一、ジュリブレンド


「おめでとうさん。鬼も十八番茶も出花やな」


 十八才の誕生日をむかえた朝、ダイニングテーブルで少し焦げたトーストをかじる私を見ながら母が笑った。


「なにそれ。意味不明やわ」


「どんな不細工な娘でも、年頃になると綺麗にみえるってこと。十八になった七海にピッタリの諺やん」


「ちょっとそこの金髪おばちゃん。どんな不細工でもってめっちゃ失礼やんか」


 母の樹里《じゅり》は、関西弁を話す青い瞳のフランス人である。


 二十三才で日本の神戸に嫁いできたそうだが、そのなれそめはというと。


 パリで旅行者とツアーガイドという形で出会ったんだって。


 ベルサイユ宮殿の鏡の間を見学している途中で、そっと父から連絡先を渡されたそうだ。


 見かけによらず高学歴の父親は、そのころは大手のエリート社員だったらしい。


 今のくたびれた父と母からは、こんなパリの恋バナなんてどうしても想像できないぞ。


「そんな古めかしい諺より、はやく誕生プレゼントちょうだいよー。現金がえーな!」


 ちょっと猫撫で声をだしてみたものの、さしだした掌をぴしゃりと叩かれた。


 鬼ババめが。


「なら、借金チャラでどないや」


 忘れていたけど、こないだお金を借りて乙女ゲームを買っていたっけ。


「それはそれ。やっぱり、誕生日プレゼントはちゃんと欲しいな。それに、あのゲーム、今ではお母ちゃんの方がはまっとうやんか」


「ゆえに、ゲームの代金はこの私が払えと?」


「ピンポーン!大正解ざんす」


 ソフトは、母の大好きなフランス革命をテーマにした物で「私的マリーアントワネット物語」という。


 ゲームのストーリーは、ベルサイユ宮殿のマリーアントワネットとプレイヤーが出会うところから始まる。


 そして、ゆくゆくは浪費のシンボルとしてギロチン刑に処する女王の運命をなんとかして変えなければ、ラストではプレイヤー自身も処刑されてしまうのだ。


 何回か私も母も挑戦したが、すべて
失敗である。


 五人用意されたプレイヤーの中で、いつも私は、迷わずアントワネットの調香師を選んだ。


 飽き性の私だが、精油だけは小学生のころからずーと好きである。


 母は、私が幼い頃から落ちこんだときはいつもアロママッサージをして慰めてくれた。


 そんなことも影響しているのかも。


 フランスは、香りの先進国なのか中世の頃から精油が用いられ現代では正式に医療現場にも使われている。


 当時の調香師は、自分の工房で精製した精油を独自にブレンドして、オリジナルの香水をつくり王族、貴族に販売していたという。


「七海、甘ったれやな。そういえば、卒業後の進路の選択もええ加減やんか。勉強嫌いなくせに大学にいきたがるなんて訳わからんわ」


 朝食のときまで、進路の話をもちだしてくるなんて性悪な母親だよ。


「訳は、いっぱいあるで。
 一つめは、皆がいくから。
 二つめは、ちょとでも遊んでいたいから。
 三つめは、Fランの大学でも大卒の肩書きが欲しいからや。高卒なんか
悪いやんな。
 どや、この気持ちフランス人には理解できへんやろ」


「全然理解できまへん。
 それって、ええカッコするためや遊ぶために大学へいくゆうことやんか。それ、おかしい。それより、七海の好きな精油の専門学校へ進んだ方がええんちゃうん」


「専門学校卒ってアホっぽいやんか」


「Fラン大学で遊んどったら賢そうなんか?うちにはそんな余裕はないで。
 授業料も奨学金で払てや」
 


「借りたるけど返済は親がしてな。卒業して、もし希望の就職がなかったらパラサイトするつもりやし」
 

「このドアホが。ええ年して寝言を言うでない。マリーアントワネットは十四才で見知らぬ外国に嫁にだされたのだぞ」


 こんな風な時代がかったり話し方に変わる時は、かなり怒っている時である。


「なんで急にそんな話がでるんよ。あんな大昔のバカ姫お呼びじゃないって」


 母は、嫁いできてから急にマリーアントワネットのご贔屓になったらいい。


 外国人に嫁いだことと。


 旦那であるルイ十六世と自分の旦那(私の父である)が頼りない。

 という共通点で親近感を覚えたらしいが。


 ふつう国王と喫茶店の親父を一緒にするかなあ。


 あと、マリーアントワネットと母が精油とお風呂好きという一致もあったらしいが...。


「マリーアントワネットは特殊な環境で育ったから世間知らずだったのはわかるが。
 うちの七海が怠け者になったのはなぜなのだ。ひょっとして、私の育て方が悪かったのだろうか。無念である」
 

 ちょっと、本人の前でそこまで言うか。


「お母ちゃんとしゃべっとったら気持ちが暗なる。はよ、仕事に行ってきい」


「はいはい。ほなら、朝食のかたずけ位は頼むわ」


「ネイルが剥げるからいやっぺ」


 私が頬をふくらますと、うんと眉根を下げた母は、キッチンへ向かおうと
お皿を持ってテーブルから立ちあがった。


 その時である。


「頭が割れそうに痛い」


 叫びながら母か倒れたのは。


 そして、今も意識は戻らず病院のベッドで眠ったままだ。


「お母ちゃん、身体残したままどこほっつき歩いとんよ。幽霊になるのはまだ早すぎるで」


 枕元で何回つぶやいたことだろう。


 あの時から、私の胸には母親が愛用していたアロマペンダントがゆれている。


 ペンダントから香るのは、母が考えたジュリブレンドだ。

 
 ジュニパーを基本にクラリセージ、ラベンダー、ユーカリを数滴と、書かれたメモが残っていた。


 けれども、そこにはもっと不思議な何かが加えられているはずだ。


 だって、ジュリブレンドの香りがすると母親の気配を感じるから。


 さ迷っている魂を導いてくれる力がこの精油にはあるのかも。


 ちょっとオーバーだけど私の直感は案外当たるんだぞ。