「特急券も入れるんだよ」
 騎夜(ないと)お兄ちゃんがそう言うので、わたしは再度改札機に切符を入れます。
 しかし改札さんは依然としてそのまな板みたいな両腕を閉ざし、嬉々として通せんぼを続けました。
「いや、だから、切符全部入れるんだよ。指定席券も」
 向こう側の世界でお兄ちゃんがそう補足します。わたしはまたしても吐き戻されてきた切符たちを出来の悪い子を見るみたいな視線で見つめ、今度は指定席券と重ねて改札機へと投入。ようやく新幹線区画への入場と相成りました。
「三枚も切符を入れたの、初めてです。ここの改札さんは大食いなんですね」
「普通もうちょっと戸惑わない? 『うわあ改札が開かない、死んじゃう!』って。僕が初めて新幹線の改札通ったときは、そんなノリだったけど」
「どこに死ぬ要素があるんですか」
「ないけどさ」
 言いながら、騎夜お兄ちゃんはキャスター付きの鞄をどこかこなれた感じでくるりと回します。その鞄にはわたしとお兄ちゃん、二人分の着替えやその他もろもろの旅支度が詰め込まれていました。
「新幹線の中でなにか食べる? 弁当的な」
 これはわたしの隣を歩く、世那(せな)お姉ちゃんへの言葉でしょう。
「だいじょぶです。一応朝食べてきましたから」
「弥生(やよい)ちゃんは?」
「食べますです」
 どうやら外見相応の子供らしさというものを求められているらしいぞと察し済みのわたしは、心持ち力を入れてそう答えます。
「僕も食べる。僕と弥生ちゃんは、仲間だねー」
 対幼稚園児的な言い方で同意を求められたわたしは、しかしながら仕方なく「なかまー」と片手を挙げて応じます。そう、あくまで仕方なく。
 さて分類上「仲間外れ」となってしまった世那お姉ちゃんはというと、相変わらず不機嫌そうな面持ちでお気楽顔の騎夜お兄ちゃんを見つめています。
 この世那お姉ちゃんという方は、お兄ちゃんとの待ち合わせ場所である名古屋駅の構内で待っていたときは、いくらかそわそわしながらも、とっても幸せそうな顔をしていました。
 けれど待ち合わせの相手であるお兄ちゃんの、その隣を歩くわたしの姿を認めた後、その幸福顔は少しだけ曇り、「えっと、その子は……先輩の廃工場(はいこうば)の隣のおうちに住んでる子ですよね。見覚えあります……が、うん……? あ、見送りかなにかですか?」と訊ね、お兄ちゃんが「いや、この子がどうしてもキャスールランドに行きたいって言うから、一緒に連れてくことにした。名前は観月弥生(みづきやよい)ちゃんね」と答えた瞬間、その頭は混乱……おそらくはお兄ちゃんと二人っきりでの旅路を想像していたのでしょう、言葉にはせずとも急激に機嫌が悪くなって現在に至るというわけです。
 でも弁解をさせてほしいのです。わたしはなにも、「キャスールランド行きたい行きたい行きたーい! お兄ちゃーん! 連れてってー! びええー!」などとは言っておりません。
 夕飯の食卓で大好きな目玉焼きハンバーグを食べているときに、「ねえねえ弥生ちゃん、キャスールランドと町内会のドブ掃除、どっちに行きたい?」と訊ねられ、疑問符を三つくらい浮かべながら、「キャスール、ランド……」と答えただけなのです。
 世那お姉ちゃんの旅路も恋路も、邪魔する気など毛頭なかったのです。
 はあ。
 広い広い待ち合い室に入り、騎夜お兄ちゃんはデリカコーナーでお弁当とお茶、そしておにぎりをふたやま購入します。ふたやまと言うと多く感じられますが要はおにぎり二つです。
「朝からよく食べますね」と世那お姉ちゃんが隙あらばけちをつけにいきます。
「いや、おにぎりは世那ちゃん用だよ」
「私いらないって言ったじゃないですか。食べませんよ」
「まあ余ったら余ったで、弥生ちゃんが食べるだろうし」
