俺は彼女の目をじっと見つめて、言った。
「元木さんは騙されたという話なんだけど」
「でもそれは、ねえ?」
そう言って、意地悪く笑う。
そして近くの女性社員と顔を見合わせて、さらにくすくすと笑った。
騙されちゃって、かわいそうに。男ってほら、バカだから。
そう顔に書いてあった。
自分の顔を鏡で見てみるといい、と言いたくなった。そんな表情をした女を、間違っても口説きたくはない。
なるほど。誰と寝ようとどうでもいい。彼女たちのうちの誰とも、恋には発展しそうにない。
「本当のところはどうかは知らないけど、弁護士もあっちの奥さんもそれで納得した」
「まあ、それは」
「それなのに、どうして部外者が未だにガタガタ言ってるんだ? 何様だ?」
俺の言葉に、くすくすという笑い声が、消えた。
女性たちはあからさまに眉をひそめて俺を見ている。どうやら俺の言っていることに、ご不満のご様子だ。
「あれからいったい何ヶ月経ってると思ってる。そんなに長い間、他人の醜聞が嬉しくて仕方ないか? 人の家庭のことに首を突っ込むのが楽しくて仕方ないのか? まさか正義の執行人のつもりなのか?」
その質問に答えられる人間はいなかった。
ぐるりと見回す。目を逸らし始める人間が出てきた。
自分がやってきたことが他人からどう見えるのか、ようやくそれに考えが至ったのだろう。
しかし俺も人のことは言えない。
俺は常に傍観者で、元木さんのために何もしていない。
そういう人間が彼女を口説こうというのはおかしな話だよな、と頭の隅で考える。
けれど俺の口は止まらなかった。
「しかも、思いきり仕事に支障が出てる。一人の人間が辞めて、一人の人間を新しく雇い入れて教育をするのに、どれだけの時間と費用がかかると思ってるんだ。特に元木さんは真面目に仕事はしていた。元木さんほどちゃんとする人間が入ってくる保障はどこにあるんだ。今実際、いい人が見つからなくて困っている」
誰も何も言わない。
その場は俺の独壇場と化しつつあった。
「新しい人が、来月頭から入ってくるけど、その人とは上手くやるんだよな?」
新しい人がやっと入ってくるのか、という顔を皆がした。俺の話がようやく逸れるのか、と安心したような表情も見て取れた。
しかし部長が焦ったように、頭の上で両腕でバツを作る。
俺がなにを言おうとしているのかわかるのは、この場では部長だけだ。それ以上言うな、という意味だろう。
まあいい。確かにそれを口にするのはいろいろと問題がある。
「ま、俺は給料を貰ってる側だから、誰が入社してこようがそれは別にいいけど、単純にお前らの態度が気に入らない」
そう、俺も正しくはない。
ただ単に、今、俺の鬱憤を晴らそうとしているだけにしかすぎない。
こんな俺を見て、あやかママはなんと言うかな、と少し思う。
「好きなようにやりんちゃい。正しいとか正しくないとかどうでもええわ。面倒くさい」
なんとなく、そう言う気がした。
俺は荷物を持って、出口に向かう。誰ももう、俺を止めなかった。
そして扉の前で振り向くと、俺はひとつ息を吸い込んだ。
言っていることがわからないのならわかるように言ってやる、と、広島弁を口にした。
「ぶちはがええ」
フロアにいた人たちが息を呑んだのがわかった。
「では、お先に失礼します。待たせているので」
それから、扉を開けて出て、一歩を踏み出して、閉めた途端。
「な、なんなんよ、あれー!」
「ムカつくー!」
ドアが閉まった瞬間、フロアの中で女性陣が叫ぶようにわめいた。
その騒ぎが何秒かあって。
そして。
「うるさい! 黙れ!」
しかし部長の一喝が響いた。
「ワシは、いらんこと言うなって言うたよの? それを守らんかったのはお前らじゃ!」
その怒号に、またしてもフロアはしん、となってしまう。
「拗らせるだけ拗らせよって! 仕事中は全面的に私語禁止! はあもう緩うはやらん! あと元木さんの仕事はお前らで分担しろ! ワシも木佐貫も一切手を出さん!」
「ええー!」
「えーじゃあるかい! あと言うとくが、新しゅう入ってくるんは社長の愛人じゃ!」
「は……はああああ?」
ああ、キレている。部長自ら、言ってしまった。俺は扉の前で、額に手を当てて目を隠した。
どうなっても知らないぞ。
「お前らの嫌いな不倫をしとるヤツじゃ! お前らは、元木さんと同じように扱うんよの? 社長にはよろしく言われとるんじゃが、お前らはやるんよの?」
「え……いや……」
「やらんのか! じゃあつまり、お前らは弱いものイジメをしよったいうことか!」
「いえそんな……」
「ああ? かばちかワリャぁ! ぶちまわすど、こらぁ!」
広島弁が怖い怖いと思っていたが。
俺が今まで聞いていた広島弁は、特に怖くない、と今知った。
というか、部長。
人が変わっています。
「仕事中は全面的に私語禁止! 元木さんの仕事はお前らで分担! わかったんか! 返事は!」
どうやら誰も今の部長に逆らう気はしなかったらしい。ぽつぽつと、「はい……」「わかりました……」という返事が聞こえる。
俺は、ほっと息を吐く。
今度、三次会でも四次会でも、付き合えるだけ付き合おう、と思った。
しかしこの会社、本当に大丈夫なのか、今のうちに俺も退職願を提出したほうがいいのではないか、と少し思った。
