なんだかドキドキしている。中学生か高校生か、俺は。もう三十路だぞ。
いやちょっと待て。よくよく考えると、これより以前にまともに女性を口説いたのは、元カノのときが最後だから、大学四年のときか。ブランクが長すぎる。
中学生や高校生のほうが、まだ上手くできるのかもしれない。
はあ、と一つため息をつくと、不思議そうな顔をしている元木さんのほうに顔を向ける。
まあいい。当たって砕けろだ。
「あのな、近いうち、飲みに行こうか」
「え?」
「二人で」
「二人?」
元木さんは少し考えるような素振りをしたあと。
ゆっくりと箸を下ろした。
「……送別会、ですか」
「まあ、そんなところ」
誰かが退職するとなると、普通は送別会が行われる。少し前にも行われた。しかもその人はパートで正社員ではなかった。
正社員である人間が辞めるときに送別会が開かれなかったのは、俺が知る限り、一度もない。
けれど今回の場合、誰も言い出さなくて、そのままなあなあになりそうな気配だ。たいていの送別会は女性社員が仕切るので、そのせいだろう。
元木さんの口調からして、送別会があるのかないのか測りかねていたところもあったのではないだろうか。
しかし結果は、ご覧の通りだ。
元木さんは、だから俺が一人で送別会を開こうとしている、と思っているような気がする。
普通なら、二人きりでの飲みに誘われたなら、まずは口説かれているのかと警戒するものだと思うが、そんな風には見えない。
いや、警戒しているがおくびにも出さない、というだけなのかもしれないが。
元木さんは、ぼそりと答える。
「私はええですけど……。あの、課長、私とあまり一緒におらんほうが」
「どうして」
「私、あまり評判が良うないので」
「俺は結婚してないから」
そう言うと、あんぐりと彼女の口が開いた。
それから眉根を寄せた。
「それは……どういう意味です?」
既婚者と二人でいると、また良からぬ噂が立つかと思いそう言ったのだが、どうやら無神経な発言だったらしい。
これは頭にチョップをくらっても仕方ないやつか。
「ああ、いや。気分を害したならごめん」
「……はあ」
「実は、口説こうとしているんだけど」
またしても彼女の口があんぐりと開いた。
「……は?」
喉の奥のほうから、そんな呆けた声がした。
そこまで驚かれるとは、やはり警戒していなかったのか。むしろ今日まで、俺の下衆な心はバレているのではないかとヒヤヒヤしていたのだが。
そこで電話が鳴った。俺は照れ隠しもあって、素早く受話器を取った。
「お電話ありがとうござ……ああ、部長」
『木佐貫か、すまんがワシの机の上、見てもらえるかのう。ファイルがある思うんじゃが』
「ああ、はい」
どうやら忘れ物をしたらしい。こんなタイミングで電話してくるとは、次は絶対に飲みに付き合わない、と決心した。
部長にファイルの中身の数値を告げ、電話を置くと、今度は元木さんが電話中だった。
「今席を外しておりまして。掛け直させましょうか。……はい。念のため、お電話番号いただけますでしょうか。……はい、……はい。確認いたします」
メモ用紙に書き込んだ電話番号を元木さんが読み上げている。
昼休みなんだから席を外しているのはわかりきっているだろう、と心の中で電話の相手に八つ当たりをしてみる。
元木さんが受話器を置いて、それから俺はまた言った。
「ひとまず、二人で送別会、しよう」
これを逃してはならない、と勢い込んで言った。
その勢いに気圧されたのか、元木さんは戸惑いながらもうなずいた。
「え、ええ……」
「今週の金曜でいい?」
それが元木さんの最後の出社日だった。
「は、はい」
よっし、と俺は心の中でガッツポーズを決める。
時計を見ると、十二時十分前。間に合った。
辺りがにわかにざわざわしだして、会議室から女性たちが出てくる。
俺は慌てて弁当を片付けると、元木さんに向かって言った。
「じゃあ金曜、仕事が終わったら、そのまま一緒に行こう。待っていて」
元木さんは、再びうなずく。
