「……そっくり……さん……?」

 目の前の女は目を何度か瞬かせたあと、「ドッペルゲンガー……? 確かに世の中には同じ顔の人が3人いるって言ってたし……」などとひとりぶつぶつと独りごちた。

「そ、ただのそっくりさん。ほら、俺は左利きだもん」

 そう言ってうちポケットに入っていたペンを器用にくるりと回して見せる。そんな俺の様子を、女はまじまじと大きな瞳で見つめている。

「他人の空似……にしては似過ぎている上に顔が良すぎる……。目の下のホクロ、眉の角度に鼻の幅。生え際のクセまで酷似しているなんて……まさか本物のぎゅう……(いな)、それはない。本当のぎゅうちゃんは右利きだし、この人はさっきまで女の人とちちくり……ありえないありえない本人なわけがない」

 ぶつぶつ言葉を連ねている。しっかりと聞こえるくらいの音量なのに、本人はあくまでも独り言のつもりらしい。ちなみに俺は左右同じように使える、いわゆる両利きというやつだ。

 女の身長は俺よりやや低めだから160センチくらいだろうか。艶のある茶色い髪の毛は顎のラインで切りそろえられ、くるりと内側に巻かれている。先ほどまで顔を寄せていた女とは異なり、スタイルが良かったりとびぬけるほどの美人というわけではなく、一言で言えば野暮ったい印象だ。多分これが“普通”なんだろうけど。

 ”そっくりさん”、だなんて誰が一番初めに使い出した言葉だろうか。なんとも都合のよい、便利な言葉だ。
 その仮の名前さえ自分と相手だけの同意に組み込めば、物事は全てシンプルなものになる。白々しい言葉遊び。馬鹿馬鹿しいと思いながらも、ここではその空虚なおふざけがルールだ。

 もちろん“そっくりさん”なんかじゃないということは、この店にいる時点で誰もが分かっていることだ。それでもあえて、そんな“偽物”の仮面をかぶる。この場所は、そうやってただ戯れる場所なのだから。暗黙の了解が成立したら俺たちは“だれかのそっくりさん”となって時を過ごす。後腐れもなく、情なんかもない。スキャンダルもなければ、面倒な揉め事もない。

「で、今夜君は誰と過ごすの?」
「……ふへ?」

 脳内処理を行っていた最中だったのだろう。問いかけに女は間抜けな声を出す。なんとも色気のない女だ。どうしてこんな女がこの場所にいるのだろうか。場違いもいいところだ。

「もしかして、俺のこと追ってきた? 先にあの女に取られて悔しい?」

 たまにいるんだよな。こういう「何も分かってません」みたいな顔をするしたたかな女が。ここにいる時点で、全部了承済のくせに。
 心の中に意地悪な棘がふたつほど頭を出したのを感じた。

「──いいよ? あの子が戻ってくる前に、ふたりで逃げちゃおうか?」

 ぐずぐずに潰してやってもいいかもしれない。なんだか無償にイライラするんだ。どうせアンタも、自己承認欲求のためだけに俺に抱かれたいんだろ?

「……は?」

 しかし目の前の女は、俺の言葉を聞くとキッとその目を吊り上げた。

「そちらの言う“そっくりさん”っていうのは、RAGのぎゅうちゃんのことですかね?」

 ゆら、と一歩右に揺れながらもその女はじりじりとこちらへ近づいてくる。

 いや待って、ちょっと恐ぇって! なんとなくどす黒い靄みたいなものまで体の周りに見えるんだけど。は? なにこれいやいや近いんですけど!

「あのねえ」

 ずいっと近づけられる顔。鼻先が触れてしまいそうなほどの距離で、女は目を血走らせて俺を睨みつけた。

推し()の名を語り女を泣かせたら、オマエ即刻死刑だからな?」

 ビシィッと人差し指を俺の眉間に突き当てると、女は「いいな?」と念を押した。それからもう一度ギリリと睨みをきかせると、くるりと俺に背を向けて廊下を去っていく。

 ずりずりっと背中に押し当てていた壁が擦れる音がする。何とも情けないが、あの気迫に圧《お》されてしまったのは事実だ。
 はあ、と深いため息とともに前髪をくしゃりと握る。

「……いや、なにいまの……物騒すぎんだろセキュリティどうなってんだよ……」

 そう多分。あの女は俺が『そっくりさん』であると思い込んでいた。他の女たちが口先だけで言う『そっくりさん』とは異なる、あれは正真正銘、そのままの意味だった。

「意味わかんねぇ、なんだあの女……」

 そのまま俺は、壁に体重を預けたまま下へと腰を下ろしたのだった。