彼女はなかなかいい女だったと思う。俺にはもったいないくらいの女だった。

 だからかそれ以来、彼女はいない。
 積極的に作ろうとも思わなかったが、先日、三十の大台に乗ってしまった。
 これは生涯独身貴族も覚悟しなければならないか、という気分になってしまっている。
 先日思わず、よく考えもせずに個人年金保険を契約してしまった。

 まあそんな感じで、結婚の予定がまったくないことが、目下の悩みといえば悩みか。しかし、もう少し年を取れば深刻な悩みに発展するかもしれないが、今のところは大したことはない。

 あとはもう一つ、気に掛かっていることがあるといえばあるが、それも誰かに相談したいと思うようなことではない。

 なのになぜ、俺は水を買いに行ったはずのコンビニで、ビール缶を四本も買ったのか。しかも500mlだ。いつもは350mlしか買わないのに。
 そしてどうして、神社にお参りなどしてしまったのか。こんな夜中に。

 けれどどうしようもなく。
 コンビニでビール缶が並んでいるのを見た瞬間、試してみたい、となぜか思ってしまったのだ。

 妖精に、会いたい。

 第二新天地公園に現れるという妖精。
 500mlの冷えたビール缶を二本以上。公園の隅にある小さな神社にお参り。
 そして今から行くベンチに座ると、妖精が悩みを聞いてくれるというのだ。

 驚くほど馬鹿馬鹿しい。
 そもそも自分は、こんな(まじな)いめいたことをするような人間だっただろうか。
 酔っているからだろうか。部長もかなり飲んでいたけれど、付き合った俺も、それなりに飲んだ。そこそこ酒には強いほうだと思っていたけれど、もう三十歳だ、弱くなってきたのかもしれない。

 俺は電話ボックスに一番近いベンチに座ると、雑に、ビールの入ったレジ袋を右隣りに置いた。
 辺りにはそれなりに人がいる。千鳥足のサラリーマンもいるし、大学のサークル仲間といった風情のグループもいる。
 それらを眺めながら、ぼうっと考える。

 だいたい、なぜ神社なんだ? 妖精を呼び出すのに神社っておかしくないか?
 それに、ビールってどういうことだ。お神酒ならともかく、ビールってイメージと違い過ぎないか?
 そんなことを考えていると、自分のやっていることが、ひどく滑稽な気がしてくる。

 まあ妖精を呼び出そうなんて、滑稽以外の何物でもないが、なんだか惨めな気分になってきた。

 そもそも俺は、どこで妖精の話を知った?
 二軒目の麻莉奈ちゃんか? 三軒目の紗耶香ちゃんか? そのあたりから聞いたような気もするが、思い出せない。

 それとも、夢の中で?

 そこに思い至って、俺はぶるっと頭を振る。
 まずい。本当に酔いが回ってしまっているみたいだ。おかしなことを考え始めている。
 いや、妖精を呼び出す時点で、かなりおかしなことを考えているのだが。

 と、思考がぐるぐるとループし始めたころ。

「いらっしゃいませー」

 突如、右隣りから女性の声がした。

          ◇

 ぎょっとして慌てて右に顔を向けると。
 隣には、やたら化粧の濃いお姉さんが腰かけていた。

 いつの間に。気付かなかった。

 ひらひらした素材の花柄の派手なスーツを着ていて。耳には大きな輪っかのピアスをしていて。足元は、よくそれで歩けるな、と思うようなピンヒールを履いていて。背中の中ほどまで伸びた茶髪は、ゆるやかにカーブを描いている。

 ホステスだ。
 一目で、そう思った。

「ええと……」
「ウチ、ママのあやかです。よろしくー」

 女性は、真っ赤な唇の両端を上げて、にっこりと笑ってそう言った。