*

 翌日。
 文目は銀葉館の玄関を出ると、例の助っ人として出ている占いサロンへ行こうと愛用の日傘を広げた。

 今日、柊は珍しく朝から出かけている。
 銀葉館の前の館主である祖母の茜の時からのお得意様の元へ鑑定へ行くとのことだった。
 行き先は銀葉館のある新潟市から離れている新発田市《しばたし》の辺りのようだが、柊はお得意様が用意した車に乗り込んで出かけていた。
 文目は朝食の片づけをしながら、窓から柊が出かけて行く様子を見ていた。
 あの柊が乗り込んだ車、多分ハイヤーなのだろう。
 銀葉館にはいろいろな人がやって来る。どこにでもいるような主婦や会社員のような人も来るが、ハッとするほど上品で明らかに上流の人間だとわかる人物もたくさん来る。
 しかも、そういう上流の人物が日本全国・時には海外からもやってくるのだ。
 
 文目は占いサロンに向かいながら、朝、柊が出かけて行った光景を思い出し、自分は本当に恵まれているなと改めて思った。
 偶然とはいえ、占い師としては全然有名ではないし特に器用でもない自分を銀葉館に誘ってくれた柊に対しては、本当に感謝しかない。
 そして、楠にも……。
 楠は口こそ悪いが、自分が見落としているものにいつも気付かさせてくれる。
(――なのに、私ってば)
 文目は昨日のことを思い出して、大きなため息をついた。
 昨日から、ため息を何回ついてしまっただろうか。


 文目は気を紛らわすように、歩きながら日傘の隙間から空を見上げた。
 新潟は曇りや雨、冬は雪の日が多く、今日みたいに雲一つないような青空の日は貴重だ。
 高崎にいた時は、この青空も当たり前のものだと思って眺めていたのに……。

 文目はふと、自分が新潟の銀葉館に来ないでずっと高崎で過ごしていたら、自分は今頃何をしていたのだろうか、と考えてみた。
 父親と二人で、相変わらず母親だけがいなくなった高崎の家で、普通の二十代の女の子として過ごしていただろうか。
 仕事は新潟に来る前に失恋して辞めてしまったが、どこかの適当な同じ事務のような仕事を見つけて、相変わらず副業的にメールの占いなどもやっていたのだろうか……。

(――お父さん、一人でちゃんとやってるのかな?)
 文目が手元に目を落とすと、父親からもらったゴールドの腕時計がキラリと光ったような気がした。
 父親は一人で過ごした時期が長いから、食事や掃除などの心配は不要だとはわかっていても、それでも心配にはなって来る。

 文目の父親は文目と母親が高崎に行った後も、単身赴任でずっと新潟に残って仕事をしていた。
 そして、二年ほど前のある日、急に職場を早期退職し「こっちで仕事見つけたから」と高崎に戻って来たのだ。
 文目は父親が高崎に来てくれて嬉しかったが、今でも「こっちで仕事見つけたから」と父親が帰って来た時の母親の何とも言えない、少なくとも歓迎はしていないような表情が忘れられない。

 文目の母親と父親は、文目が物心ついた時からあまり仲が良くなかったのだ。

 ただ、仲が良くないとは言え、それでも夫婦としての絆は何かしらあったのだろう。文目は未だに父親が急に高崎に来たのは、「妻がもうすぐ亡くなる」ということを何かしら察していたのもあったのではないか、と未だに思っている。
 絆は何かしらあったとは言え、父親と母親は一緒の家に暮らし始めてもあまり会話をしなかった。
 それでも、文目は母親が亡くなる前に家族三人で過ごすことが出来たのは良かった、と父親が高崎に来てくれたことには感謝している。


 文目が高崎での日々のことについて思いを巡らせていると、道の向こうから見覚えのある人物が歩いて来るのが見えた。
「――あっ、蓮見さん、こんにちは」
 向こうから来たのは、杏子だった。
 文目は自分がいつの間にか杏子とかつて瑞希が住んでいた例のマンションの前まで来ていたことにやっと気づいた。

 杏子は一人ではなかった。
 隣りに年配の女性がいる。杏子はその女性の腕を支えるように掴んでいた。
 女性は杏子によく似ていた。
(――もしかして、桃瀬さんのお母さん?)
 あの、瑞希のことを好きだったと言う、杏子の母親だろうか。
 文目は思わず自分の母親のことを思い出してしまい、まるで自分の母親が目の前に立っているかのような気持ちになり、胸がギュと締め付けられるような感覚を覚えた。

「――こっ、こんにちは、桃瀬《ももせ》さん」
 文目は自分の本心を隠すかのように笑顔を作ると、杏子とそして隣に立っている女性にも会釈した。
「偶然ですね! もしかして、昨日言っていたサロンへ行く途中ですか?」
「そうなんです。――杏子さんは、今日は?」
 今は平日の昼間だ。杏子は事務の仕事をしていると聞いているが、仕事はどうしたのだろうか。
「実は、こちら私の母親なんですけど、病院から外泊許可が出たので、有給を取って病院に迎えに行ってたんです」
「そうだったんですか、良かったですね」

