三日間の月鳴神社例大祭がついに始まった。

「本当にすみませんでした」
「いえ。すぐに見つかってよかったです」
 祭り囃子や喧騒で騒がしい夜。迷子を捜しにきた母親が何度もお辞儀をしていた。母親の手の先には、浴衣を着た女の子。先ほどまでわんわん泣いていたのに今やけろっと笑顔だ。
 守り隊が待機するテントの前を泣いている女の子が通り過ぎ、迷子だと気づいたのは少し前のこと。一緒に待っているうちに母親がやってきて合流、何事もなく迷子は解決した。私はほっと胸をなで下ろして、女の子に手を振る。
「今度ははぐれないようにね」
「またね、おねえちゃん」
 その姿が旧道に溢れる人混みの中へ消えていく。
 見送ってからテントに戻ると、守り隊の二年生数人と古手川さん、ハナ先生がいた。先生はにかっと笑って、私の肩を叩く。
「おつかれさん。解決してよかったね」
「おかげさまで、しばらく泣き声は聞きたくないです」
 私がひねくれたことを言ったからか、ハナ先生が肩をこついた。
「こら。そういうこと言わないの。もうすぐ二年B組とC組は休憩時間だから、そこで息抜きしといで」
 守り隊をいくつかのグループにわけて、それぞれ休憩が取れるようにしていた。せっかくのお祭りだから見て回れるようにとハナ先生が気遣ってくれたのだろう。一年生グループから順番で休憩に入って、最後は私がいる二年B組とC組のグループだ。
 あたりはすっかり暗くなっていて、夜風が涼しい。テント前を通る浴衣姿の女性が涼しそうに見えて羨ましくなった。
 テントにはスポーツドリンクの入ったウォータージャグの他、緊急時に使う道具が置いてあった。本部連絡用の無線にハンドスピーカー、AEDに医療品。誘導棒は篠原が振ってみたいと駄々をこねていた。当然阻止されたけれど。
 明後日は町内会の人もここを使うため整理整頓してある。守り隊の出番がない暇な時はこれらの道具を使いやすいよう並べ直して時間を潰していた。
「――確かおじいさんは町内会役員だったよね?」
 ハナ先生と古手川さんの会話が聞こえた。先生の問いかけに古手川さんは首を横に振っている。
「生前は副会長でした。祖父はハナ先生のことも知っていましたよ」
「やだねえ。いい話でてこなかったでしょ」
「高校生を束ねて地域に溶けこもうとする姿勢に感謝していましたね。地元のことも考えるいい先生だって褒めていましたよ」
「そう言ってくれると嬉しいねえ……」
 古手川さんの祖父が亡くなった話は私も聞いた。目の前で人が倒れて、そのまま帰ってこない経験はどれだけ重くのし掛るのだろう。幽霊を認めないと話した古手川さんは悲壮に満ちた顔をしていた。
「……でも、祖父のおかげでやりたいことが見えたと思いました」
 古手川さんは前を向いた。
「将来のこと、ぼんやりとしか考えていませんでした。でも今は、看護師になりたいと思っています」
「へえ。そりゃどうしてだい?」
「祖父の時は何もできなかったので、今度は自分が誰かを助けられるようになりたい――ってまずは勉強頑張らないとですね」
「大丈夫だよ。目標があることが大事。人はいつ変わるかわからない――ねえ鬼塚さん?」
 二人の話を聞きながら、人混みを眺めていた私は、急に話を振られたことでびっくりして振り返った。
「はい? 私ですか?」
「ここ最近で変わった生徒といえば鬼塚さんだからねえ。鬼塚鷺山コンビに驚かされてるんだよ。職員室でもあんたたちの話題で持ちきりだ」
「うわ。人を話の種にしないでください」
「今年の守り隊は鬼塚鷺山コンビに引っ張られてるんだからね。何が二人をやる気にさせたのかはわからないけどさ」
