柱時計の鐘が六回鳴り、少しして、荷物をまとめた永瀬桃が奥からやってきた。店を出るいつもの時間。

「そろそろ失礼します。また明日」

「うん、また」

 いつもなら彼女はドアを開け素っ気なく立ち去るのだが、今日は立ち止まったまま、もの言いたげな顔で俺を見た。

「なに?」

「それ、原稿ですよね」

「ああ、また送られてきたんだ」

「いい作品ですか?」

「いや」

 これまで受け取った原稿で商業レベルに達しているものは、まだ一つもない。

「章さんは、次に出版したい本ってあるんですか?」

 広川蒼汰の『リベンジ』――そうこたえられたらどんなにいいか。だが彼は見つからず、見つかったとしても、うちからの出版は難しいだろう。

「ない、かな。今のところは」

「……」

 永瀬桃は、ふいと窓の外を見やった。突如激しくなった雨音に注意を引かれたのだろう。

 もう店を閉めて送ってやってもいいかも知れない――駅まで十五分、この悪天候の中を歩かせるのは気の毒だ。

「車で送るよ、自宅まで」

「……まだ営業時間ですよ」

 再び俺を見た永瀬桃は怪訝そうだ。

「もう閉める。こんな天気じゃ、誰も来ないだろうから」

 永瀬桃は少し考えた後、「駅まででいいです」といって俺の先に立ってドアを開けた。


 助手席に座る永瀬桃は、重そうな黒いリュックを抱え、黙って前を見つめている。

「春季講習には、行かないの?」

 春休みが終われば彼女は高校三年生だ。

「行きません」

「大学は受けるんだよね?」

 黙ってこくりと頷く。

 信号が青になった。雨はいつしかみぞれに変わり、フロントガラスにぼたぼたと打ち付けるのを、ワイパーがひっきりなしに左右にかきよせ続けている。