 わたしその「名古屋名物えびふりゃー弁当」だけでおなかいっぱいになると思いますが大丈夫ですか。
「それにしても……ここにいる人、みんな新幹線に乗るんですよね? たくさんいますね! みんなどこへ行くんでしょう!」
 わたしは剣呑な空気を入れ換えようとふんわりした疑問を元気に口にします。
「まあたぶん、駅じゃないかな」
「そういう揚げ足取りみたいな話ではなくですね」
 せっかくのわたしの配慮を台無しな感じにする騎夜お兄ちゃんにツッコミを入れ、両手ぶらぶら勢だったわたしはお弁当の入った袋持ちを担当しエスカレーターを上ると、ちょうどホームに新幹線が滑り込んで参りました。
「六号車ですね」
 指定席券を見て言う世那お姉ちゃんはどうやら新幹線には乗り慣れているご様子。きっと旧幹線だったころから乗り回していらっしゃったのではないでしょうか。
「というか、その子の席も同じなんですか?」
『指定席』と表示されている六号車に乗り込んだところで、世那お姉ちゃんが騎夜お兄ちゃんに訊ねました。
「同じだよ。三人席のはず」
「よくそうできましたね? 私たちのはもともと、福引きで当てたやつなのに」
「たいていの物事は、相談すればなんとかなるものだよ」
「じゃあ泊まるところも一緒ですか?」
「そうだよ。『キャスール バウンダリーホテル』二泊三日、三名様」
 がーん。わたし二泊だなんて今知りました。着替え一日分しか入れてませんが大丈夫ですか。本当に大丈夫ですか。
「ふーん……」
 なおも低空飛行を続ける世那お姉ちゃんの反応を見ては、わたしは文句の一つも言えません。
 がんばれ大人たち。そしてがんばれわたし。
 乗り込んだ新幹線の車内には宇宙エレベーターにも似た謎の設備が存在していたので、わたしはこの設備でわたしの部屋のタンスから下着だけでも転送できやしないかと夢想したのですが、騎夜お兄ちゃんにこの宇宙エレベーターみたいなものはなんなのかとお訊ねしてみましたところ、そこはお手洗いだということでした。あとよく考えたらわたし宇宙エレベーター見たことないですね。
「なんだかわくわくしてきましたね。とりあえずお兄ちゃん食べていいですか? おにぎり」
「『お兄ちゃん』と『おにぎり』が逆だよね。『おに』までは同じだから、つい混同するのも分からなくはない……いや分からないけどさ」
「逆でしたか? おにぎり」
「とりあえず人をおにぎり呼ばわりするのやめようか」
 そんなわたしたちのやり取りを聞いて、世那お姉ちゃんはたった一言「仲が良いですねー」と嫌味たっぷりにコメントします。むぅ、なかなか手強い。普通の人だったら間違いなく抱腹絶倒、口から飛び出た四十号玉大花火がラッシュアワーの駅上空に炸裂しているものと思われるのですが。
 わたしはご機嫌取りを諦め、ショルダーバッグから『キャスールランド 裏技&裏話ガイド!』を取り出しパラパラとめくります。
「弥生ちゃんってキャスールランド行くの初めてだよね? 裏技よりオモテ技を覚えたほうがいいんじゃ」と、騎夜お兄ちゃんが、午後に飲むべきと思われる紅茶飲料名のペットボトルを開封しながら話しかけてきました。
「この本の裏話は、読み物として純粋に面白いんです。たとえば……『砂漠の城下町(サンドシティ)』の城主・侍サジョーくんは、戦国武将・砂城金時(すなしろきんとき)をモデルに作られたキャラクターで、」
「それ、比較的オモテの情報なんじゃ」
「で。ですよ。サジョーくんは去年、剣道の県大会にゲスト出演し、優勝者と試合をして……勝ったそうです。しかも防具なしで! です」
「いや。防具なしでっていうか、防具着けられなかったんでしょ、着ぐるみだから」
「それでもすごいじゃないですか。きっと剣道の有段者が中に入ってるんですよ」
