほどしかなく、見に纏うシンプルなシルエットのワンピースも相まって、一見すると十代そこらの少女だ。

 しかし、その幼めのヴィジュアルとは裏腹に、実はすでに自らの稼ぎで生活する立派な成人である。

「そうため息をつくな。幸せが逃げるぞ」

 男がからかうように声を投げ掛ける。「ため息をつくと幸せが逃げる」というのは、精霊信仰の名残が色濃く残る、東の国々に伝わる有名な迷信だ。

「もう十分逃げてますよ。事務所の社長がそんな調子だから」

 アイリッシュからの怨みのこもった視線も、当の責任者はどこ吹く風だ。

 アルフ探偵事務所。それがこの部屋の前に掲げられた看板に記された名前。

 そして、この事務所の社長は、のんきな顔で葉巻をふかしている。
 名前はアルフ。
 年は三十ほどだろうか。スラっとした長い手足が映える痩身で、はっきりした顔立ちの容姿は決して悪くないが、深い色の黒髪はぼさぼさで、どこかくたびれた印象を受ける男だった。

「俺たちに依頼が来るっていうことは、困ってる奴が多いってことだ。こないに越したことはないのさ」

 ははは、とアルフの間の抜けた笑い声が響く。上司のあまりのやる気のなさに、アイリッシュは不満げに口先を尖らせた。

 ここは王都。エドワード王国で最大の城下町であり、大陸諸国との貿易による大規模な経済圏を形成する巨大な都市だ。

 また、その巨大都市を支える人口も膨大である。
 割合として大部分を占める人族を始め、獣人族やドワーフ族、もはや数を数えことも難しいほどの多種多様な亜人種が王都で暮らしている。故に王都は一部では種族の坩堝と呼ばれているほどだ。

 ――しかし、天下の往来に人の行き交いが増えればその分、陽の当たらない陰の存在が生まれる。それが世の常である。

 都市の繁栄とは引き換えに、王都では貧困層による強盗や暴行といった犯罪が増加し、また金を持て余した貴族たちによる人身売買などの社会問題が深刻化していた。

 アルフ探偵事務所も、そんな王都にとっての陰の部分として、ひっそりと身を潜めながら存在していた。

 ……とはいえ、この事務所が陰の存在として扱われる最大の理由は、単純に依頼がとても少なく仕事にあぶれているからである。いわゆる社会の闇と言われるような、犯罪行為などには一切加担していないことを、ここに明記しておく。

 そんな閑古鳥の鳴くアルフ探偵事務所に、不意にカランカランと入口の鐘が鳴った。

「すみませーん、アルフさん、いらっしやいますか?」

 古ぼけた木製の扉が、ゆっくりと軋みながら開く。
 中を覗くようにして、そこに獣人族の女性が顔を出した。

「あっ、ニーナさん!」

 訪問者の顔を見て、アイリッシュが嬉しそうな声をあげる。

「こんにちは、アイリッシュちゃん」
「どうぞどうぞ、入ってください」

 ニーナと呼ばれた獣人族の女性は、失礼しますね、と言いながら事務所に足を踏み込んだ。

「アルフさんも、こんにちは」
「これはどうも」

 もたれ掛かっていた椅子から立ち上がり、ペコリと頭を下げるアルフ。

 ニーナはアルフ探偵事務所の近所の酒場『魚亭』で働く獣人族の若い女性だ。
 美しく流れるような亜麻色の髪に覗く獣の耳。落ち着いた雰囲気の中にも、芯の強さを感じさせる柔和な笑み。そして何より目を引くのが、母性を感じさせる豊満な胸。
 男どもが集まる酒場を女手ながら切り盛りする、『魚亭』の看板娘である。

「お仕事の依頼ですか⁈」

 勢いづくアイリッシュの問いに、ニーナは困ったように微笑んだ。

「うーん、依頼というか、今日はお願いが一つあってきたんです。実は……」

 ニーナが目線を自らの足元に動かす。
 それを追いかけるようにアルフとアイリッシュが視線を向けると、ニーナの背後に隠れるようにして、足元に小さな女の子が立っているのに気がついた。年は十歳ほどだろうか。