 そう話していると見回り兼ゴミ拾いに出ていた二年生たちが戻ってきた。特に鷺山はゴミ袋をいっぱいにさせている。どこで見つけてきたのかサビたブリキ人形を拾ってきていた。神社のゴミ拾いでもそうだったけれど、鷺山はゴミを探すのがうまいのかもしれない。
「おつかれさん。ゴミたくさんだねえ」
「もー、目の前でたこ焼きのパック捨ててるやつがいたよ。しかもうちの家の前なの! 最悪!」
 むすっとしているのは藤野さんだった。テントの奥で拾ってきたゴミを仕分けている。特に縁日で使うプラスチックの容器が多い。プラスチック用のゴミ袋はいっぱいだ。
「先生。この人形はどうしましょう」
 鷺山が聞いた。篠原はその隣で「なんでこんなの見つけるんだよ」と腹を抱えて笑っている。
「燃えないゴミにしておこうか。しかし今年一番の大物だ。あんた運がいいんじゃないかい?」
「ゴミ拾っただけで運がいいと言われても困ります」
 ハナ先生の軽口をあっさりとかわして鷺山もテントの奥に歩いて行く。私と古手川さんもついていくことにした。
「ゴミ仕分け手伝うよ」
「助かるー。今年、結構量が多くて。旧道一周する間に何本の割り箸拾ったかわからないよ」
 手袋をつけてゴミを仕分けていく。
 私の隣では鷺山が淡々と作業を進めていた。特に彼のゴミ袋は量がたくさんだから手伝いたいけれど。ちらちらと様子を窺っていると、顔をあげた。
「ポスター、目立っていますね」
「そうなの?」
 つられて私もポスターを確かめる。ポスターは守り隊テントの近くに掲示されていてここから見える。ここに貼ってあるのは飲み過ぎ注意と防犯テーマの目のポスターだった。
「他の二枚は旧道の公園入り口に貼ってありましたよ。ポスター四枚の中でも目のやつは、わざわざ立ち止まって見ている人もいるぐらいです」
「あれ目立つよねえ。うちの家からも見える」
 藤野さんが頷いた。藤野さんの家は、このテントの斜め向かいだ。
「うち、一階に居間があるんだけど。窓開けたらポスターが気になっちゃって。なんだか、じとーっと見られてるみたい」
「……僕はそんなつもりないのですが」
「あのモデルが鷺山くんだって知っているのは私たちだけね」
 くすくすと笑う古手川さんにつられて、私も笑った。鷺山だけは気まずそうにしていたけれど。
「じゃ、来年は俺をモデルに書く?」
 名乗り出たのは篠原だったけれど、藤野さんによって即座に切り捨てられた。
「三年生は守り隊参加できないから。受験あるし」
「あー……なるほど」
「鷺山はともかく、篠原の目になったら祟られそうでイヤ」
「なるほ……って、それひどくね!?」
「まあまあ二人とも」
 剣道部組が騒ぎ始め、古手川さんが仲裁に入る。それを遠巻きに眺めながら、私は鷺山の作業を手伝う。他二人は仕分けがほとんど終わっているのに対し、鷺山はなかなか終わりそうになかった。
 がさがさとビニール袋が揺れる。どこで見つけてきたのか不思議なゴミばかりだ。観察力の(たまもの)かもしれないけれど。
 無駄なおしゃべりのない鷺山の隣は心地よい。穏やかな気分になるのは、お祭りの騒ぎで心が浮かれているから。きっと。
「鷺山って不思議だよね」
「よく言われますが自分ではわかりません」
「変わってる。不思議。私と違う」
「違うのは当たり前のことだと思いますが」
 ぐるぐると巻き付いた針金の束。こんなのどこで見つけてきたのだろう。旧道の隅をじっと見つめる鷺山の姿が想像できて笑いそうになった。
 不思議だ。隣にいるだけで勇気がわいてくる。何でも出来る気がしてくる。今まで嫌だと思っていたことも信じられなかったことも、ぜんぶひっくり返る。
「鷺山と一緒にいると何でもできる気がしてくる」
「意味がよくわかりません」