 文目は杏子の隣に立っている杏子の母親を改めて見た。
 やっぱり、見れば見るほど杏子に似ているな……と文目は思った。
 文目は杏子の母親を見て、自分の母親を思い出さずにはいられなかった。
 文目もかなり母親に似ている顔立ちなのだ。
 今でも時々、鏡を見るたびに目を見開いてしまうほどだった。

「――杏子、こちらの方は?」
 母親が無表情のまま杏子の腕を突《つつ》いて訊くと、杏子は文目に向けていた笑顔を一瞬で引っ込めた。
(――あっ)
 文目は何となく見てはいけないものを見てしまったような気持ちになった。
「お母さん、お義姉《ねえ》さんが前に銀葉館ってところで四柱推命習っていたの覚えてる? この方、蓮見さんと言って、その銀葉館で働いている住み込みのお弟子さんなの」
「ああ、あの津々地《つつじ》先生の? ――あの時は義娘《むすめ》がお世話になってありがとうございました」
 杏子の母親は文目に笑顔を向けると、頭を下げた。

 文目は今更ながら柊を知っている人の間での柊のネームバリューのすごさに驚きながら、杏子の母親の笑顔に違和感を抱いた。
 杏子に、実の娘に話しかける時は全くの無表情なのに、自分に対してはすぐに笑顔を向けて来たのだ。
 確かに自分は銀葉館の柊の内弟子だし、杏子の母親にとっては義娘《むすめ》がお世話になった人間の関係者、ということになるのかもしれない。
 だからと言って、本当の血の繋がっている娘に対しては無表情で、自分にはすぐに笑顔を向けて来るなんて……。
 杏子も杏子で、母親に話しかけられた時、瞬時に笑顔を引っ込めたのにも違和感を覚える……。

(――あっ)
 文目はまた心の中で声を上げた。

 ――僕もお客さんの鑑定をしている時にそういう違和感を覚えることがあるけど、その違和感ってものすごく大事なんだよ。

 文目は前に杏子と杏子の母親のことを話した時に、柊が言っていたことを思い出した。
(――そう言えば、柊さん、「その違和感を突き詰めていくと、本当の問題とか悩みが見えて来る」って言ってたっけ)

 ――悩んでいたり問題を抱えている人は、実は本当に自分が何について悩んでいるとか良くわかっていないことが多い。
 でも、悩んでいることには変わりないから、無意識のうちに表に出て来て、それが他人の目には「違和感」となって映って来る……。

 文目は杏子の母親に笑顔でお辞儀を返しながら、コッソリと杏子の母親の様子を伺った。
 杏子だけでなく、杏子の母親にも違和感を抱いたということは、杏子の母親も何か悩みや問題を抱えていると言うことなのだろうか……。



 *

 助っ人で出ている占いサロンでの仕事を終えると、文目は夜の新潟の街をブラブラと歩き始めた。
 昨日、あの「M.Mの幽霊について」の掲示板に目撃情報が書き込まれていた場所が占いサロンの近くにあったので、文目は帰るついでに行ってみたが、やはり瑞希の幽霊に会うことはできなかった。

(――やっぱり、今日も瑞希に会えなかったな)
 新潟に来てから、この落胆を何度味わったことだろう。
 文目はため息をつきながら、今日はもう帰ろうと踵《きびす》を返しながら、ふと、今日は杏子は来ていないんだな、と思った。
 多分、母親が久しぶりに家に戻ってきているから、今日は瑞希を探さずに、親子水入らずであのマンションで夜のひと時を過ごしているのかもしれない。

(――親子水入らず、か)
 文目は自分で思いながら、首を横に振った。
 昼間の杏子と杏子の母親の様子。
 あの様子では「親子水入らず」なんてことはなさそうな気がする。
(――私だって、そうだったし)
 文目は自分の高崎時代の、父親が帰ってくるまでの日々を思い出して、周りの空気が急に重くなっていくのを感じた。

 母親と二人っきりで家にいる時の、あの重苦しい空気。
 文目はその重い空気感がイヤで、なるべく母親とは関わらないようにしていた。
 その頃の文目の楽しみは、自分の部屋の中でできること……、つまり読書やタロット占いをすることだった。
 合唱団に通うくらい歌うことも好きだったが、高崎に越したころには歌への情熱はなくなってしまっていた。

 母親は文目がタロット占いをしていることに良い顔はしなかったが、なぜか禁止することはなかった。
 文目もいまだに母親がなぜ占いのような如何にも「怪しい」ものに禁止令を出さなかったのか不思議だった。
 ただ、母親が占いを禁止にしなかったのも、瑞希のことが絡んでいるからなのかもしれない。
 一時期、瑞希はよくタロットカードを持って文目の部屋に遊びに来ていた。
 母親も「文目も瑞希ちゃんのマネをして占いをしている」と言うことは知っていたのだ。

