一月一日つまりは元日。息つく暇もなく吐いた息が白く着色されては消えていく寒空の下、私「七瀬世那(ななせせな)」はとあるショッピングモールの外で列をなす老若男女の一人として背景的役割を果たし、日本国一般における常識的ルールに則るインチキなしで福引きの順番を待っていました。
 指定教科書の一つである英単語帳に目を落としますが、よくよく考えてみれば私はテスト前でもないのにスタンディングスタディができるほど成績あるいは学歴を輝かしくすることに執着を持てる人間でもなく、まあ一月ということで受験生にとってはもう大雑把に「テスト前」と言うことも全くできなくはないんでしょうがいかんせん私はまだ高校二年生です。JK2、いえい。
 さて自宅から徒歩十分の近さにあるこのショッピングモールでは、小・中学校時代の同級生という名の「私的ばったり出会いたくない人ランキングトップ10」の大半を占める方々に延々エンカウントしてしまう危険性がかーなーりー高いように思われたのですが、しかし幸いにして誰とも出会わずにいられた!――のは、つい数分前までのお話です。
 つまり私は出会ってしまいました。
 出会ったというか、気付いてしまったのです。私のすぐ後ろに並んでいる中肉中背の男性(確か二十歳)が、「私的ばったり出会いたくない人ランキング」第1位――並み居る同級生たちをおさえて堂々の第1位おめでとうございます!――輝寺(てるでら)高校演劇部OB・黒柳騎夜(くろやなぎないと)先輩であるということに。
 気がつかなければよかったのです。気がつかなければ出会わずに済んだのです。
 しかし嘆いてばかりもいられません。さあこの不運をどう処理するのか七瀬世那選手。背後から先輩につむじを見下ろされ続けるというのはもはや一種の拷問です。自尊心がじゅくじゅくと傷付けられていきます。
 通常ならば「迅速な退避」がとるべき行動として選ばれたことでしょう。しかしどうしようもなく暇を持て余す私の心理状態を鑑みれば、毒も時には薬になるのだといわんばかりにその男性に話しかけ、「明けましておめでとうございます本年も云々」との定型文を口にし、続いて「寒いですね」「そうだね」の共感系エンドレス掛け合いを繰り広げることで行列の消化をただ待つのみの現状にせめてもの慰め的効果を期待するのは至極真っ当な心理の動きと言えるはずですいえきっと言えます!
「おや、そのやたらめったらに幸せそうなお顔は黒柳騎夜先輩ではないですか」
「あれ、世那ちゃんだ。全然気付かなかったな。まあやけに世那ちゃんに似てる世那ちゃんだなとは思っていたけれど」
「それ完全に私だって気付いてたんじゃないですか。気付いてたのになぜ話しかけてくれないんでしょう。ストーカーなんですかね。いや、変態なんでしょうね。いやいや、ここは間を取って変態のストーカーということにしておきましょう。ともあれ明けましておめでとうございます本年もお年玉ください」
「お年玉かぁ……なんかそういうのもあったよね、昔は」
「昔は?! 今でもバリバリ現役の慣習なのでとぼけないでください! ちなみに今の『ください』は丁寧な言い方ではなくて『プリーズ』のほうの『ください』です!」
「言わんとすることは分かるけど、丁寧な言い方をするときの『ください』も『プリーズ』なんじゃないかな……」
 言われてみれば確かにそうだ。
「……四角四面なお役所対応はいらないのでお年玉ください」
「それ、そう言っとけばいいだろ的なノリで言ってない? ちゃんと言葉の意味知ってて使ってる?」
「言葉の意味ですか。三角関係の発展形みたいなものだと思っていますが違うのですか」
「お役所の恋愛模様が複雑すぎる……」
 先輩は心底興味なさそうに呟きました。私だってお役所のラブウォーズになど興味はありません。
「なるほどです、福引きに使う五千円札はあっても、私に渡す五千円札はないということですね。がっかりです、絶望しました、一巻の終わりです。いえ、一年の終わりですね。本年もありがとうございました、よいお年を……」
「もう一年終わってしまったのか。……だってさ、この福引きはハズレなしで最低でも五千五百円分の商品券が当たるけど、世那ちゃんに五千円投入してもほぼほぼ強化素材にしか使えない武器が出てくるだけで、キャラやSSR武器が出てこないからなぁ……」
「人をソシャゲガチャみたいに言うのやめてください。それに今ちょうど期間限定ピックアップ中で『SSR七瀬世那【満面の微笑み】』の排出率が非常に高くなっていますのでむしろ大チャンスですよ」