「剣道といえば」と、そこで思いがけず世那お姉ちゃんが会話に入ってきました。
「話を変えて悪いんですが、千尋さんは見つかったんですか? あの人、次の舞台でわりと重要な役どころじゃないですか。そろそろ真剣に捜して見つけて連れてきて閉じ込めて稽古させないと、さすがにまずいんじゃないですかね」
 閉じ込める、とは。騎夜お兄ちゃんの劇団はそんな物騒な団体なのですか。
 聞くところによれば、わたしの姉に当たる存在もお兄ちゃんが牛耳る「劇団キョンシー」の演目に出たことがあるとかないとか。これは、わたしも閉じ込められないよう気をつけたほうがいいのかもしれないですね。
「千尋に関しては大丈夫。実は目星はついてるんだ。あと……話が変わってるようで、変わってないんだよね、それ」
「?」
「どういうことですか?」
 世那お姉ちゃんの代わりにわたしが素直に訊ねます。
「千尋って案外背が低くて、百五十センチあるかないかくらいなんだけど、ところでサジョーくんの身長はいくつって書いてある?」
「えー、っと……」
 水を向けられたわたしは、ガイドブックのサジョーくんの項冒頭に書かれたサジョーくんのプロフィール欄を見てみます。騎夜お兄ちゃんと世那お姉ちゃんも、わたしの両隣からその欄を覗き込んできます。
「百五十五センチ……ですね」

         §

 どうしても暇なとき手近な飲料の成分表を眺めるみたいに、わたしは前に並んでいる人の服を検分していました。早春の浜風吹くテーマパークは思いがけない寒さのせいか貸衣装が盛況で、キャラものの寝間着みたいな衣装に身を包んでいる人をちらほらと見かけます。
 いやはや、ここにロックンロールなTシャツを着ている人がいれば、そこに書かれている英文を訳しているだけでだいぶ暇を潰せそうなものなのですが。
 しかし代わりに、漢字Tシャツならぬ漢字コートを着ている人を発見しました。というか目の前に並んでいる人がそうでした。コートが抹茶色なのはともかくとして、そのコートの背面に漢字がデカデカと書かれているのです。あろうことか、『抹茶』と。
 ……きっと、抹茶がとっても好きな方なんでしょうね。
 あるいは漢字の意味を知らない外国の方なのかもと思われるかもしれませんが、これがどうにも日本人女性にしか見えない顔立ちプラスうらやましくなるほどのつやつや黒髪の持ち主なのです。
 きっと茶道のプロフェッショナルかなにかなのでしょう、茶道の会の会長なのかもしれません。とわたしの思考はもう何度目かの同じ結論へと至ります。
 もしくは、定期的に抹茶を飲まないと死んじゃうタイプの方なんでしょう。
 わたしは心の中で彼女のことを「抹茶さん」と命名しましたが、おそらくその呼び名を口にすることはないでしょう。ないはずだー。
 世間的には春休みなキャスールランドは、たいへんな混雑具合でした。侍サジョーくんが城主を務める「砂漠の城」のある「砂漠の城下町(サンドシティ)」のキャラクターグリーティングに並んでいるわたしは、先ほど騎夜お兄ちゃんが(世那お姉ちゃんに命じられて)買いに走ったきな粉チュロスをかじりつつ、スマートフォンをあたかもバスケットボールのように人差し指の先でくるくる回している騎夜お兄ちゃんをぼーっと見上げます。たいへん危険な行為ですので良い子のわたしはマネをしませんしそもそもわたしスマホ持ってません。
「お兄ちゃんお兄ちゃん、こういう待ち時間をいかに楽しく過ごすかというのが、テーマパークにつきものの待ち時間においてとても重要なことらしいですよ。だからちょっと手品でもやってわたしたちを楽しませてください」
「すごい無茶振りが出た」
 騎夜お兄ちゃんはスマホをジャケットのポケットにしまい、手品の代わりか、レモンが描かれた包みのアメを一つ取り出してわたしに差し出します。