「ひとり言。気にしないで」
 彼は理解できないと首を傾げながら、袋から最後のゴミを取り出す。火ばさみで掴んだそれを燃えるゴミの袋に入れて終わりだ。
 作業が終わったのを見て、私は立ち上がる。三人が話しているところへ向かって、思い浮かべていた言葉を発した。
「みんなにお願いがあるの」
 三人そして後をついてきた鷺山も一斉に、こちらへ視線を向ける。注目を浴びる中で、私は深く頭を下げた。
「兎ヶ丘小学校の肝試しを中止にしたい。みんなの力を貸してもらえませんか」
 言い終えても誰も言葉を発しなかった。五人の間は静まって、旧道の騒ぎ声しか聞こえない。
 静かな場を切り裂くように唇を動かしたのは古手川さんだった。
「うん。私も、そうしたいと思ってた。肝試しはダメだよ、学校に忍び込むなんてよくない」
 続いて藤野さんも頷く。力を貸してもらえるかと不安になっていた私を宥めるように、優しい笑顔を浮かべていた。
「そうそう。うちも、辞めさせた方がいいと思ったんだよね! そんな畏まって言わなくたって協力するよ!」
「幽霊出るかもってのに、藤野も行くのかよ」
「行くよ。怖くないもん。幽霊はいないって鬼塚さんに教えてもらったから」
「まじかよ……」
「篠原は来なくていいよ」
「まあ……俺も行くけど」
 篠原は自分の意思というよりは流されている感じだけど、肝試し中止に飛びこむ仲間が増えたのは心強い。
「ありがとう。助かる」
 それから、私は鷺山を見る。
「鷺山はどうする?」
「僕は……」 
 鷺山は驚いているような、少し悲しそうな、とにかく複雑な表情をしていた。彼にしては珍しく、それがはっきりと顔に出ている。
「無理しなくていいよ。残ってていいから」
「いえ。大丈夫です」
 いつもなら『香澄さんが行くなら』なんていいそうなところを、今日は鈍い反応だ。
 鷺山の様子は気になりつつも、メンバーが決まったところで作戦会議だ。
 ちょうど私たちの休憩時間が肝試しの集合時間と重なっている。幸いなことに肝試しの集合場所や開始地点はプリントを見せてもらったので覚えていた。
「それで。どうやって中止させるんですか」
「そうだね……」
 提案したのは私だけれどプランはない。直接その場にいって、主催の子を説得することしか考えていなかった。
 それは一筋縄でいかないだろう。以前、私が守り隊一年生の子と言い争ったように、今回だってすんなりわかってくれると思えない。噂話を信じる一年生たちとしては、頑張って計画してきたイベントを中止にしたくないだろう。
「警察を呼ぶのは?」
 意見を出したのは古手川さんだった。
「この時間の小学校は門を閉めているから、不法侵入になると思うの。警察を呼んじゃえばどうかしら」
「あー、まって。それ困る」
 そこへ藤野さんが慌てて声をあげる。
「私事で申し訳ないんだけど、主催の一人に剣道部の子がいるからさ……大事になると部活に影響でちゃいそうで、関係ない子まで部活できなくなったら嫌だなって」
 五人の中で剣道部組といえば藤野さんと篠原だ。その篠原も渋い顔をしている。
「……剣道部顧問、そういうのうるせーからな」
「いっそのこと顧問呼び出す? 一喝したらみんな諦めるんじゃない?」
「藤野は顧問の連絡先知ってんの?」
「知らない」
「じゃあ無理だろ」
 ここにいる先生はハナ先生だけ。そのハナ先生だって守り隊の仕事があるから抜けることはできない。となれば別方面からの説得しかない。
「んで、肝試しって何するの? 飼育小屋の周りを通っておしまい?」
 藤野さんの問いかけに篠原が答えた。
「後輩から聞いた話だと、参加者で二,三人のグループを作って兎ヶ丘小学校のグラウンドを回るらしいぜ。裏門登って中に入るってさ」
