あやかママの言葉にしばし考え込み。
 そして飲みかけのビール缶を、自分が座っている左手のほうに置くと、口を開く。

「理由……理由というか……。俺は本当にその子のことを好きなのかと」
「そこからなん?」

 にこりと笑ってあやかママは言う。
 訊いてはいるけれど、驚いた様子はまったくないことから、これはわかっていたのではないだろうか。

「ええ、そこからなんですよ」

 苦笑してそう返す。
 俺は開いた足の上に肘を乗せ、手を組んだ。親指同士を弄びながら、ぽつりぽつりと語りだす。

「興味を持ったのは、その子を取り巻く良くない噂からでした」

 ある日、会社にある訪問者があった。彼は自分を弁護士だと名乗った。
 彼のスーツの襟には、ひまわりをモチーフにしたという、あの天秤の描かれたバッジがあった。

 とはいえ、本物かどうかは見たことがないし、わからない。受付で差し出された名刺を総務の女の子から受け取った俺は、それを素早くパソコンで調べた。検索している間に部長が席を立ち、その弁護士と話をしている。何を話しているかまでは聞こえなかった。
 あっさりと検索結果が出た。彼の所属している弁護士事務所のホームページで顔写真入りで紹介されている。本物だ。間違いない。

 顔を上げると部長がこちらを見ていたので、うなずく。
 すると部長は右腕を上げ、ちょいちょいと先を動かした。

「元木さん、ちょっと」

 呼ばれたのは、請求書を封筒に入れるという作業を黙々としていた、俺の部下だった。
 彼女は顔を上げると、「はい」と言いながら立ち上がる。なにが起こったのかは、彼女自身にもわかっていないように見えた。

「会議室、使うで」

 部長がそう言うと、フロアの中はしん、となった。

「元木さん、お茶入れて持ってきて。ほいで、そのまま接客」
「は……はい」

 つまり、他の女性社員は来なくてもいい、ということだ。
 弁護士と部長が連れ立って会議室のほうに行き、一人給湯室に入っていった元木さんがお茶を乗せたトレイを持って出てきて会議室に入って行くのを見届けると。

 にわかに社内がざわつきだした。

「えっ、なに?」
「弁護士? なにやったん?」

 狭い会社だ。ワンフロアに総務と経理、そして営業のエリアがそれぞれあり、低い棚で間を仕切っているだけだ。
 営業事務の子がその棚の上に肘を置いてこちらに身を乗り出している。さきほど名刺を受け取った総務の女の子も立ち上がり、顔をくっつけるようにして話をしだした。
 音量は抑えているつもりらしいが、丸聞こえだ。

「なんて?」
「いや、元木さんと、あと責任者呼んでって言われて」
「なんじゃろ?」
「気になるう」

 声にはワクワクしたような響きがあった。
 その二人だけではなく、他の社員も、そこかしこでコソコソとなにか喋り始めた。
 なにがあったか知らないが、これはあまり良い状況ではない。

「仕事中」

 俺が声を張ってそう言うと、皆が肩をすくめ、渋々と席に着いて仕事に戻った。

 が、さきほどの女性社員の一人が、ゆっくりと席を立ち、トイレのほうに向かって歩いていった。
 いや、トイレの方向でもあるが、まず間違いなく会議室のほうに向かうのだろう。トイレは会議室の廊下を挟んで斜め前にある。聞き耳を立てるつもりなのかもしれない。趣味が悪いにも程がある。
 けれど、もし会議室のほうに行くなと行ったところで、お手洗いです、と言い返されるのは目に見えている。そしてトイレに行くな、とは言えない。

 まあいいか、と俺も仕事に戻った。