「うふふ、実はこの娘、迷子みたいで」
「迷子⁈」

 アイリッシュがニーナの元に駆け寄り、物珍しそうに少女の顔を覗き込む。
 すると少女はニーナの背後にさらに隠れるよう身体を寄せて、顔を伏せた。

「昨日の夜ね、路地でうずくまってるのをお客さんが見つけたの。結局そのまま魚亭に泊めてあげて、色々声をかけたんだけど、なかなか自分のことを話してくれなくて……」
「それ幼女誘拐じゃ」
「保護です」

 アルフが口を挟もうとすると、ニーナが笑顔でそれを黙らせる。一目で二人の力関係が伺えた。

「でも、我々もボランティアじゃないからなぁ。いくら世話になってるニーナさんのお願いとはいえ、無償で引き受けるわけには……」
「アルフさん、お願いですっ。もしお願いを聞いてくれたら……いいこと、してあげますよ?」

 ニーナは両手を顔に寄せて、小首を傾げながら、見上げるようにしてアルフの顔をじっと見つめた。
 見る者を悩殺する、キラキラと効果音が飛び出しそうなくらい可愛らしい仕草だ。

 少しの間をおいて、アルフが背筋を正してピシッと敬礼した。

「――はい、不肖アルフめが、必ずこの迷子を親元まで連れて行ってみせます!」
「おい、エロオヤジ」

 アルフの側頭部をアイリッシュが思い切り引っ叩いた。ぱこーんと軽快な音が鳴る。しかし、アルフはそんなこと気にする様子もなく、ふがふがと鼻の穴を膨らませている。

「アイリッシュちゃんもお願い、今度夕飯をご馳走するわ」
「……もーしょうがないですね」

 惚けた表情のアルフを片目に、アイリッシュは諦めたように肩をすくめた。
 それを見たニーナは嬉しそうに手を合わせて、ニコリと柔和な微笑みを浮かべた。

「それじゃ、私お店の仕込みがあるから、この娘をよろしくね」

 星のかけらが溢れそうなウィンクを残して、ニーナはお店へ帰っていた。
 まったく、嵐のような人だ、とアイリッシュは心の片隅で思った。

◆◆◆

「それで、肝心のこの娘はどこから来たんですかね? 見たところ人族っぽいですけど」
「この国は色んな亜人種がいるからなぁ」

 エドワード王国では、種族間の壁を超えた婚姻は珍しくない。そのため、世代を重ねるごとに血が薄まると、本来の種族の特徴が外見からは測れないことがある。

「よし、この俺が聞き出してみよう。子供の扱いは得意なのだ」

 アルフが謎の自信を口にしながら、迷子の少女に顔を近づける。

「こんにちわぁ、お兄さんに何か話してくれないかなぁ?」
「……」

 身振り手振りを大げさにして、芝居がかった振る舞いで話しかける。これは幼児教育に人気の高い、王都の劇場で活躍する若い俳優の真似だ。
 しかし、いくら声をかけても迷子少女はだんまりを決め込んでおり、大したリアクションは返ってこない。

「無視かい? ねえねえ、無視かい?」
「嫌な大人ね……」

 反応のない迷子少女に対して追撃を行うように煽るアルフに、アイリッシュは呆れたようにツッコむ。良い年のおじさんが幼女に対してムキになっている構図は、見ていて、いたたまれないものがある。

「ねえねえ」
「……さい」
「ん?」

 アルフのしつこい追撃が功を奏したのか、迷子少女が俯いたまま、おもむろに何か小声でポツリと呟いた。

「お、何かな?」

 か細い声をなんとか聞き取ろうと、アルフは耳に手を当てて、戯けたジェスチャーで迷子少女の口元に顔を近づけると――

「さっきからうるさいのよアンタ! 私を子供扱いしないで!」

 突如として部屋に鳴り響く、迷子少女の叫び声。
 先ほどまでは借りてきた猫のように大人しかった表情も、途端に怒ったように険しくなった。

「み、耳が……」
「どうしたの⁈」

 耳元で大声を出され、うずくまって悶えるアルフを尻目に、アイリッシュは迷子少女へと駆け寄る。

「私はっ……第十四代国王、ヨーゼンハーツの娘、ステイシーよ!」

 迷子少女は軽く肩を縦に揺らしながら、小さな胸を張って宣言した。

「国王の……娘⁈」
「ってことは――王女じゃねぇか!」

 突然の迷子少女からの宣言に、驚嘆の表情で顔を見合わせるアルフとアイリッシュ。

「そうよっ。あの胸の大きい女にも何度もそう言ったのに、全然信じなくてまともに取り合ってくれなかったの」
「なんか想像つくな……」
「あれで思い込み激しいところありますから、ニーナさん」

