「なんで……というか」

 いや本当は、妖精を呼び出したはずなのだが。
 そこにいるのは、ホステスさんだ。

 これならどこかのスナックに入るのと変わらないのではないだろうか。
 いや。行きつけは、大抵は会社の繋がりなので、どこでどう会社の人間に話が漏れるかもわからない。
 それならば、今あやかママに話をするのも悪くないのではないか、と思う。

「まあ……恋の悩みです」
「あら! ええねえ。聞かせて聞かせて」

 華やいだ声を出すと、あやかママは少しだけ身を乗り出すようにしてこちらに顔を向けた。

「そんなに愉快な話ではないんですが」

 苦笑しながらそう返したが、あやかママはキラキラした瞳をして俺の顔を覗き込んでいた。

「まあ言ってみんちゃいや」
「なんというか……部下に、ちょっと気になる子がいまして」
「部下がおるん? ほいじゃあ役職持ちなん? できる男なんじゃね」
「いや、小さな会社ですし、そうでもないです。三十まで真面目に仕事をしてたら、誰でも課長までにはなれるかも」

 苦笑しながらそう言う。
 あやかママは小さく首を傾げて返してきた。

「誰でもってことはないんじゃないん? 誰でもなれたら平社員はおらんようになるわ!」

 それからケラケラと笑って、空いた左手で軽く俺の肩を叩く。

「じゃあそういうことにしておいてください」
「うん、ほいで?」

 役職の話はそこで終了らしい。あっさりと話を切り替えてきた。
 やはりホステストークか。俺の役職には特に関心はないようだ。

「その気になる子は、脈はありそうなん?」
「いや……どうでしょうね。嫌われてはいないと思いますが、男としては見られていない、という感じでしょうか」
「ほうね。ほいじゃあ、男として見られるようにせんといけんね」

 そう言って、ウンウン、とうなずいている。
 しかしそれができれば苦労はしないわけで。

「一応、部下なので、会社で口説くわけにもいきませんし」
「社内恋愛禁止なん?」
「いや、特には」
「じゃあええじゃん」

 心底不思議そうに、あやかママは言う。
 そんなに珍しい断り文句でもないと思うのだが。部下を口説くとなると、下手するとセクハラだとかパワハラだとかで訴えられてしまう。

「いや、仕事中に口説くなんて」
「堅いこと言いんちゃんな。世の中の社内恋愛を全部否定するつもりなん」
「世の中の社内恋愛をしている人たちは、仕事が終わってから口説いているんじゃないですか」
「ほいなら、そうすりゃええじゃん」
「まあ、そうなんですけど」

 ぐいぐい勧めてくる。
 逃げ道を少しずつ失くされていくような気がする。

「いや実は、気にしだしたのはごく最近で、まだそういう機会に恵まれていないんです」

 これは本当だ。
 飲みに誘うとか、休日に連れ出すとか、上手くそこに誘導できそうな機会はまるでない。もしかしたら彼女が入社したときから意識していれば、そんな機会にも巡り会えたのかもしれないが、気にしだしてからは皆無だ。

 胸の中でもやもやと、これはどうするべきなのか、と思っているだけなのだ。

「じゃあ、これからなんじゃね」
「でも、退職願を提出されました」
「ああ、なるほどねえ」

 あやかママは、ああー、の口の形のまま、うなずいた。
 そしてビールを一口飲む。
 それからこちらに振り返ると、言った。

「なんで、それが悩みなん?」
「え?」
「告白でもなんでも、すりゃあええんじゃないん? 辞める前に」
「いや、さっきも言いましたけど、部下ですし」
「ほいでも、もう部下じゃなくなるんじゃろ?」

 俺はその言葉に、なにも言えなくなった。
 確かにそうなのだ。

「帰るところを呼び止めて、メアドでも何でも訊けばええわ。なんなら食事にでも飲みにでも誘えばええし。断られたって、仕方ないね、ごめんねってすぐに引けばええわ。仮に嫌な目で見られても、もう会社からはおらんようになるんじゃけえ、(いと)うも痒うもないわ。まあ傷つきはするじゃろうけど。簡単なことじゃわ」
「まあ……そうですね」
「でも」

 ママはまたビールに口をつけて。
 そして言った。

「そうできん理由があるんじゃね?」