私は今から、妖精に会いに行く。

          ◇

 広島の繁華街、流川(ながれかわ)の端っこにある第二新天地公園は、公園とは呼ばれてはいるけれど、足元が土の部分がほとんどない、だからといって芝が張られているわけでもない、ましてや遊具があるわけでもない、ただの広場だ。
 全面レンガ張りのその土地は、周りから一段高くなっており、階段を五段だけ上る必要がある。
 なんのためにその公園があるのかは割と謎ではあるのだけれど、待ち合わせ場所として重宝されているので、案外それが主目的なのかもしれない。
 公園にはレンガで囲われた花壇がいくつか設置されており、そのレンガの花壇の、公園の真ん中に向いた一辺が、ベンチとして使用できるように加工されていて、今日も何人かがそこに座って待ち人を待っている。

 そして、その公園の端には、実は小さな神社があるのだ。

 繁華街にあるだけに人目に付きにくく、誰かに聞いてみても、「あったっけ?」「そう言われるとあったような気がする」だなんて返事が返ってくるような小さな神社。
 その公園に立ち寄る人は、ほとんどがこれからお酒を飲みにいく人か、すでに飲んだ人だから、目に留まらないのは仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。

 私は今しがたすぐそこのコンビニで買った、500mlのビール缶が二本入っているレジ袋を左手に持ち、その小さな神社の前に立った。
 神社の鳥居には、「稲荷大明神」と書かれた看板のようなものが掲げられている。そういえばこの看板のようなものは「神額」というのだったかな、と昔テレビかなにかで言っていたのをふと思い出した。

 鳥居を二つくぐると、小さな祠の前に立つ。
 祠の神額には、「紅桃花稲荷大明神」と書かれていて、ずいぶん艶っぽい名前の神社なんだな、と私は思う。

 私はバッグから財布を出すと、中から五円玉を一つ、手に取った。
 ぽいと賽銭箱の中に五円玉を投げたあと、まっすぐに気を付け、の姿勢をして。
 それから、二礼二拍手一礼。

「お願いします」

 口の中でつぶやくようにそう言うと、私は足早に神社を背にする。
 向かう先は、公園のベンチのひとつ。

 座る場所は、電話ボックスに一番近い花壇のベンチ。そして繁華街入り口側を向かなければならない。
 間違えてはいけない、と私は電話ボックスの明かりに目を向け、ひとつうなずく。

 そう、決められているのだ。守らなければならない。

 公園には騒いでいる学生っぽい集団もいたし、スマホを見ながら誰かを待っている人も何人もいるし、もう誰か座っていたらどうしよう、荷物かなにか置かれていたらどうしよう、と思ったけれど、幸いなのかどうなのか、ベンチを覗き込むように見ると、誰もそこにはおらず、そしてなにも置かれてはいなかった。

 ほっと胸を撫で下ろし、そろりとベンチに座る。
 電話ボックスはそこにあるけれど、そこで電話をしている人を見たことがない。それはそうだ、公衆電話を使う人がもうほとんどいない。だからこのベンチに座る人が少ないのかもしれないなあ、なんてことを考える。

 ひとつ息を吐いてから、レジ袋の中のビールを二本取り出して、私の横、右側に並べて置いた。
 発泡酒ではいけない。第三のビールでもいけない。ビール、しかも500mlでないといけない。
 さらに、冷えていないといけない。だから必然的にすぐそこのコンビニで買うことになる。
 買う本数は二本以上。これも決まっている。

 間違いない。ここまで、手順通り。
 私は少し俯いて、揃えた膝の上で手を組んだ。

 酔っているからだ。
 酔っているから、こんなバカなことをしているんだ。
 本当は一次会で帰るつもりだったのに、部長に「次も行くぞ!」と言われて断り切れなくて、二次会にも連れていかれたからだ。
 危うく三次会にも付き合わされるところだったけれど、それはなんとか振り切った。
 というか、課長が逃がしてくれた。部長たちも酔っていたから、たぶん月曜日に咎められることもないだろう。あの様子を見るに、下手すると何にも覚えていないかもしれない。
 逃がしてくれた課長には、悪いことをしたかな、と思う。あの人だけは、私を嗤ったり嘲ったりしないから。

 全従業員を合わせても、百名にも満たない小さな会社。そしてその従業員は、ほぼ全員が私を見て嗤っている。毎日、そんな気がして仕方がない。

 ほんの少し、ほんの少し、誰かに背中を押してほしいだけ。ほんの少し、ほんの少し、誰かに話を聞いてほしいだけ。

 たったそれだけのために、私はどうしてこんなバカなことをしているんだろう。
 知らない人が聞いたら、きっと頭がおかしくなったと思われる。

 そうして一人で俯いて考え事をして、私の黒いパンプスに反射して点灯するネオンの明かりを見つめて、三分ほど経った頃だろうか。

 右目の端に、ぷらぷらと揺れるピンヒールが映った。

 私が慌てて顔を上げてそちらに振り向くと、そのピンヒールを履いている女性はビール缶のプルトップに手をかけているところだった。

 いつの間に。

 私がそこのコンビニで買った、500mlのビール缶。私になんの断りもなく、なんの躊躇もなく、彼女はプシッという音を立ててプルトップを開けると、缶ビールを美味しそうにゴクゴクと飲んでいる。
 隣に座ったのなんて、気付かなかった。
 酔っているから周りに目がいかなかった?
 それとも。

 召喚に成功した?

 いや、でも、私が呼んだのは。
 彼女は私の視線に気付いたのか、ビールを飲むのをやめると、こちらに振り向いた。
 そして。

「いらっしゃいませー」

 女性は赤い唇の両端を上げて微笑むと、そう私に言った。