「ピックアップで何パーセントになってるの?」
「0.2パーセントですね」
「パーセントなんだよね? 低すぎない?」
「でもでも、SSR全体の排出率が倍になってて、6パーセントなんですよ」
「それでも低くない?」
「ソシャゲエアプなんですか? これかなり高いほうですよ」
「ふぅん。……まあともかく、五千円は福引きに使ったほうがよさそう」
「むう……」
 まあおっしゃる通り、毎年元日にこのショッピングモールで行われる福引きは、実質ボーナスゲームみたいなとってもお得な催しなのです。だからこそ私は一回五千円という価格設定にもかかわらず抽選券代わりのダイレクトメールを手に行列の中へと身を投じているわけなのですから。
「ああそうだ。この福引きで一等を当てて、賞品をお年玉代わりにプレゼントしようじゃないか。【幸せ者】の僕のことだから、たぶん当たると思うんだ」
「6パーセントで難色を示していた先輩はどこに行ってしまわれたのですか」
「福引きに五千円を使う、一等が当たる、世那ちゃんが笑顔になり、僕も幸せになる。一石二鳥。完璧な計画だと思うけど、世那ちゃんはどう思う?」
 突っ込む私をよそに、先輩はタヌキを皮にして売り払う計画を立てています。タヌキかわいそう。
「当たる前に当たり前みたいに当たる前提の話をされてもですね」
 私はあきれますが、しかし先輩は【幸せ者】を自称するだけのことはあり、こういった抽選やくじといった類のものではたいがい最も良い結果を引き当ててしまうのですから恐ろしい。
 ならばさっさと宝くじでも当てて億万長者にでもなればよろしいと思うのですが、賞品がお金となると、全くその幸運は働かないご様子。あるいは多すぎるお金はむしろ不幸を呼ぶとでもいうのでしょうか。
「先輩は、最初に出会ったときからそうでしたよね。あの夏の合宿のとき。旅館の雨漏りでみんなの荷物がびしょびしょになる中、先輩の荷物だけ無事だったりして……」
「いや、その後僕の着替え用の服を部の子たちが奪い合うようにして持っていったから、あれはむしろ不幸な出来事なんじゃ……まあ、覚えてるけどさ」
「そういえばそうでしたね。私まだ持ってますよ、あのときのTシャツ」
「いや、返そうよ」
「わあ、女子高生が着た服を欲しがるなんて、先輩やっぱり変態ですね」
「いやいや、それはおかしいよね。もともと僕のものを返してもらうだけだよね」
「いやあ、そうなるとやっぱり先輩は【幸せ者】ですね。本当に、いつからそんなにラッキーマンなんですか」
「前に話さなかったかったっけ、僕は昔、キャスールランドで……」
「聞きました聞きました。というかもう耳にタコができるくらい聞きましたよ」
「タコか。ある意味今日という日にピッタリだね。これは『はなしてあげないと』いけないな」
 私はなにがどう「今日という日にピッタリ」なのかと数秒考え、それについて訊ねようかとも思いましたが、そんなことを訊かなくてはいけないというのもどこか業腹だったのでやめましょうなどと思っているうちに先輩はいつものお話をし始めてしまいました。
「いいかい世那ちゃん。世の中には、顔に役名を貼りつけた者たちがいる。こう、目を閉じたときにね、目の前に短冊のような一枚の紙が見えてくるんだ。
 人によっては、それを『お札』とか、『レッテル』と呼んでいる。僕はまあ、だいたい『役名』って呼んでいるけどね。
 役名を持っている者にしか、他人の役名は見えない。見える人には、ちょうどこの辺に、見えるはずさ」
 先輩は両目を閉じ、左右のまぶたとまぶたの間を指さして言います。こうなるともういかなる手段を用いようと先輩のお話を止めることはできません。イカなる手段でもダメならタコを使えばいいのではという意見もあるかとは思いますが、……ああそうか、なるほど……今日は元日だから、凧揚げのタコとかけてたんですね、さっきの……と、私は今になって理解しました。
 先輩は、ちょうど舞台の上から観客に語りかけるかのように話し続けます。
「僕の顔には、【幸せ者】の役名が貼られている。目を閉じると見えるんだ。短冊のような紙の、その裏面がね。表にはただ【幸せ者】とだけ書いてある。でも裏面には、こう書かれているんだ。『あなたは【幸せ者】です。』とね。まるで商品の説明文みたいに――教えるかのようにね」