ひとまず、第一段階は突破したようだった。
いやちょっと待て。よくよく考えると、これより以前にまともに女性を口説いたのは、元カノのときが最後だから、大学四年のときか。ブランクが長すぎる。
中学生や高校生のほうが、まだ上手くできるのかもしれない。
はあ、と一つため息をつくと、不思議そうな顔をしている元木さんのほうに顔を向ける。
まあいい。当たって砕けろだ。
「あのな、近いうち、飲みに行こうか」
「え?」
「二人で」
「二人?」
元木さんは少し考えるような素振りをしたあと。
ゆっくりと箸を下ろした。
「……送別会、ですか」
「まあ、そんなところ」
誰かが退職するとなると、普通は送別会が行われる。少し前にも行われた。しかもその人はパートで正社員ではなかった。
正社員である人間が辞めるときに送別会が開かれなかったのは、俺が知る限り、一度もない。
けれど今回の場合、誰も言い出さなくて、そのままなあなあになりそうな気配だ。たいていの送別会は女性社員が仕切るので、そのせいだろう。
元木さんの口調からして、送別会があるのかないのか測りかねていたところもあったのではないだろうか。
しかし結果は、ご覧の通りだ。
元木さんは、だから俺が一人で送別会を開こうとしている、と思っているような気がする。
普通なら、二人きりでの飲みに誘われたなら、まずは口説かれているのかと警戒するものだと思うが、そんな風には見えない。
いや、警戒しているがおくびにも出さない、というだけなのかもしれないが。
元木さんは、ぼそりと答える。
「私はええですけど……。あの、課長、私とあまり一緒におらんほうが」
「どうして」
「私、あまり評判が良うないので」
「俺は結婚してないから」
そう言うと、あんぐりと彼女の口が開いた。
それから眉根を寄せた。
「それは……どういう意味です?」
既婚者と二人でいると、また良からぬ噂が立つかと思いそう言ったのだが、どうやら無神経な発言だったらしい。
これは頭にチョップをくらっても仕方ないやつか。
「ああ、いや。気分を害したならごめん」
「……はあ」
「実は、口説こうとしているんだけど」
またしても彼女の口があんぐりと開いた。
「……は?」
喉の奥のほうから、そんな呆けた声がした。
そこまで驚かれるとは、やはり警戒していなかったのか。むしろ今日まで、俺の下衆な心はバレているのではないかとヒヤヒヤしていたのだが。
そこで電話が鳴った。俺は照れ隠しもあって、素早く受話器を取った。
「お電話ありがとうござ……ああ、部長」
『木佐貫か、すまんがワシの机の上、見てもらえるかのう。ファイルがある思うんじゃが』
「ああ、はい」
どうやら忘れ物をしたらしい。こんなタイミングで電話してくるとは、次は絶対に飲みに付き合わない、と決心した。
部長にファイルの中身の数値を告げ、電話を置くと、今度は元木さんが電話中だった。
「今席を外しておりまして。掛け直させましょうか。……はい。念のため、お電話番号いただけますでしょうか。……はい、……はい。確認いたします」
メモ用紙に書き込んだ電話番号を元木さんが読み上げている。
昼休みなんだから席を外しているのはわかりきっているだろう、と心の中で電話の相手に八つ当たりをしてみる。
元木さんが受話器を置いて、それから俺はまた言った。
「ひとまず、二人で送別会、しよう」
これを逃してはならない、と勢い込んで言った。
その勢いに気圧されたのか、元木さんは戸惑いながらもうなずいた。
「え、ええ……」
「今週の金曜でいい?」
それが元木さんの最後の出社日だった。
「は、はい」
よっし、と俺は心の中でガッツポーズを決める。
時計を見ると、十二時十分前。間に合った。
辺りがにわかにざわざわしだして、会議室から女性たちが出てくる。
俺は慌てて弁当を片付けると、元木さんに向かって言った。
「じゃあ金曜、仕事が終わったら、そのまま一緒に行こう。待っていて」
元木さんは、再びうなずく。
ひとまず、第一段階は突破したようだった。