「元木さんは騙されたという話なんだけど」
「でもそれは、ねえ?」
そう言って、意地悪く笑う。
そして近くの女性社員と顔を見合わせて、さらにくすくすと笑った。
騙されちゃって、かわいそうに。男ってほら、バカだから。
そう顔に書いてあった。
自分の顔を鏡で見てみるといい、と言いたくなった。そんな表情をした女を、間違っても口説きたくはない。
なるほど。誰と寝ようとどうでもいい。彼女たちのうちの誰とも、恋には発展しそうにない。
「本当のところはどうかは知らないけど、弁護士もあっちの奥さんもそれで納得した」
「まあ、それは」
「それなのに、どうして部外者が未だにガタガタ言ってるんだ? 何様だ?」
俺の言葉に、くすくすという笑い声が、消えた。
女性たちはあからさまに眉をひそめて俺を見ている。どうやら俺の言っていることに、ご不満のご様子だ。
「あれからいったい何ヶ月経ってると思ってる。そんなに長い間、他人の醜聞が嬉しくて仕方ないか? 人の家庭のことに首を突っ込むのが楽しくて仕方ないのか? まさか正義の執行人のつもりなのか?」
その質問に答えられる人間はいなかった。
ぐるりと見回す。目を逸らし始める人間が出てきた。
自分がやってきたことが他人からどう見えるのか、ようやくそれに考えが至ったのだろう。
しかし俺も人のことは言えない。
俺は常に傍観者で、元木さんのために何もしていない。
そういう人間が彼女を口説こうというのはおかしな話だよな、と頭の隅で考える。
けれど俺の口は止まらなかった。
「しかも、思いきり仕事に支障が出てる。一人の人間が辞めて、一人の人間を新しく雇い入れて教育をするのに、どれだけの時間と費用がかかると思ってるんだ。特に元木さんは真面目に仕事はしていた。元木さんほどちゃんとする人間が入ってくる保障はどこにあるんだ。今実際、いい人が見つからなくて困っている」
誰も何も言わない。
その場は俺の独壇場と化しつつあった。
「新しい人が、来月頭から入ってくるけど、その人とは上手くやるんだよな?」
新しい人がやっと入ってくるのか、という顔を皆がした。俺の話がようやく逸れるのか、と安心したような表情も見て取れた。
しかし部長が焦ったように、頭の上で両腕でバツを作る。
俺がなにを言おうとしているのかわかるのは、この場では部長だけだ。それ以上言うな、という意味だろう。
まあいい。確かにそれを口にするのはいろいろと問題がある。
「ま、俺は給料を貰ってる側だから、誰が入社してこようがそれは別にいいけど、単純にお前らの態度が気に入らない」
そう、俺も正しくはない。
ただ単に、今、俺の鬱憤を晴らそうとしているだけにしかすぎない。
こんな俺を見て、あやかママはなんと言うかな、と少し思う。
「好きなようにやりんちゃい。正しいとか正しくないとかどうでもええわ。面倒くさい」
なんとなく、そう言う気がした。
俺は荷物を持って、出口に向かう。誰ももう、俺を止めなかった。
そして扉の前で振り向くと、俺はひとつ息を吸い込んだ。
言っていることがわからないのならわかるように言ってやる、と、広島弁を口にした。
「ぶちはがええ」
フロアにいた人たちが息を呑んだのがわかった。
「では、お先に失礼します。待たせているので」
それから、扉を開けて出て、一歩を踏み出して、閉めた途端。
「な、なんなんよ、あれー!」
「ムカつくー!」
ドアが閉まった瞬間、フロアの中で女性陣が叫ぶようにわめいた。
その騒ぎが何秒かあって。
そして。
「うるさい! 黙れ!」
しかし部長の一喝が響いた。
「ワシは、いらんこと言うなって言うたよの? それを守らんかったのはお前らじゃ!」
その怒号に、またしてもフロアはしん、となってしまう。
「拗らせるだけ拗らせよって! 仕事中は全面的に私語禁止! はあもう緩うはやらん! あと元木さんの仕事はお前らで分担しろ! ワシも木佐貫も一切手を出さん!」
「ええー!」
「えーじゃあるかい! あと言うとくが、新しゅう入ってくるんは社長の愛人じゃ!」
「は……はああああ?」
ああ、キレている。部長自ら、言ってしまった。俺は扉の前で、額に手を当てて目を隠した。
どうなっても知らないぞ。
「お前らの嫌いな不倫をしとるヤツじゃ! お前らは、元木さんと同じように扱うんよの? 社長にはよろしく言われとるんじゃが、お前らはやるんよの?」
「え……いや……」
「やらんのか! じゃあつまり、お前らは弱いものイジメをしよったいうことか!」
「いえそんな……」
「ああ? かばちかワリャぁ! ぶちまわすど、こらぁ!」
広島弁が怖い怖いと思っていたが。
俺が今まで聞いていた広島弁は、特に怖くない、と今知った。
というか、部長。
人が変わっています。
「仕事中は全面的に私語禁止! 元木さんの仕事はお前らで分担! わかったんか! 返事は!」
どうやら誰も今の部長に逆らう気はしなかったらしい。ぽつぽつと、「はい……」「わかりました……」という返事が聞こえる。
俺は、ほっと息を吐く。
今度、三次会でも四次会でも、付き合えるだけ付き合おう、と思った。
しかしこの会社、本当に大丈夫なのか、今のうちに俺も退職願を提出したほうがいいのではないか、と少し思った。