「……なんかこう、このアメをもっと手品的に登場させたりとかはできなかったのですか」
 ちょうどチュロスを食べ終わったわたしは、文句を言いつつもしっかりとそのアメを受け取ります。
「いいですかみなさん。そして弥生ちゃん。そのアメには、種も、仕掛けも、ありません。ですがそのアメは、あら不思議――舐めると溶けてなくなります」
 手品風に解説されても騙されませんし指をぱちんと鳴らされてもまだわたしの口の中にアメありますし種も仕掛けもなさすぎる。
「ひゃあ、ふぁにか面白い話へもいいでふよ」
「いやそんな舐めにくくないでしょそのアメ」
 お兄ちゃんは食べ終えたチュロスの包み紙を無駄に丁寧に折り畳み、わたしの手からチュロスとアメの包みを受け取るとまた少し列を抜け、ゴミ箱にそれを放り込んで戻ってきます。
「……面白いかどうかは分からないけれど。待ち時間といえばね。待ち合わせ場所として有名な渋谷駅ハチ公前には、その昔――まだ携帯電話が普及していなかったころ――『待ち屋』と呼ばれる人がいたらしいんだ」
「待ち屋、ですか」
「すでにめちゃめちゃ嘘くさいですね」
 世那お姉ちゃんが厳しい意見を飛ばしますがお兄ちゃんは臆せず話を続けます。
「待ち屋っていうのはね、待ち合わせをしている人たちが、どうしても一時的にその場を離れなくちゃいけなくなったときに、その待ち屋さんに声をかけて、言づてを頼むのさ。自分がいない間に、待ち合わせの相手が来てしまったときのためにね」
「確かに、携帯電話が普及したら速攻で廃業に追い込まれそうなお仕事ですね。あっ、そうか。……分かりました、分かりましたよその話。きっと『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』と同じパターンです。実は『待ち屋』というのは副業で、待ち屋さん自身もなにかを待っていて、その際に言づてを受けつけていたと」
 わたしは日々の読書から得た知識をここぞとばかりに活用します。
「さあね。そうかもしれないけど。でもここで重要なのは、携帯電話が普及した後、待ち屋がどこへ消えたのかってことなんだ」
「廃業したんじゃないですか」
 世那お姉ちゃんが冷たく切り捨てます。
「いいや。それがね、待ち屋は……テーマパークに現れるようになったのさ。ちょうどここ、キャスールランドのような、行列と待ち時間には事欠かない場所にね」
 わたしは少し黙って、お兄ちゃんの話を咀嚼します。
「……それって、待ち屋さんが代わりに列に並んでおいてくれる、ってことですか? ……まあ、一人が並んでいる間にもう一人が飲み物を買いに行ったり、お手洗いに行ったり……みたいなことはあるかもしれませんが、それはもともと知り合い同士のグループが助け合ってるだけという感じで、待ち屋さんに頼んでるらしき人なんて全然、見当たりませんよ?」
 わたしの意見に、世那お姉ちゃんも「そもそも、その待ち屋らしき人自体が見当たらないんじゃ、頼みようがなくないですか」と加勢します。
「そうかな? それはきみたちが気付いていないだけなのかもしれない。気付いていないだけで、待ち屋は実は、僕たちのすぐそばにいるのかもしれないよ」
「はあ」
 なんとももやっとな締めくくりのお話でした。世那お姉ちゃんもわたしと同じく半ばあきれるような声を漏らしたので、概ね同意見かと思われます。
 わたしは小さくなったアメを今さらながらに慈しみつつ、また前に並んでいる方々の服から訳し甲斐のありそうな英文を探す作業に戻ります。
 例の『抹茶』と書かれたコートの女性の背中が、なぜだかいっそう気になりました。
 抹茶、まっちゃ、まちゃ、まちや、待ち屋……?