「篠原、詳しいね」
「後輩と話す機会あったから」
 篠原にしては珍しく言葉を濁していると思った。あまり触れられたくないのかもしれない。しかし藤野さんがニヤリと意地悪く微笑んで割りこんだ。
「あーはいはい、救命講習の時ね。篠原、がんばってたもんねえ?」
「あれは事故だっつーの」
 慌てたところで藤野さんは止まらない。私と古手川さんの方を見ながら、篠原の弱味を明かす。
「聞いて聞いて。こないだ剣道部で救命講習っての受けたんだけど、篠原が一年生の子と同じグループになってさ。んで――」
「ば、ばか! やめろって!」
「えー、いいじゃん。講習受けてる時にふざけて遊んでるのが悪いんでしょ。篠原がペンギン柄のパンツ履いてたことぐらい――」
「言うなって!」
 何があったのかはわからないが、篠原としては面白くない出来事だったのだろう。本人は必死に止めているが、男子がペンギン色のパンツを履いていたぐらいでそこまで照れなくてもいいと思う。もしかすると、別のところに照れる要素があるのかもしれないが。
「とにかく! その講習で同じグループだったから話してたんだよ」
「他に覚えてることない?」
「確か……飼育小屋の横にうさぎの墓があるじゃん? その墓を掘り返して確かめるとか言ってたな」
 うさぎの墓とは、飼育小屋から抜け出した場所で死んでいたうさぎを埋葬した場所のこと。ユメは飼育小屋封鎖前に死んでしまったので、飼育小屋の隣に埋めてあるのだ。当時の飼育委員の先生がそこに大きめの石を置いて、ユメの名前を書いてくれた。
「なんかそのうさぎが、幽霊に祟られて死んだだの呪い殺されただのって後輩が言ってたけどな。俺もよくわかんねー」
「違う。祟られてない」
 苛立ち混じりに私が言い返す。篠原は聞いたことをそのまま話しているだけで、私が怒ったところでどうしようもないとわかっているけど。
「小学校への不法侵入だけでなくユメの墓も荒らすのはよくないと思います。止めましょう」
 鷺山が冷静に呟いた。それに呼応して、藤野さんや篠原が頷く。
 けれど私は、鷺山の発言に違和感を抱いていた。ユメといううさぎがいたことや、それが死んだことは話した。でもユメの墓があることは話していない。私以外の人から聞いたのかもしれないので深く聞き出すことはできないけれど。
「写真を取って脅すはどうかなあ?」
 私が考えこんでいる間に、ポケットからスマートフォンを取り出した古手川さんが提案した。
「この写真を学校なり警察に見せると話をしたら、やめてもらえないかな?」
 このアイデアに異論を唱える者はいない。しかしみんなの表情は重たく、果たしてそれがうまく行くのかと不安を抱いていた。

***

 私たちは小学校裏門へと向かった。正門側は道路も大きく、例大祭に向かう人たちがいて普段よりも人通りが多い。裏門はというと、住宅街の外れと古い公園が近くにあるだけで人の気配は少ない。この裏門が肝試しの集合場所だった。
 私たちが着いた時には二十人ほどが集まっていた。参加者の何人かが、裏門をよじ登っている。門は鍵がかかっているため開けられず、みんなが登りやすいようにはしごがかけられていた。
 そして。主催者がはしごを押さえ、参加者が門をよじ登ろうした瞬間――私たちは物陰から飛び出した。
「え? 藤野先輩と篠原先輩とそれから……」
 突然現れた私たちを見て、集まっていた子たちはぽかんと口を開けていた。その隙に私がスマートフォンを向ける。カシャ、と撮影完了の音が響いた。
「不法侵入の現場、撮影完了。学校か警察に提出していい?」
「突然やってきて、何ですか」
