小学生の頃、近所に小さな食事処があった。

 食べ盛りでありながら、両親が共働きだった俺の空腹は、その店によって救われていたと言える。控えめに見積もっても週の半分以上は店に顔を出していたのだから。
 趣のある店構えで、暖簾をくぐると仲の良い老夫婦が出迎えてくれる。自分と同じ年頃の女の子がよく店を手伝っていて、いつしか友達になっていた。

 何を食べようか――

 手書きのメニューを前に悩む声があちこちから聞こえる。

 規則正しく、鳴りやむことのない包丁使い。

 じゅっと油が跳ねれば、隣のコンロではスープが煮込まれている。

 賑やかなのに不思議と居心地の良い店だった。温かな夫婦の人柄と、笑顔で迎えてくれる女の子の存在あってのことだろう。何より、提供される料理はどれも美味しいものばかりだった。
 料理が出来ない俺にとって、次々と美味しい品を生み出す店主はまるで魔法使いのように見えた。
 メニューはどれも一般家庭の食卓に並ぶような、ありふれたものばかりだったけど、俺にとってはその店の味こそが『家庭の味』だ。

 また食べたいな……

 戻ることのない日々に想いを馳せずにはいられない。

「感傷的だな」

 衝動のまま、昔を懐かしんでぼやく。
 すると隣を歩いていた友人が不思議そうに訪ねてきた。

「どうかした? イズミ」

「なんでもない。少し、昔を思い出してた」

「そう……」

 二度と戻る事のない日常だ。
 やるせなさを汲み取ったのか、あるいは疲れて聞こえたのか、友人からの一言には労いが込められていた。