 ……なるほど。どうやら騎夜お兄ちゃんは、わたしと同じものを見て、異なる物語を想像……というか、創造したようです。
「それで、サジョーくんの中の人判定はどうするんですか? 話してるうちにもうすぐわたしたちの番ですが」
「それね。……考えたんだけどさ、二人とも、ちょっとだけ手伝ってくれる?」
「わたしはもちろん構いませんが」
 世那お姉ちゃんはどうでしょうねと思って様子をうかがうと、「なにくれるんですか?」と率直すぎる要求を繰り出してきました。さて、レモン味のアメで納得していただけるか、どうか。
「じゃあ、明日の夜キャスールドームで行われる、『鏡の歌姫』ネレンさんのラストライブのチケットをあげよう」
 騎夜お兄ちゃんはそうこともなげに言うと、また上着のポケットから(いったいそこにどれだけ物を詰め込んでいるのか)長財布を取り出し、数枚あるチケットのうち一枚を指に挟んで世那お姉ちゃんに差し出します。
 お姉ちゃんは「ふぁえ?!」なる奇声を発し、お兄ちゃんの手からほとんど奪い取るようにしてそのチケットを手にします。
「ふぇあー!?」
 先ほどまでの大人げない不貞腐れようから一転、テンション爆上げのご様子ですがわたしはネレンさんとやらにはあまり詳しくないのでそのチケットの価値も分かりません。
「で、どんな作戦でいくのですか? ここはやっぱり、わたしがサジョーくんに抱き着いてる隙に、騎夜お兄ちゃんが回り込んで、サジョーくんの被り物の頭をこうやってー、こうですか」
「出禁になってしまう」
「ちなみにそれって私はなにをするの?」ライブチケットを手に入れ完全に機嫌を直したらしいちょろいお姉ちゃんがほとんど初めてわたしに話しかけてきました。
「世那お姉ちゃんは、応援しててください」
「応援……」
「ふぃあそもそもひゃらないからね、ほれ」
 騎夜お兄ちゃんは自分もアメを舐め始めました。微妙になに言ってるのか分かりません。まあ聞き取れてもお兄ちゃんの場合結局なに言ってるのか分からないときもありますが。
「でしたら北風と太陽作戦ですよ。力ずくで被り物を脱がそうとするのではなく、自ら脱ぐように仕向けるのです」
「ほうやって?」お兄ちゃんそのアメそんなに舐めにくいですか。
「たとえば、サジョーくんを池に突き落とせば、むしろ必死になって被り物を脱ごうとすると思うんです」
「めちゃくちゃ力ずくじゃないか」
「……でもここって『砂漠の城下町(サンドシティ)』だから、池とかないですよね」
 世那お姉ちゃんが実際的な指摘をし始めました。
「言われてみればそうですね。亀のノナトルおじいちゃんが城主を務める『海底の城下町(マリンシティ)』まで、うまいことサジョーくんを誘導しなければなりません」
「もっと穏便にいこうよ、頼むから」
 列が進むのに合わせて騎夜お兄ちゃんが一歩前へ出て、それにつられるようにしてわたしと世那お姉ちゃんも一歩前へ進みます。
「じゃあ、三人でサジョーくんに斬りかかるとかですか。戦いの動きで中の人がその千尋さんという方なのかを見極める、と」
 サジョーくん自身はその腰に愛刀・キントキ刀を下げていますが、果し合いを申し入れるなら、わたしたちは超速でショップに行ってお土産用の刀を入手してこなければなりません。
「それは絶対にやっちゃいけない。千尋は……剣道に関してだけは、本当に負けず嫌いだからね」
「ですね。ぼこぼこにされますね」
 世那お姉ちゃんはなにか思い出すようにして深く頷きます。
 過去になにがあったんですか。
