私は第二新天地公園の五段しかない階段を上る。手にはコンビニのレジ袋。中身は500mlのビール缶が二本。
 それから、チーズ鱈が一袋。
 あやかママの好物だった。チーズ鱈で釣ってやろう、という試みだ。

 まずは神社にお参り。二礼二拍手一礼。少しだけ丁寧に頭を下げてみる。
 それから電話ボックスに一番近いところのベンチに向かい、そっと腰掛けた。

 一息ついて見上げてみれば、『エスケープ』が入っている雑居ビルが目に入った。

 たぶん、だけれど、ここであやかママに会った人は何人かいる。
 そういう人がたまにふらりと『エスケープ』にやってくる。
 いつも、「ママはあやかママじゃないの?」という表情をするが、けれど決してそうは言わない。

 ゆみちゃんと、あの木佐貫さんという人も、あやかママに会ってやってきたクチなのではないだろうか。
 しかも二人は、別々にあやかママに会ったような気がする。

 なぜお見合いおばさんのようなことをしているのかと、問いたい。
 私は少し唇を尖らせる。
 それなら私の前に現れてくれてもいいのに。

 他にも、『エスケープ』にやっては来ないけれどあやかママに会った人だって、きっといるんだろう。

 なのに、どうしても私の呼び出しには応じてくれない。
 なんだか腹が立ってきた。
 いるんだったら、出てきてくれたっていいじゃないの。
 だから私は言った。

「美代子おばさん」
「やめんさいや、その呼び方」

 誰もいなかったはずの隣から、そんな抗議の声が飛んできた。

「前に、おばさんってやめえ、言うたじゃろ。美代ちゃんか、お店じゃったらあやかママって呼びんちゃいって何度言えば」

 機関銃のごとくに、そんな言葉が私に浴びせられた。

 私はそちらに、ゆっくりと振り向く。
 生前によく着ていた花柄のスーツ。ふわりとカールさせた茶髪。派手な化粧。大きな輪っかのピアス。ピンヒール。
 流川で生きるホステスにありがちな、透けるように白い肌。

 あやかママ。
 あやかママ以外の何者でもない。

 私はただじっと、目を瞬かせて、その姿を眺める。
 それに気付いたあやかママは、小首を傾げて言った。

「なによ」
「ほんまにおった」
「おるよー」

 あやかママは私が何も言わないうちから、ガサガサとレジ袋をあさっている。
 勝手知ったるなんとやら、というやつだ。

「ありゃ、気が利いとるねえ。チーズ鱈が入っとるじゃん。さっすが、絵里ちゃん」

 嬉しそうにチーズ鱈の袋を取り出すと、いそいそと開けている。
 そして一本取り出すと、あーんと口に入れ、それからビール缶のプルトップを開けて、ゴクゴクとビールを飲んだ。

「ええねえ。今度から、チーズ鱈も持ってくるように言おうかなあ」

 うんうん、とうなずきながらそんなことを言っている。
 妖精が、缶ビール片手にチーズ鱈。
 いや、ない。
 なさすぎる。

 私がどう反応すればいいのかわからずに、ただ呆然とその姿を眺めていると、あやかママは眉根を寄せてこちらを向いた。

「なに。言いたいことがあるんなら、はっきり言いんちゃい」
「えと……」
「じゃけえ絵里ちゃんの前に出るの、どうしようか思いよったんよねえ。いつまでもウジウジするんもどうかと思うし」

 あーん、と口を開けて、次のチーズ鱈を入れている。
 それはつまり。

「やっぱり私が来よるの知っとったんよねっ?」

 私は思わず、声を荒げた。
 対してあやかママは、のんびりと返事する。

「知っとるよー」
「じゃあ早う出てきてや!」

 なんだか腹が立ってきて、怒鳴りつけてしまう。

「私が何回、ここに来たと思うとるんっ?」
「あー、うるさいうるさい」

 私側の耳に人差し指を突っ込んで、嫌そうな顔をする。
 死んだのに、やっぱり生前と変わらない傍若無人さで。なんだか死んだことを忘れてしまいそうになる。

 私は妖精を呼び出す方法を知ってからというもの、何度も何度も、ビールを買って、神社にお参りして、一人ベンチに座って待ち続けた。
 ジロジロと、「この人なにやってるんだろう?」という顔で見られたことは一度や二度ではない。待ち合わせのようなのに、誰もやって来ず、ヤケになって缶ビールをあおり、しばらくして諦めて去っていく。
 ものの見事な不審者だ。

 だって仕方ない。妖精を呼び出すには手順があった。知ってしまったからには、やるしかない。
 そう、私は妖精を呼び出す方法を知っていた。しかも、いつの間にか。

「……ちなみに、妖精を呼び出す方法は、どうやって広めたん?」
「んー……電波?」

 そう言って、あやかママは小首を傾げる。
 そして人差し指を立てて自分のこめかみに当てると、ぐりぐりと動かした。

「なんかこう……念じるとね? 通じるっていうか」
「もう訳がわからんわ……」

 私は、はあ、と大きく息を吐いて、額に手を当ててうなだれる。
 けれどあやかママは、私の様子には構わず、のんびりと続けた。

「無理強いはしよらんよ? 教えるだけ。ほいで来たい人だけ来る。そんな感じ」

 周りは、静かだ。この第二新天地公園には私たちしかおらず、いつもの繁華街の喧騒はない。
 そうか、妖精の召喚に成功すると、こんな風になるのか。
 二人きりの、時間と、場所。

 私は一つ息を吐くと、またあやかママのほうに向き直る。

「……でも、会えてよかった」
「ほうなん?」
「会いたかったんよ」

 私がそう言うと、あやかママは小さく笑った。

 会いたかった。本当に。誰よりも、心から。
 まさかこの願いが、叶うなんて。
 奇跡、としか言いようがない。

 あやかママは、ビールを一口飲むと、口を開いた。

「絵里ちゃんが店を継ぐ、とか言い出すけえ、なんかわからんことがあっちゃあいけんけえね、まあ会えるようにはしとこうかと思いよったんよ。でもウチがおらんでも立派にやりよるようじゃけえ、出て来んほうがええか思うたんよね」

 そう言って、こちらを向いて微笑む。

「絵里ちゃんは、もう立派にママじゃわ。ねえ、『かえでママ』?」

 その言葉に、今までやってきたことがすべて報われたような気がして、自然と笑みが零れてきた。