彼からそのあと、『妻が迷惑をかけてごめん』とメッセージが来た。

 「妻」というその一文字は、私の胸に鬱屈した思いを落とす。

 そのメッセージを皮切りに、ずらずらと言い訳の数々がスマホの画面に並べられていく。私は流れる画面を、自分の部屋で膝を抱えて、なにもせずにじっと眺めていた。

 近いうちに離婚するつもりだった。もう夫婦とは言えないような関係だ。子どももいないのに単身赴任ということでわかるだろう? まだ離婚していないだけで、離婚しているも同然だ。広島に来てからは会ってもいない。会いにもこない。連絡を取ることもほとんどない。妻は仕事だけが生きがいで、俺は世間体のために書類で繋がっているだけの人間なんだ。

 既読が付くからだろう。彼の言葉はどんどんと積もっていった。
 『頼むから、返事をくれ』とメッセージが来たときに、私はスマホを手に取った。

 『どうして結婚していると教えてくれなかったの? そしたら私は最初から付き合ったりしなかった』と返信をした。その返事を待たず、私は『嘘つき』とだけ書いて彼をブロックした。

 実際、彼の言う通りだったのではないかと思う。だから奥さんの影を隠し通せたのだろう。そうでなければ、もっと早くに気付けたはずだ。
 何一つ物証がない中、既婚者だと疑ったくらいなのだから、きっとそうだ。
 むしろ私は、よく気付けたな、と自分に感心してしまったくらいだ。普通ならばきっと気付かない。
 それだけ私は、彼のことを見つめていたのだろう。

 奥さんの弁護士さんが帰ったあとから、私はひそひそと囁かれるようになった。
 弁護士さんとは部長と私とで会議室での対面をしたけれど、きっと聞き耳を立てていた人がいたんだろう。
 いや、弁護士が一介の独身OLを訪ねてくることなんて、不倫くらいしか思いつかないから、それで推測されたのかもしれない。

 飲み会はもちろん、お昼ご飯に誘われることもなくなった。
 給湯室に彼女たちが集まっているときに足を踏み入れると、さっと潮が引くように彼女たちは散らばっていく。
 人数が少ないだけに、それは堪えた。

 表立っては誰も私を責めたりしない。
 だって私は騙された側ということになっている。
 けれど彼女たちは「そんなはずはない」と思っているのだ。

 もし私が本当に完全に騙されていたとしたら、きっと彼女たちに向かって「言いたいことがあるんならはっきり言って」と、そして誤解を解くべく何度だって説明したのかもしれない。
 でも、できなかった。私は俯くことしかできなかった。

 そんな様子を見かねたのか、ある日、課長が言った。

「やましいことなんてないんだから、堂々としていればいい。噂なんてそのうち消える」

 私はその言葉に、こくりとうなずいた。
 でも違う。

 やましいこと、あるんです。
 だから堂々とできないんです。
 そのせいで、逃げだしたくて仕方ないんです。

 今日は退職する人がいてその送別会で、珍しく私も呼ばれた。
 けれど結果はこの通りだ。
 やっぱり私は逃げ出した。

「彼に全部押し付けたけど、本当は私も共犯だったんです」

 そう、共犯者なのだ。だから堂々とできなくて、こそこそと逃げ回る。
 彼に返したメッセージも、彼に対して言ったものではない。
 あれは、彼の妻に対して、『私は本当に知りませんでしたよ』と主張したものだった。
 なんてずるい女だろう、と自分で自分に呆れてしまう。