翌日の放課後、私は職員室にいた。
「過去のポスターを見せていただけませんか?」
 私の申し出にハナ先生は目を丸くして固まっていた。隣の机にいるB組担任も赤いペンを握りしめたまま、あんぐりと口を開けている。二人とも「あの鬼塚が」と言い出しそうな顔だ。
「ず……随分やる気だねえ……何があったんだい?」
「別に。ポスター作りの参考にしたいだけです」
「写真でもいいかい? 今までのポスター、写真で撮ってあるからね。確かこのフォルダに――」
 すると、ノートパソコンの液晶に過去のものだろうポスターが表示された。定番は『ゴミを持って帰ろう』の標語らしい。去年も一昨年も同じ文言が使われていた。
「……なるほど」
 デザイン、標語の配置。そういったものをじっくり見ていく。似たクオリティのものが作れるかというと自信はないけれど、やれることは全部やりたいから。
 モニタを凝視する私に、ハナ先生はふっと笑った。B組担任もこちらを覗きこんでいる。
「鬼塚さんがこんなにやる気を出すのは珍しいねえ。いいことだよ」
「鬼塚……お前、ポスター作るの好きだったのか」
 ハナ先生はともかく担任に変な誤解をされては困る。早々に否定した。
「違います。気が向いただけです」
 それでも二人ともニヤニヤとしている。妙に嬉しそうだ。
「これ、毎年苦労してるみたいでねえ。鬼塚さんは誰と一緒に作るんだい?」
「一人でやります」
 ハナ先生の問いかけにぴしりと答えれば、先生たちの笑顔が曇った。
 B組担任は「だよなあ」と期待を裏切られたような言葉を残して作業に戻り、ハナ先生も呆れ顔で諭す。
「B組なら藤野さん古手川さんがいるでしょ、協力すればいいじゃない」
「そういうのは面倒なんで」
「面倒ってあんたねぇ。声かけりゃいいじゃないか。これをきっかけに仲良くなれるかもしれないよ」
「結構です」
 私はポスターデザインのことで頭がいっぱいだった。家では集中できないから、この後は教室で作業するつもりだ。

***

 教室に誰もいないことを確認して、画用紙を広げる。
 まずは一枚。テーマは決まっていて『防犯対策』だ。そんなポスターが貼ってあれば泥棒だって藤野さんの家に入らないかもしれない。紙切れ一枚でどうにかなると思えないけれど、何もしないよりはマシだ。
「夜だから黒く塗る。でもそれじゃ目立たない……文字も目立ってほしいけどもっと気を引くもの……」
 過去のポスターで防犯をテーマにしたものはなかった。過去にも例のないものだから余計に難しい。
 鉛筆を走らせる。文字や絵の部分をさっくりと下書きし、どこにどの色を塗るか薄くメモを書いていった。
「何しているんですか?」
 後ろから、聞き覚えのある低い声がして、振り返る。そこにいたのは鷺山だった。
「ポスター作り」
「見ればわかります。職員室にいたのも見ていましたので」
 彼はこちらにやってきてずいとポスターを覗きこむ。
 鉛筆で薄く書いただけなので目をこらさないと見えないのだろう。身を屈めて、ポスターに顔を近づけた。普段は長い前髪で隠されている眉も見えるし、意外と睫も長い。黒縁眼鏡や前髪、猫背といった要素で気づかなかったけれど、顔つきは綺麗だ。もったいないと思う。
「防犯ですか」
「もし泥棒が入らなければ、あの事件は起きることはないでしょ? ポスターが効くかはわからないけど」
「香澄さんは事件が起きてほしくないんですか?」
 何かを探るような、冷えた瞳が今度は私へ。鷺山の観察眼が優れていることはここまでで十分わかった。だから、そのまなざしが自分に向けられていると、何かを探られているような気がする。
「私は、鷺山に死んでほしくない。事件を起こしたくない」
 じいと見つめた後、鷺山はゆるゆると身を起こして、ため息を吐いた。
「……意外です。こういうのは未提出で逃げる、やる気ないタイプの人だと思っていたので」
「そうだね。いつもならこういうことしない」
 珍しい行動だと自覚している。普段なら絶対にしない。ポスターなんて白紙で提出だ。普段と異なるからか妙な恥ずかしさがある。彼は呆れているのだろうか。
 鷺山は、未来が変わることは嫌だと言っていた。だからこのポスター作りに対しても好意的ではないだろう。もしもこれで未来が変わってしまったのなら。鷺山は怒るだろうか。
 次に鷺山が口を開くまでの間は長く感じた。気まずさは喉に溜まって、唾一つ飲みこむのも勇気がいる。無音の教室で再び鷺山はポスターを凝視していた。
 そして。
「……背景色が黒なら、文字を黄色くした方が目立つと思います」
 とんとん、と骨ばった指が標語の文字を叩く。まさかアドバイスが返ってくるとは思いもしなかった。驚いている私に気づいたらしく、鷺山がこちらへ視線を向ける。
「どうしました? そんな顔して」
「てっきり『未来が変わるのは嫌だからポスターを作るな』って言われるのだと」
「その気持ちは確かにあります」
 短く息を吐いて鉛筆を握る。標語の部分に『キイロ』と書きこみをして背景部分に『クロ』と薄い字のメモを書いた。
「僕は香澄さんが好きですから。好きな人を応援するのは当然のことです」
 本人は淡々と告げているけれど、心臓にはよくない。この変人が言うことを真に受けちゃいけないとわかっているけれど。
「その……好きだの何だの、言ってて恥ずかしくならない?」
「なりません。どうしてですか?」
 異性相手に好きだとか、恋愛を思わせる単語はよくない。伝えても鷺山は理解してくれないのだろう。からかわれている気分だ。
「話は戻りますが。ポスター作り、僕も手伝います」
「一人で大丈夫」
「いえ。二人で作った方が早く終わりますから」
 そこまで言うのなら、折れて頷くしかない。渋々といった振る舞いをしながらも、内心では鷺山がいると心強いと考えていた。変な言動はあれど、彼の観察眼は素晴らしい。私では見逃してしまいそうなものも、彼がいれば気づける気がする。
「シンプルですね。この部分に、目立つイラストを書いた方がいいかもしれません」
 こうして鷺山も作業に加わった――けれど不慣れなポスター作りは一日で終わらなかった。