女性は、背中の真ん中あたりまで伸びた茶髪をゆるりと大きくカールさせていた。長い睫毛は……もちろん付け睫毛だろうと思う。ナチュラルメイクには程遠い、真っ赤な口紅をしているけれど、妙に似合っていた。そして肌の色は透けるように白い。きっと陽に当たる時間が少ないからだ。

 着ている服はドレスなんかではなくてスーツだった。けれど全面に大きくて色鮮やかな花が描かれていて、ひらひらとした素材のもので、胸元が大きく開いていて、ブラが見えるんじゃないかとこっちがハラハラするほどで、明らかに普段着とは考えにくい。
 耳元のピアスは大きな輪っか。胸元のネックレスは太い金。ブレスレットを何本か重ねているけれど、そのうちの一つは時計のようだった。

 一言で言うと、ホステス。というか、ホステスにしか見えない。誰かにホステスとはなんぞや、と訊かれたら、ホステスとはこういう人ですよ、とでも言いたいくらいだ。

 頭の中でそんな風に、何度も何度もホステスという単語を思い浮かべてから、私は慎重に口を開いた。

「あの……それ……」

 私が彼女の持っているビールをおずおずと指さすと、彼女は「うん?」と言いながら缶ビールに視線を移し、それからまたこちらを向いて、にっこりと微笑んだ。

「ありがとねー。久々に飲んだんよ。沁みるわー」
「いえ……あの……」

 この場合、何と言えばいいのだろう。
 というか、久々? ホステスなんだから、毎日、浴びるように飲んでいるのではないのか。
 いやいや、そんなことより、無断で人のビールを飲むのはいかがなものか。

「あの、すみません、そのビールは、あなたのものじゃあ……」

 私は少し声を落としてそんなことを言ってみる。

「ええ? そうなん? ごめーん、ウチのかぁ思うて」

 けれど、心底驚いたように、彼女はそう言った。

「ほいじゃけど、このベンチに置いとったら、ウチのビールじゃって思うじゃろ?」
「はい?」

 いったい何がどうしてそうなった。

 女性は神社のあるほうを指差しながら、続ける。

「そこの神社にお参りしたんよね? ほいでこのベンチにビールを置いたんよね?」
「え、ええ……」
「じゃけえウチのビールかぁ思うて。違うんじゃったら、ごめんね」

 彼女は申し訳なさそうに眉尻を下げて、そんなことを言った。
 ちょっと待って。酔った頭だけれど、よーく考えてみよう。

 けれどそこで気が付いた。
 今、この公園にいるのは、私たち二人だけだ。
 辺りはとても静かで。すぐ近くに大きな道路、中央通りがあるのに車の一台も通っていない。夜遊び好きな方々にとっては、まだ宵の口といっていい時間なのに、目に見える範囲で人がいない。

 嘘だ。さっきまでこの公園内にだって、何人もの人の通りがあったのに。そんな馬鹿な。

 戸惑いながら辺りを見渡す私を見ていた女性は、またビールに口を付けて、ゴクゴクと飲んだ。
 そしてビール缶を持った手を、組んだ足の上に置くと、口の端を上げる。

「やっぱり、ウチを呼んだんじゃろ?」
「呼んだ……」

 呆然として女性のほうに顔を向ける。

「ほらあ。じゃけえ、これは、ウチのビール」

 そう言って彼女は、にっこりと微笑んだ。

「えーと……」

 私はこめかみに指を当てると目を閉じる。

「呼んだのは……呼んだんですけど」
「うん」
「……妖精が現れて、問題を解決してくれるって聞いたんですけど……」

 神社にお参りして、ビールを用意して、ベンチに座って。
 そうすると妖精が現れると聞いたのだ。
 いや確かに、妖精にビールってどういうことかと思ったけれど。そもそも神社と妖精がそぐわないとも思ったけれど。
 なんかこう、ズレを感じないでもなかったのだけれど、ビールはお神酒の代わりなのかな、とか、和風の妖精なのかな、とか考えて、ひとまず納得していたのに。

 現れたのは、妖精どころか、ホステスさんだ。

「ウチが、その妖精なんじゃけど」

 そう言って、女性は右手を頭の後ろにやって、左手を腰に当ててポーズを取る。

「妖精にしか見えんことない?」

 真顔でそんなことを言う。

 この場合、どう返すべきなのか。
 どう見ても、どこかのスタンド(スナック)のママだか、ちぃママだかにしか見えなかった。それをそのまま言ってもいいものなのか。

 いけない、酔っているからか、頭が回らない。

「いやじゃー! 悩まんとってよ、ツッコミ待ちなんじゃけえ」

 そう言って、あはは、と私の肩を軽く叩く。
 あ、そうだったんですか。

「いや、妖精には見えんのんですけど」
「妖精なのにー」

 そう言ってわざとらしく、ぷうと頬を膨らませる。
 いったいどうしろと。

「いや妖精って、羽とか生えてるイメージなんですけど」

 彼女の背中には、ゆるくカールされた茶髪が揺れているだけで、なにもないように見える。

「ああ、羽はね、酔っぱらったら出てくるんよね。じゃけえ見たかったらいっぱい飲ませてくれたらええよ!」

 そう言って、楽しそうにケラケラと笑う。
 もうどう返せばいいのかわからない。
 
 すると女性は私の様子を見て、小さく笑うとこちらに顔を向けた。

「ウチね、ママのあやか。よろしくね」

 私の戸惑いは他所に、女性は自分の胸に手を当てて、そう自己紹介をした。
 この場合、母親、の意味ではなく、お店のママということだろう。

「あやか……ママ」
「はーい」

 そう言って、軽く手を上げる。

 まあ、いいか。
 妖精だって、ママだって。
 少し話を聞いて欲しいだけなんだから。

 私は小さく息を吐くと、口を開くことにした。