 詰め寄ってきたのは数人の一年生。私は、撮ったばかりの写真を見せながら言う。
「これ、兎ヶ丘小学校への不法侵入の証拠写真」
「はあ? どうして撮るんですか?」
「肝試しをやめてほしいから。小学校や飼育小屋を荒らさないで」
 この騒ぎに他の生徒たちが集まってくる。その中には剣道部の子もいた。藤野さんと篠原の姿を見て目を丸くして言う。
「藤野先輩に篠原先輩。何してんすか。参加しないって言ってたんじゃ……」
「止めに来たの。やっぱさ、こういうのだめだよ」
「顧問に見つかる前に解散しねーと大事になるぞ」
 大事になると聞いてざわざわと騒いでいる。彼らはまだ納得していないようだった。
「ちょっと入るだけだし、校舎までは行きませんから」
「先輩たちだって、飼育小屋の幽霊気になりません? 篠原先輩も藤野先輩も兎ヶ丘小学校出身じゃないっすか。祟られたうさぎの墓も、何があるのか確かめられるのは今夜だけですよ」
 何とか私たちを説得して肝試しを続行しようとしているのだろう。その態度に苛立ち、不満をむきだしにして私は告げる。
「幽霊はいない。それでも確かめるってんなら、この写真を学校か警察に届けるよ」
 そこで一歩前に出た一年生男子がいた。おそらく主催の中でもリーダー格の子だろう。こちらを鋭く睨みつけていた。
「は? 空気読めよ」
「空気読むのはあんたたちでしょ。この写真、届けていいの?」
 眉間にぐっと皺を寄せ舌打ちがひとつ。怒声と共に、彼の手が素早く動いた。
「正義ぶってんじゃねーよ!」
「……っ」
 狙うは私のスマートフォン。証拠写真を奪おうと考えたのだろう。慌てて力に手を込めたので奪われずに済んだものの、私も相手も手を離さない。お互いに引っ張り合う膠着状態となった。これがポスターなら間違いなく破れている。
「離して」
「あ? しらねーよ、さっさと画像消せって」
「あんたたちが肝試しをやめるなら画像は消す。だから肝試しを中止に――」
「うるせーなァ!」
 スマートフォンに込められていた力が急に抜ける。先ほどまでこちらに伸びていた手は、今は宙に掲げられていた。
 その手が何を意味するのか理解する前に、古手川さんの悲鳴が聞こえた。
「鬼塚さん!」
 男の手が、風を纏って振り下ろされる。頬を叩かれるのか、それとも殴られるのか。これから受けるだろう痛みを察して、ぎゅっと強く目を瞑った。
 けれど。
「待ってください」
 平手打ちの音はせず、痛みもなく。聞こえたのは淡々とした鷺山の声。
 鷺山は男子の手を掴んで止めていた。落ち着いた様子で私たちの間に割って入り、リーダー格の男子の方を向く。そして――
「お願いします。肝試しを中止してください」
 深く頭を下げていた。
 脅すでも怒るでもなく、懇願。その行動に鷺山除く全員が呆気にとられている。注目の中で彼は淡々と続けた。
「ここに幽霊はいません。幽霊の噂は嘘です。うさぎの墓も、そこにいるのは不運に亡くなってしまった飼育小屋のうさぎが眠っているだけです」
「……は? なんでそんなこと言えんだよ」
「僕は、知っているからです」
 またしても、空気が凍りつく。鷺山の声音があまりにも真剣なものだったから余計に聞き入っていた。
「本当に幽霊はいません。ただ……この飼育小屋に通っていた人が、亡くなっただけです」
 心臓が、どくりと跳ねた。
 亡くなっている。どうして。ずっと会えなかった理由が告げられていて、思考がざわざわとして落ち着かない。あの黒髪おさげの『彼女』が頭に浮かんだ。
「えこちゃん……」
 ぽつりと呟くと鷺山が振り返った。
 それから、にっこりと。口元がぎこちないけれど優しい弧を描く。初めて見る笑顔だった。