「……『レッテル』という言葉は、もともと『Letter(レター)』と書いて『レッテル』と読むオランダ語だそうです。そしてこれは英語でいうところの『Label(ラベル)』にあたる言葉らしいですから、『商品の説明文みたい』と言うのなら、『役名』じゃなくて『レッテル』と呼ぶほうが、実は合っているのかもしれませんね」
 私は開いた英単語帳で口元を隠しながら指摘します。べつにリップクリームを持ってきていなくて冬の寒さで少し乾燥気味の唇を先輩に見られたくないからとかそういうことではないのですが。
「へー、そうなんだ。最近の英単語帳にはそんな豆知識まで載ってるの?」
「…………」
 私は返事の代わりに一往復だけ首を横に振ります。
「ふぅん。……僕の顔に【幸せ者】の役名――レッテルが貼りつけられてからというもの、幸福なことが日常的に起こるようになった。そして気がつけば、僕の周りには多くの仲間たちが集まるようになっていた。凧揚げどころか劇団を旗揚げしてしまうくらいの、素晴らしい仲間たちがね」
 劇団。先輩を含めて出演者が美女ばかりだと局所的に話題の、先輩の――私たちの、劇団。
「『素晴らしい女の子たち』の間違いなんじゃないですか」
「確かに男は僕だけだけど。……とにかく、素晴らしい仲間たちと出会うことができたのも、きっとこの【幸せ者】のレッテルのおかげなのさ。僕はこのレッテルで仲間ができました」
 冗談めかしたセリフを吐きながら先輩が再度指さしたそのまぶたとまぶたの間には、光る大きな栞(しおり)のような長方形が浮かび上がっていました。
 ――【幸せ者】と、そこには書かれています。
 先程は先輩自身の手で隠れてよく見えませんでしたが、先輩の顔には、確かに【幸せ者】のレッテルが貼られているのでした。
 そして、それが見えるということは……
「先輩先輩、そんなラッキーパワーをお持ちなら、私の好きな歌手のプレミアムチケットでも当ててきてくださいよ。そしたら私泣いて喜びます。SSR七瀬世那【リミテッドバージョン】ですよ、年内限定排出で来年から一年間排出停止です。つまり今日がラストチャンスなんですよ」
「だからなんでもう今年終わってしまうんだ。……一応訊くけど、なんていう歌手?」
「『鏡の歌姫』ネレンちゃん、です!」
「最近睡眠不足だとうわさの?」
「そんなうわさしてるの先輩だけだと思いますよ」
「いや、この間ラジオで言ってたから」
「ネレンちゃんのラジオ聴いてるんですか。めちゃめちゃファンじゃないですか」
「ラジオをよく聴くだけだよ。……ていうか、もうすぐ歌手活動引退するって話してた気がするけど、そのネレンさん」
「そうなんです! だから絶対行かなくちゃいけないんですよ! 能浪(のうなみ)キャスールランドに新しく建てられたドーム会場の、こけら落とし公演にして、ネレンちゃんのラストライブ!! 十二月からもうチケットの先行抽選申し込みが始まってて……ものすごい倍率らしいですが先輩、チケット当ててください! 一枚でいいので!」
 などと半分冗談混じりに(逆に言えば半分真剣なわけですが)話している間に、徐々にではありますが列が進みます。さっきまでより、心なしか時間の流れが早く感じるような。いえべつに先輩との時間は過ぎるのが早く感じるとかそういうことではなくてですよ。
 きっとみなさん、効率化の精神に目覚めて超高速でガラガラを回すようになったのでしょうね。「後ろの人の分まで回しとくねー!」ガラガラッぽんぽーん。白と黄色の玉が出ます。「黄色が私ねー! 四等だ、やりー!」やりー! ……自分で言っておきながらあれですが、そんな雑な世界は嫌ですね……。
「いっそそのネレンさんも、僕たちの劇団に入ってくれれば楽なんだけど」
「入るわけないじゃないですか。歌手ですよ」
 しかしながら先輩は以前、プロのダンサーを目指す少女の舞台をやるために有名なダンサーさんを引っ張ってきて一時的に入団させていたから、絶対にありえないとも言えない……。
「……彼女は本当に、歌手なのかな」
「歌手以外なにかあるんですか。ああ、確かに本格的にデビューする前は、なんかアイドルやってたみたいですけど」
「いや、そういうことじゃなくて」
「?」
 いまひとつ、先輩の言うことが理解できません。いえ、先輩の言うことが理解できないのはある意味いつものことではあるんですが。
「そういえば……ネレンちゃんはもともと、ミュージカル子役としてデビューしたのが最初なんでした。だから舞台とは全く縁がないってわけではないのもしれませんが。でもどっちにしろ私たちの劇団、明らかに女性が多すぎますよね。これ以上増えても手に余るんじゃないですか」
