学校は楽しかった。
 友人もできた。
 けれど遊びに行くお金もないし、そのための服を買うお金もない。

「バイトすりゃあええじゃん」

 と友だちが言うので、その紹介でバイトすることにした。
 けれど「保護者の許可」なるものがいる、ということで、両親に話をすることになった。

 両親はもしかしたら褒めてくれるかもしれない。「助かるわー」と笑顔で言ってくれるかもしれない。
 お金さえ入れば、家の空気だってきっと良くなる。『出来損ない』の私だって、役に立てるんだ、とも思った。
 もちろん欲しいものも買いたいけれど、それよりなにより、交通費や文房具や参考書だって自分で買えれば、家計は助かるに決まっている。

 リビングに両親を呼び出した私は、そう思っていたのだ。
 ところが彼らは言った。

「バイトなんて恥ずかしいわ」

 しかめ面で、母は続ける。

「お金が()うて娘にバイトさせとる、だなんて言われたらどうするんよ。親戚にだって合わす顔がないわ」

 どうしてそこで親戚、だなんて言葉が出てくるのか。
 あまりにも予想と違う反応に唖然としながらも、私はなんとか食い下がろうとする。

「でも」
「欲しいもんでもあるんか? それなら、お小遣いの中で遣り繰りすりゃあええ」

 しかし私の反論を許さず、父はそう続けた。
 けれど、月に決まったお小遣い、というものはない。なにが欲しいのか、なにを買わなければならないか、親に言わなければお金は手に入らない。
 まだ中学の頃のほうが、融通が利いたくらいだ。

「お小遣い、貰うてないもん」
「あげよるじゃろ! あんたが欲しいって言うたときには!」

 私がふてくされたように言う言葉に、目を吊り上げて、母が叫ぶように返す。

「ほんまか。月の小遣いをやってないんか」

 父はそんな状況も知らなかったのか、少し母を責めるような口調になって言った。
 それにカチンときたのか、母が言い返す。

「うちのどこにそんな余裕がある思いよるんよ! あんたの少ない給料で遣り繰りする気にもなってみんさいや!」
「はあ? なに言いよるんなら。お前が遣り繰り下手なんじゃろうが! 昨日も総菜で」
「ウチだって仕事しよるんじゃけ忙しいんよ」
「お前はパートじゃろうが!」
「ウチは家事もしよるんよ、ダラダラしとるあんたの世話で、時間が無うなるわ!」

 耳を塞ぎたくなるような言葉が次から次へと繰り出される。
 私がバイトをする、という話からどうしてこんな喧嘩に発展してしまったのか。

「夫婦喧嘩は後にしてや!」
 
 私も、そう叫ぶように口を挟む。
 せっかくいい話を持ってきたと思ったのに、とイライラを募らせてもいたのだ。

「私がバイトすりゃあええ話じゃろ」

 しかし母は、頑なに首を横に振る。

「いけん言うたじゃろ。バイトなんか」
「いうても、なんにも自由に買えんもん。服もろくに買えんし。文房具とか買うのだって、渋々お金を出されよるし」
「あんたが高校、落ちたけえじゃろ!」

 堪えきれなくなった母はそう大声を出した。

「あんたが公立に通っとったら、こんなことにはなっとらんわ!」

 リビングは、しん、と静まり返った。
 私は何も言わずに立ち上がり、両親も何も言わなかった。

          ◇

 そこから私は、もう親の言うことを聞かなくなった。
 一言で言えば、グレた。

 親のハンコを持ち出して、「保護者の許可」を作り出し、バイトに精を出した。
 まともに家に帰らず、友だちの家を渡り歩いた。
 自分の稼いだお金で化粧品を買い、服を買い、髪を染め、ピアスを開けた。

 日々変わっていく私に両親は何度も怒鳴りつけてきたけれど、私はまったく聞く耳を持っていなかった。

「出て行け! もう帰ってこんでええ!」

 ある日、父が私の頬を平手で打ったあと、そう言った。母はその背後で眉根を寄せて、転がる私を見つめるだけだった。
 父の言葉は、はずみだったのか、常々考えていたのか。そして本気だったのか、脅しだったのか。どういったものだったのかはわからない。

 けれど私はその言葉をそのまま受け取り、立ち上がって自室に行くと、最低限の荷物を持って、家を飛び出した。

 大人になった私は、高校無償化のニュースを見るたび、なんだか悲しい気持ちになったものだった。
 もしも私の時代にそうした制度があったなら、私の人生はどんなものになっていたのだろう。