「よ、よろしくお願いします?」

 呆然としすぎて、なんだか間抜けな返事をしてしまった。
 彼女はにこにこと笑いながらこちらを見ている。

「同い年くらいなんかな? ええ男じゃねー。モテるじゃろ」

 褒めてもらって嬉しくないこともないが、ホステスのトークというにおいがプンプンして、素直に喜ぶことはできなかった。
 にこにこと微笑む彼女に向かって、戸惑いつつも訊いてみる。

「ええーと、なにかご用……ですか?」

 どうして他のベンチも空いているのに俺の隣に座ったのか。
 客引きだろうか。
 けれど確か広島でも条例で禁止されているのではなかったか。
 単純に、このベンチで待ち合わせかなにかをしていたのに、俺が先に座っていて邪魔だった、とかだろうか。
 けれどすぐ近くのベンチが空いているのに。

 ……いや。
 すぐ近くどころではない。すべてのベンチが空いている。

 俺は慌てて、辺りを見渡す。

 ベンチの上だけではない。先ほどまではこの公園にも人がまばらにはいたというのに、今は人っ子一人いない。
 中央通りのほうに目を向けても、車の一台も通っていなかった。
 繁華街の喧騒というものが、一切なくなってしまっている。

 そんな馬鹿な。
 酔っているのか? そこまで飲んだか?

 そんなことをぐるぐると考えていると、女性はケラケラと笑った。

「いやじゃー、用があるんはそっちじゃないん?」

 意味がわからず、呆然と女性を眺める。
 すると女性は小首を傾げて口を開いた。

「呼んだんじゃろ? ウチを」
「……は?」

 そんな呆けた言葉が口をついて出た。
 呼んだ。確かに、呼んだ。けれどそれは。

「俺は……妖精を……呼んだつもりで……」

 口に出すと、その間抜けさが際立つ気がした。
 なにを馬鹿なことを言っているんだ。いやその馬鹿なことをしようとしたのは俺なのだが。

「うん、そうじゃろ?」

 だが彼女は嘲笑することはなく、そう言って肯定する。

「じゃけえウチが来たんじゃけど」
「はい?」
「妖精、入りまーす」

 女性はそうおどけたように言って、そしてまたケラケラと笑った。

          ◇

 訳がわからなくて頭を抱える俺をよそに、妖精、もとい、あやかママは俺が持ってきたレジ袋の中身を覗き込むと、はしゃいだ声で言った。

「やったあ、四本あるわ」

 その明るい声を聞いていると、なんだかいろんなことがどうでもよくなってきた。
 考えられるとしたら、あやかママはこの妖精の話を知っていて、それを試そうとしている馬鹿な男を見つけて、からかうことにしたのではないだろうか。

 人通りに関しては、もう夜中なのだし、そういうこともたまにはあるだろう、と納得した。
 というか、納得しておこう。いつまでも頭を抱えていても仕方ない。

「ありがとねー」

 ビールをそれぞれの手に持って掲げると、あやかママはにっこりと笑う。

「二本以上、いうことにしとるんじゃけど、ちょうど二本の人が多いいんよね」

 多少、不服そうにそんなことを言う。
 俺の聞いた話では、確か、500mlのビール缶を二本以上持っていくこと、ということになっていたはずだ。

「以上、なんだから二本でもいいのでは?」
「ほうよ。ほうなんじゃけどね」

 言いながら一缶をレジ袋の中に戻すと、あやかママは手に残った缶のプルトップを、なんの躊躇もなく開けた。プシッという音が公園に響いた。

「いただきまーす」
「……どうぞ」

 呆然としたままの俺を尻目に、あやかママはゴクゴクとビールを飲んだ。
 そしてプハーッという漫画みたいな息を吐いて言った。

「沁みるわー」
「そうですか……」

 ぼうっとしたままの俺のほうに視線を移すと、あやかママは小さく首を傾げた。耳元の輪っかのピアスが揺れる。

「飲まんのん?」

 そう言って、レジ袋をちらりと見やる。

「あ、ああ、じゃあ、いただきます……」

 いただきます、ってなんだ。俺が買ってきたのに。と思いつつも、ガサガサと袋を探ると、ビール缶を一本取り出す。
 あやかママと同じようにプルトップに手を掛けて開けると、それと同時にこちらにビール缶が差し出されてくる。

「かんぱーい」
「……乾杯」

 戸惑いながらも、少し缶を差し出して、あやかママの持っているビール缶に当てる。
 カシッという鈍い音がする。
 それから飲み口に口を当て、缶を傾け、ビールを喉に流し込む。
 そうしているうち、まあいいか、という気分になってきた。

 妖精だろうとホステスだろうと、どっちでも構わない。
 この胸の内にあるモヤモヤが吐き出せるのならば。