「手に余るかな? まだ十人以下だから、むしろ『手中に収まる』人数と言えるんじゃないか。ほら、両手の指を合わせれば十本だ」
「『手に余る』って絶対そういう意味じゃないと思います」
「ふむ。いいかい、世那ちゃんにはまだ分からないかもしれないけれど、『幸福』と『異性』とは切っても切り離せない関係にあるんだ。異性なくして幸福はありえない。そして僕は【幸せ者】だ。幸福なことが起こる。だから、基本的には女の子が寄ってくる。まるで物語の主人公みたいに」
「幸せ者だから異性が寄ってくるのか、異性が寄ってくるから幸せ者なのか……『Chicken or the egg』みたいな話ですね」
「卵? 牛肉か鶏肉かじゃなくて?」
「機内食の話じゃなく。『鶏が先か、卵が先か』ということです」
「ふぅん。その英語はどこで?」
「……英単語帳に載っていたのです」
 いつまでも英単語帳にキスしているわけにもいきません。私は栞代わりに使っていたダイレクトメールを手に、初売りがどうの、福袋がどうのという広告に目を走らせます。さも「あなたの話なんてどうでもいいですね」というふうにですね、装います。
「閑話休題、羊に戻ろう。僕の顔に【幸せ者】のレッテルが浮かんだのは、ネレンさんが今度ライブを行うという、七つの城下町『能浪キャスールランド』でのことだった。前にも話した気がするけれど、僕は昔、愛知に越してくる前は能浪市に住んでたから、休みの日は毎日のように三十分電車に乗ってキャスールに通っていたもんだよ。
 そういえば世那ちゃんって確か、まだキャスールランドに行ったことがないって言ってなかったっけ。絶対一回行ってみたほうがいいよ。ネレンさんのライブとは関係なくね。
 なんなら一緒に行く? 僕たぶんアトラクション待ちの列に並んでる間にめちゃくちゃ解説し始めるけど」
「遠慮します。先輩と二人っきりでお泊まりキャスールデートだなんて、夜中になにされるか分かったもんじゃない……いやむしろ! なにされるか分かりきってますからね。まあ、その両手の指を切り落として左手の薬指一本だけにするというのなら、数秒だけ考えますが」
「まだ『二人っきりで』とも、『泊まりがけで』とも言ってないのに……ともかく絶対に行ったほうがいいと思うよ、キャスールは。
 まあでもとりあえず今は、続きを話そうか。……それでね、園内にいる誰もが幸せそうなキャスールランドで、僕は――子供のころの僕は――一人で泣いていたんだ。
 いや、涙を流してはいなかったんだけど、心の中で泣いていた。両親とはぐれたんだね。迷子さ。確か小学校低学年のころのことだ。ゴールデンウィークだったかな。混んでたし。
 ありとあらゆる装飾が光り輝く夜のキャスールで、僕は一人ぼっちになった。
 どうしてかは分からない。いつの間にか一人になっていたんだ。
 僕はあの、ポップコーンを入れるバケツみたいなものを首から提げていた。でもそこにポップコーンは入っていなかった。食べきってしまったんだね。ずいぶんと前に食べきってしまったような気がする。けどそのバケツが空になってからも、僕はずっとそれを大事そうに手で抱え込んで歩いて、ときどきフタを開けたり閉めたりした。僕はその中に『幸せ』が溜まっていくような気がしていたんだ。
 家族連れや、若い男女や、そういった人たちの笑顔を見るたびに、僕はそのバケツのフタを開けた。バケツの中にはけっこうたくさんの『幸せ』が溜まったような気がしていた。
 だから夜になって両親とはぐれて、一人ぼっちになったとき、僕はごく自然に、まるでお腹が空いたから食べ物を口にするみたいに、バケツのフタを開けた。
 でもそこにはなにも入っていなかった。なぜかは分からない。でもたぶん、夜になってしまったからだと思う。太陽が出ていたときには簡単に見つけることができたみんなの楽しそうな笑顔が、暗闇によって見えなくなってしまっていた。
 もちろん、全くの暗闇というわけではないけどね。
 子供たちは疲れて眠くなってくる時間だし、着ぐるみのキャラクターたちも昼に比べてずっと見当たらなくなってくる。『わくわくして、楽しい』昼の時間から、『幻想的で、美しい』夜の時間へと移り変わっていた。
 でもそのときの僕は、まだそういう……なんていうのかな、コンセプトみたいなものをよく理解していなかった。だから子供のころの僕は単純に、『キャスールのキャラクターたちがいなくなってしまった』と思ったんだ。『そういえば、さっきまであんなにみんなと握手したり写真を撮ったりしていたあいつらが、全然見当たらないじゃないか』ってね。