「でも逆に言えば、剣道以外のことに関してはわりと負けてくれるんだよ。特に失踪に関してはね。
 結局のところ、千尋も心のどこかで見つけてもらいたがってるんだと思う。……だから、僕たちはそっと手を差しのべるだけでいいんだ。名実ともにね」
 騎夜お兄ちゃんが説明した作戦は、本当に、手を差し伸べるだけでした。
 着ぐるみのキャラクターたちと触れ合い、写真を撮ることができるグリーティングでは、みな思い思いの触れ合い方をするわけですが、キャラクターたちはしゃべることができないので、自ずとコミュニケーション手段は限られてきます。
 騎夜お兄ちゃんは、サジョーくんのサポートをしているキャストの方に三人組であることを伝えると、スマホを取り出してそのキャストの方に預けました。
 世那お姉ちゃんもやや遅れてスマホを渡します。もちろん写真を撮ってもらうためです。
 そしてわたしたちはまず、一人ずつ順番にサジョーくんと握手をしていきました。
 先陣を切ったのはわたしです。右手を差し出し握手をして、正面からぶつかるようにハグします。わーい。
 サジョーくんのお腹に顔を擦りつけるのもそこそこに、わたしは三人プラス、サジョーくんで写真を撮るためにいったん横へとずれます。
 次に、世那お姉ちゃんがわたしと同じように手を差し出し、サジョーくんとがっちり握手をしました。心持ちわたしのときよりも遠慮することなく、握手をしたまま右腕を大きく振り振りします。
 さて、世那お姉ちゃんがわたしとは反対側にずれると、次は騎夜お兄ちゃんの番です。……が、お兄ちゃんはジャケットのポケットに両手を入れたまま、サジョーくんと向き合いました。サジョーくんは少し戸惑うかのように首を傾げ、握手をするべく手を差し出しました。
 するとお兄ちゃんはようやく微笑み、サジョーくんが差し出した左手を固く握ります。
 写真撮影。背の低いわたしはサジョーくんの前に立ち、サジョーくんの両サイドに世那お姉ちゃんと騎夜お兄ちゃんが立つ構図でわたしたちは写真に収まりました。
 スマホを受け取り、撮影された写真を確認する世那お姉ちゃんの顔はとてもとても幸せそうでした。
「お兄ちゃんお兄ちゃん。今の写真、わたしのメールアドレス宛てに送っておいてほしいのです」
 わたしはスマホは持っていませんが、おうちにあるノートパソコンでメールを見るスキルを有しているので、なにやらスマホを操作している騎夜お兄ちゃんにそう頼みました。
「うん。弥生ちゃんのアドレスのほうにも、送っておいたよ」
「にも、ですか」
「千尋のスマホにも送っておいたから」
「なるほど」
 そうやって「見つけた」ということを示唆するのが作法なのでしょう。まったく、無駄に婉曲的なコミュニケーションです。
「……それにしても、まんまと騎夜お兄ちゃんの罠に引っかかりましたね、サジョーくん」
 振り返り、グリーティングスポットにいるサジョーくんの背中を眺めつつ、わたしは呟くように言います。
「引っかかるとか、そういうのじゃないよ」
「そうなんですか?」
 騎夜お兄ちゃんの番のとき、サジョーくんは無意識にか、あるいはキャスールランドが誇るホスピタリティマインドが災いしたのか、お兄ちゃんに自ら左手を差し出してしまいました。
 お兄ちゃんが左利きであると、知っていたのでしょう。
「あれはただ、……負けてくれただけさ」
 お兄ちゃんは上着のポケットにスマホをしまいながらそう言うと、いつも通り、幸せそうに微笑みました。