 彼の柔らかな微笑みは、心が温かくなるようで、どこか寂しい。
 ここにいるのは私の知らない鷺山悠人だ。その唇から幽霊として作られてしまった子の真実が語られるなんて想像つかなかった。だからここにいる人が別人のように思えて、寂しくてたまらない。
 どうして、あんたが知っているの。
 どうして、微笑んでいるの。
 どうして、微笑んでいるのに、泣きそうなの。
 混乱する中、鷺山は再び肝試し主催の子たちと向き合う。
「幽霊と語られた子は亡くなりました。でも幽霊にならないと信じています。いや、そうでないと困ります。誰かを怖がらせたり、祟ることを望む人ではありません。その子が憧れていたこの小学校で騒いでいては、きっと悲しみます」
 鷺山の背がゆっくりと曲がっていく。再び、深く頭を下げた。
「お願いします。眠らせてあげてください。ここに幽霊はいません」
 ぽた、と何かが落ちた。彼が頭を下げているその地面に、小学校の外灯に照らされて小さな濡れた跡がある。晴れているのに、一粒だけ落ちてきた雨粒だ。それは彼からこぼれて落ちたものだと思う。
 私も、古手川さんも藤野さんも篠原も。みんなが固まっていたのは、鷺山が嘘をつくような器用な人間でないと知っているから。語ったことは本当だと私たちの沈黙が証明する。
 これが真実だということは、鷺山について深く知らない一年生にも伝わっていた。
「……はあ」
 観念したとばかり息をつき、リーダー格の子が参加者に声をかける。
「やめやめ。こんなんじゃ楽しくねーし」
「だなあ……なんだよ、幽霊話信じてたのに」
 みんな、諦めてくれたのだ。それは望んでいたことのはずなのに、頭はすっきりしていない。心がずんと重たく濁っている。
 空気を和ませるように藤野さんが手を叩いた。
「はいはい、解散するよー。大事になったら顧問のカミナリ落ちるからね」
「あの篠原先輩……今回のことって、顧問に言います?」
「内緒にしといてやるから、他の人に見つかる前に解散しとけ」
 剣道部の子も藤野さんと篠原に頭を下げて去っていく。既に学校に侵入していた子たちも門を登って戻ってきた。
 次々と去って行くのを眺めていると、リーダー格の子がこちらを向いた。
「さっきの画像なんすけど――」
「約束通り消しておく」
 この返答によって牙をそがれたらしいリーダー格の子は、私たちに一礼をして去っていった。
 肝試しは中止になった。けれど、一つの疑問を残している。
「鷺山、」
 私が名を呼ぶと、鷺山の体がびくりと震えた。
「香澄さん……」
 俯いていた顔がゆっくりと上がる。顔色がひどく悪い。よろつきながら、その呼吸が荒くなっていた。
 そして。駆け寄った私に向けて、小さく呟いた。
「幽霊がいないのは確かです。でも僕は……幽霊を作ってしまったんです」
「え? それって……」
 すると、ぐらりと鷺山の体が傾いた。苦しそうにその場にうずくまる。
「すみません……少し、疲れました」
 鷺山は自分の腕をぎゅっと強く掴んでいた。爪痕が残るんじゃないかと思うほど、指が食い込んでいる。
「……具合が悪いので、帰ります。先生に伝えておいてください」
「わかった、けど……私、送っていく」
「平気です、帰れますから」
 そう言うと、鷺山は私たちに背を向け、足元を確かめるようにゆっくりと歩き出した。よろついているので心配になってしまう。
 放っておけばどこかで倒れてしまいそうな状態で、一人で帰るというのだ。怖くてたまらず引き止めていた。
「鷺山、待って」
「一人にしてください」
 背を向けたまま言われてしまえば、これ以上距離を詰められない。
 見慣れた猫背のくせに、今日はそこに重たいものがのし掛かっているように見えた。