高校三年になってからすぐ、私は美代子おばさんに、ちょいちょいと指先でリビングに呼ばれた。

「なに?」

 席に着くと、美代子おばさんはテーブルに肘を乗せて、ぐいっとこちらに身を乗り出した。

「絵里ちゃん、大学、行きたいんじゃろ?」

 私はその言葉にぐっと詰まる。

「いや、行きたいいうほどじゃあ……」
「でも勉強しよるじゃん」
「そりゃあ、宿題とかあるけえ。それに就職するんでも勉強はいるし」
「まあ、ほうなんじゃろうけどね。でもなんか違う気するんよね」

 私は俯いた。
 別に、大学に絶対に行きたい、というほどでもない。
 特に将来に夢があるわけでもない。

「髪も染めとったのに、プリンになってしもうとるじゃん。真面目になってしもうて」
「これは、別に……。そ、それに、やっぱり就職するんでも染めとったらいけんじゃろ」
「それもまあ、ほうなんじゃろうけど」

 私は自分の髪に手をやった。
 最近は、おしゃれだとかそういうことに手を回していない。遊びに出かけることも、めっきり減った。家事をしていたのもあったけれど、やっぱり勉強する時間が増えたからだ。

 けれどそれは大学に行きたいから、と明確な目標を持ってしているのではないのだ。
 ただ、これから、いつまでもこの家にいられるわけではないのだろう、とは思う。
 そして家に帰れるわけでもないのだろう、と。

 だから自立しないといけない。そのためには就職だ。そのはずなのだ。

 その迷いを見透かすように、美代子おばさんは私に問うてくる。

「就職って、どこに就職するつもりなん」
「き、決めてない」
「決めてない割に、えらい(すごく)方向が決まっとる感じするんよね。バイトも辞めて、ずっとなんか部屋でカリカリ書きよるじゃん」

 就職するつもりなのは、嘘ではない。
 けれど、なんとなく、もしかしたら大学に行く、という話になるかもしれないし、と諦めきれないだけだ。
 本来ならば、それが自分が進む人生のはずだった。

 でもあれから、両親とは連絡を取っていない。あちらも連絡してこない。
 ときどき母と美代子おばさんは連絡しているようだけれど、それも内容は知らされていないし、知りたいとも思わなかった。

 いや、知るのが怖かったのだ。

「バイト辞めたんは……美代子おばさんがお小遣いくれよったけえ、もうええか思うて」
「でも、通学代とかもその中に入っとるんよ。それに食費とかに使うてくれよったじゃろ? そんなには余らんかったんじゃないん?」
「食費は、自分が食べるぶんだけじゃし」
「ウチもけっこう食べさせてもろうたよ。冷蔵庫の中のもん、減っとったじゃろ」
「ほうじゃけど……」

 私は俯く。

 受験勉強のために、時間を捻出したかった。
 遊びに行くこともなくなり、そんなにお金がいらなくなった。
 だからバイトを辞めた。バイト先の店長も、「もう三年生じゃもんね。そりゃあバイトしとる場合じゃないわ」とあっさりとしたものだった。

 大学に行く気がないのなら、受験勉強なんて必要ないはずなのに。

「大学に行きたいんなら、ウチに言わにゃあ。ほいで学費を出してくれぇって言うのが筋なんじゃないん?」

 多少、呆れたように。ふてくされたように。苛ついているかのように。
 美代子おばさんは言った。

「黙っとったらわからんわ」

 けれど私はますます俯いてしまう。
 学費を? 美代子おばさんに? いくらなんでもそれは。

「ほいでも、美代子おばさんに学費までは頼めんし……」
「ほいなら奨学金でも受けるん? 言うとくけど、全額出るヤツじゃないとキツいんよ。絵里ちゃん、そんなに成績いいん? そうでもないじゃろ? 普通のは社会人になっていきなり借金からスタートせんにゃあいけんけえね。それで大学なんか無理して行かんでもよかったって言う人、いっぱい見たわ」

 少しの遠慮もなく、ズバズバ言う。

「それに調べてないけえようわからんけど、絵里ちゃんじゃったら、親は普通に稼いどるけえ、奨学金の対象者じゃないんじゃないん? そりゃあ裕福じゃないんじゃろうけど、そもそも奨学金は受けられるん?」
「知らない……」

 調べてない。というか、そもそも大学に行くかどうかすら、まだ決めかねているのだ。いや、諦めないといけないのに、諦めきれていないだけなのだ。

 美代子おばさんは、小さくため息をついてから、言った。

「もしかして、親が学費を出してくれるかもしれんって思うとる?」

 ぴくり、と私の肩が震えた。