 プルプルと小さな肩を震わせるステイシー。
 おそらく保護されてから一晩中、自らの立場をニーナに訴え続けたが、子供の言う嘘だと信じてもらえなかったのだろう。

「だが、王女様がこんな王都の下町に何故いるんだ?」
「確かにそうですね。この女の子が嘘をついている可能性も……」

 アルフ探偵事務所が居を構えている場所は、王家が住む王都の中心からは随分と距離が離れている。
 それだけでなく、王家どころか下級貴族も近寄らないような庶民が暮らす下町だ。王女なんて国の重要人物が一人きりで護衛もつけずにぷらぷらと歩いていると考える方が難しい。
 揃って、疑うような目つきでステイシーの顔を見るアルフとアイリッシュ。

「本当よっ」

 いまいち納得しない二人に対して、不満げにプンスカと鼻を鳴らす。

「う~ん、そう言われてもな……」

 アルフは疑いの念を頭に過ぎらせながらも、改めてその迷子少女の容姿を観察した。

 ステイシーが身に纏っている衣服は、王都ではごく平均的でよく見られる安価なものだ。麻で編まれた生地で、上は長袖、下はスカートのセットアップ。 シンプルで、少なくとも、王家が身につけるような豪華な装飾は見られない。
 服装だけ見れば、そこらの商人の子供と言われても、全く違和感はない。

 しかしながら、よくよく少女を眺めてみると、また違った印象を受けるのも事実だった。
 腰まで伸びた金色の髪は高等な絹のように美しい艶を放っており、素人目に見てもかなり手入れが行き届いていることが分かる。
 また、透明感のある肌も、職人が手掛けた陶器のようにつるりとした質感があり、日々仕事に明け暮れ赤黒く日焼けした庶民とはかけ離れた高貴さを感じさせた。

 そんなことを考えながら、アルフはあることを思い出した。

「――そういえば、ヨーゼンハーツ国王の長女はもうすぐ十二歳の誕生日を迎えるため、国民へのお披露目会を控えていると聞いたことがあるぞ」
「あっ、それ私も聞きました。確か新聞記事に写真ものっていたような……」
「それが私よ」

 小さな両腕を胸の前で組んで、不満そうに二人を睨むステイシー。
 アルフもアイリッシュも新聞記事を熱心に読む方ではないが、言われてみれば確かにその少女の顔にはうっすらと見覚えがあった。

「でも、他人の空似かもしれないしなぁ……」
「もう、分かったわ! これはあまり見せたくなかったけど……」

 業を煮やしたのか、ステイシーはそう言うと、ゴソゴソとスカートのポケットを漁って、手のひらサイズの何かをそっと取り出した。

「これは?」
「――王家の紋をあしらったティアラよ。万が一の時のために、持っておいたの」

 その小さな手には、豪華な紋様で精巧に作り込まれたシルバーのティアラが握られていた。装飾に詳しくない素人目に見ても、とんでもなく高価なものだと分かる。
 しかも、そのティアラの中央には王家の家紋である四葉のクローバーがくっきりと彫り込まれていた。

「確かに……もし王家以外の者が王家の家紋を使えば貴族といえど死罪だ。流石に嘘や酔狂でそこまで恐ろしいことはしないだろう」
「それじゃこの娘は、本当に王女様?」

 恐る恐る顔を見合わせるアルフとアイリッシュ。
 現国王の長女にして時期国王候補という、この国で最重要人物といっても差し支えない少女が、目の前にいる。

「納得したかしらっ」

 小さなお姫様は、小さな身体には似合わない、上から目線の高慢な態度で、ふんっと鼻を鳴らした。