その後、本通りのど真ん中で彼女に一度だけ偶然に会った。広島は狭い街だ。

「久しぶり」
「おお」

 ひらひらと手を振りながら、彼女がこちらにやってきた。
 ニコニコと笑いながら俺の前に立ち、少し見上げてくる。
 あんな別れ方をした二人とは思えないが、それが嫌ではなかったし、こんな感じが当たり前のような気がした。

 彼女を見て俺が最初に思ったことは、綺麗になったな、ということだった。
 着ている服の傾向が変わったということもない。あの日彼女が着ていたお気に入りのワンピースと似たようなものをやっぱり着ていた。
 髪型も、さほど変わったようにも思えない。セミロングのストレートのままだ。
 化粧の仕方もそう変化があるようには思えない。
 けれど、綺麗になっていた。

「元気しとったん?」
「ああ、そっちは?」
「ウチも元気。どしたん、買い物?」
「いや、待ち合わせ」
「彼女?」

 にやりと笑って彼女が言った。俺は肩をすくめる。

「残念ながら、大学のゼミで一緒だったヤツらとの飲み会がこれからあるんだ。彼女はあれからいないよ」
「なんじゃあ、つまらんねえ」

 くつくつと喉の奥で笑う。
 それから少し考えるような素振りをしてから、小さく、囁くような声音で彼女はもじもじとしながら言った。

「実はねえ、ちょっと謝りたかったんじゃ。会えてよかったわ」
「謝る?」

 俺はその言葉に首を傾げる。

「俺を振ったこと?」
「それは悪いと思うとらん」

 あはは、と笑いながらそんなことを言う。
 その笑顔のまま、彼女は続けた。

「いや、死ね、は言い過ぎたなあ、思うて。ごめんね」
「ああ、いいよ、別に」
「まあ言われてもしょーがないけえね」

 そう言って笑う。
 けれどそのあとすぐに目を伏せた。

「実はウチ、今度、結婚するんよ」
「えっ、そうか。おめでとう」

 反射的に声が出た。
 そして納得もした。だから綺麗になったのか。

 彼女は俺の言葉を聞くと、小さくふっと笑う。

「その前に謝れてよかったわ。ちょっと引っかかっとったんよ」
「そんなこと気にしてたのか」
「まあね。心残りは綺麗に清算して結婚したいけえ」

 見れば、彼女の左手の薬指には指輪がある。割と大ぶりな透明な石が光っていた。

「その人は、誕生日を忘れない?」
「いや、忘れとるわ。じゃけえ一週間くらい前から催促しよる」

 そう言って照れたように目を伏せる。少し頬が紅潮したように見えた。

「はあサプライズとかが嬉しいような歳じゃあないけえね」
「そうか」

 そうは言うけれど、単純に、その男ならばそれでいい、というだけの話なのだろう。

「いい人なんだな」

 どうやら彼女は自分を幸せにしてくれる人と巡り会えたらしい。
 それは彼女の表情を見ればわかる。

「いいな」

 ぽつりと呟いたその言葉に、本当に羨望の響きが含まれていたようで、自分でも自分の声音に驚く。
 彼女は何度か目を瞬かせてから小さく笑った。

「あんたも()よ、彼女作りんさいや」
「前の彼女が良い女だったから、目が肥えすぎちゃって見つけられないんだよ」

 その言葉を聞いて、じっと俺の顔を見つめたあと、彼女は自嘲的に口の端を上げた。

「いつの間に、そんなん言えるようになったん?」
「いや、自然に出てきた」
「ふうん」

 彼女はそう言いながら腕時計を見る。

「ああ、早よ行かんと」
「そう」
「じゃあ、ウチ行くわ。ほんま、会えてよかったわ」
「お幸せに」
「ありがと」

 そう言って彼女は手を振りながら立ち去って行った。

 俺はその背中を見送りながら、少しだけ、なんとなくだが寂しいような気持ちになったものだった。