 迷子になって注意深く周りを見るようになってから、初めてそのことに気がついた。
 僕は怖くなった。でも泣いたりはしなかった。幸せの象徴であるところのキャスールランドで涙を見せるのは、とてもふさわしくないことのように思えたんだ。たとえるなら、結婚式場で浮かない顔をするような。
 そのころの僕は、そういう『TPOをわきまえる』みたいな――TPO? いや違うな――『与えられた役割を演じる』ということに関して敏感だった。つまり、学校では勉強しなきゃいけないし、食堂ではご飯を食べなきゃいけないし、図書館では本を読まなきゃいけないし、カラオケでは歌わなきゃいけないし、」
「『キャスールランドでは幸せでなければいけなかった。』」
「その通り」
 先輩は銃の形にした手の人差し指で私を指さし称えます。
 ……レッテルが見えるようになったときの話。その話をするときだけは、先輩は大真面目な声を出すのです。まるで月夜の下に出会った世間知らずな男性が、街の娘に「実は僕は王子で、隣国の暗殺者に命を狙われているんだ」と打ち明けるかのように。
「たぶん、僕の実家の部屋の多さが原因なんだと思う。あの家には、子供の僕がいてはならない部屋がいくつもあった。ダイニングで勉強をしてはいけなかったし、客間はお客さんのための部屋だからと何度も注意されたし、寝室にいるなら寝なければならなかったし、座敷にいるなら正座していなきゃならなかった。
 僕は長らく、その場所や物を本来の目的に沿って使うことを強いられてきたんだ。だからキャスールランドで泣くなんてことは――」
「順番、きましたよ。ていうか、先に並んでたのって私でしたっけ」
 先輩の『始まりの話』も佳境に入ったそのとき、長かったようで短かったように思えなくもない順番待ちがついに幕引きとなりました。幕引きというか、福引きです。
 私は財布から五千円札を取り出しつつ、運動場に石灰で引いたばかりの白線にも勝る白々しさで、「いやあ、最後までお話お聞きしたかったです」と口にします。引くものいっぱいですね。
「それとも先に引きますか? あっ、でも」
 先輩に先に引かれるということは、先に良い賞品を持っていかれるということです。つまり後に引く人たちはノーチャンス。むごい。たとえ先輩より先に引いて実質残念賞扱いの商品券五千五百円分を当てることになったとしても、チャンスがあったかなかったかでは全然違います。それに、なにも自分からチャンスを捨てることはない。
「じゃあ、一緒に引くってのはどうかな。すみません、二回分。……はい。続けて回せばいいですか?」
「え? なに言って……えっ?」
 先輩は私の手から五千円札とダイレクトメールをかすめ取ると、自分のぶんと一緒に店員さんに渡してしまいました。そして私は抗議する間もなく先輩に腕をつかまれ(先輩はあろうことか「世那ちゃん、一緒に回そうねー」などと、正月に久し振りに会った親戚の子供に接するような口調でいけしゃあしゃあとのたまい)、ガラガラのハンドルを握らされたところで羞恥心から店員さんの顔色をうかがうと、ルーチンワーク的作業にいい加減というかとっくの昔に飽き飽きしているに違いないそのお方はこういうノリのカップルをよく目にしているのか冷めた視線を返してくるばかりでした。
 その名に恥じぬガラガラという音を立てて回る多角形。そして穴からころりん、……ころりん、と排出される二つの小玉。白と金色。カランカラーンおめでとうございます! 一等が出ましたー! 冗談みたいな店員さんのセリフ……負けず劣らず響き渡るハンドベル。まるで他のお客さんに、「ちゃんと一等は入っていたのですよ!」と周知させるみたいな。
「……………………」
「ええと、では、あちらで賞品の引き換えについてのご説明を……」
「ああ、はいはい。ほら行くよ。世那ちゃん。やったねー」
 棒読みです。なんの感慨もない落ち着き払った様子で私の名前を呼ぶ先輩。
 一方の私は複雑な思いを抱きながらも正直かなりうれしい。
 ですが二人で一緒にガラガラを回したわけですから、賞品は先輩と半分こですかね。そういえば一等はなんでしたっけと賞品リストが書かれた立て看板を見上げると、そこには『能浪キャスールランド二泊三日 ペアご招待!』というきらびやかな太字が踊っておりました。