 文目にタロット占いを教えたのは瑞希だった。

 瑞希は多趣味で何でもできる娘《こ》だったが、年頃の女の子が占いに興味を持つように、瑞希も一時期占いにはまっていたことがある。
 文目は瑞希のような何でも完璧にできる女の子がどうして占いをしようとおもったのだろうかと疑問に思っていた。
 ある日、瑞希が見せてくれた不思議な柄のカード占いに、文目は妙に心惹かれるものを感じた。
 それが文目とタロット占いの出会いだった。
 文目は自分のお小遣いでタロットカードを買い、見よう見まねでタロット占いをやるようになった。
 瑞希は文目が拙いながらもタロット占いが出来るようになるにつれて、別のことに興味を持ったのか占いはやらなくなって行った……。

 文目が銀葉館に帰ってみると、昨日とは違って一階の照明が付いているのがわかった。
 代わりに書斎のある二階の電気は消えている。
 柊が物置で資料になりそうな本の物色でもしているのか、もしくは新発田市《しばたし》での鑑定が長引いてしまい、遅い夕食をとっている最中なのか……。

 文目は玄関の扉を開けて、「ただ今帰りました」と言った。
 柊も今日は文目が助っ人として出ている占いサロンへ行く日だと知っているし、瑞希の幽霊を探すのにそれほど時間がかからなかったから、いつもよりも遅くなっていない。
 今日は別にコソコソと音を立てないように気を付けながら自室の三階まで行かなくても良いだろう、と文目は思ったのだ。

「何だ、お前。――ああ、今日はあのサロンに行ってたんだな」
 昨日と同じように物置から出て来たのは、パーカーにジーンズ姿の楠だった。
「あっ、楠さん、今、帰りました」
 楠の「今日はあのサロンに行ってたんだな」という言葉の裏には、「今日は幽霊を探しに行ったんじゃないんだな」というニュアンスが含まれているのだろう。
 本当は占いサロンの帰りにいつも通り瑞希の幽霊を探しに行って、いつも通り見つからなかったのだけど……。

「ちょうどいいわ、お前、物置のどっかにこの本があるから、探すの手伝って」
 楠はそういうといくつか本のタイトルが書いてある紙をヒラヒラと文目に見せた。
「はい」
 文目は返事をしながら、楠のことを思わず見つめてしまった。
 この間はずっと楠が出て来なかったというのに、昨日と言い今日と言い、どうしたのだろうか。

「何だよ、その表情《かお》。柊じゃないからガッカリでもしたのか?」
「いえ、違います! ただ、楠さん、この間までずっと出てこなかったから、昨日も今日もどうしたんだろうって思って……」
「柊はここで寝てるよ。俺がムリヤリ眠らせたんだ」
 楠は自分の胸の辺りを指さした。「あいつ、新発田《しばた》の鑑定で疲れているのに、わからないところがあったとかって休みもしないで物置で本探そうとしたんだよ。危ないからムリヤリ眠らせて、俺が代わりに本を探してやってるってわけ」
「そうだったんですね……。柊さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。――まったく、あいつ、昔からああなんだよ。あいつ一人だけの身体だったら別にムリしたって何したって勝手にしろって感じだけど、あいつが倒れでもしたら、俺と共倒れになっちまうんだよ」

 ――共倒れ。

 文目はその言葉が妙に自分の心を揺さぶって来るのを感じた。
(――そうだ、柊さんと楠さん、魂は別々でも身体は一つだけなんだ)
 この銀葉館に来てから知ってしまった、柊と楠の二人の館主の秘密。
 初めはただただ驚くばかりだったが、今では文目の中で日常的なものになっている。
 でも、この秘密が自分のことを悩ませてしまうのだ……。

「――お前、何だよ? 急に黙って。そんなに柊のことが心配なのか?」
「えっ? あっ、はい」
 考え込んでしまった文目が楠の言葉の意味を考えずに思わず返事をすると、今度は楠の方が黙り込んでしまった。
 文目は黙り込んだ楠の表情を見て、ハッとした。
(――楠さん、どうしてそんなに悲しそうな表情《かお》をしているの?)

 ただ、楠が悲しそうな表情を見せたのは少しの間だけだった。楠は文目に背を向けると、「ほら、さっさと探すぞ!」と後ろ向きのまま文目に手招きをした。
「はい」
 文目は楠の後について、物置に入った。

 物置とは言っても、その部屋にはほぼ大量の本が所狭《ところせま》しと並べられている状態だった。
 しかも、その本の多くが占いにまつわる本だった。
 柊や楠、銀葉館の前の館主である茜は四柱推命の鑑定士だから、もちろん四柱推命の本が圧倒的に多いが、他の西洋占星術《ホロスコープ》や手相や文目が専門にしているタロット占いの本などもたくさんあった。
 日本語ではない言語で書かれている本もたくさんある。
 文目はこの物置からタロットや西洋占星術《ホロスコープ》の本を借りて読んだりもしていた。

「――あっ、本見つけたらそこ置いておけよ。3冊見つけたから、後2冊な」
「はい」
 文目が楠の指さした方向を見ると、本棚と本棚の間に置いてある小さな机の上に本が平積みになっている。
(――あれ?)
 楠は確か「3冊見つけた」と言っていたが、平積みになっている本は4冊ある。
「楠さん、でも、本がもう4冊ありますよ……」
 文目が言いながら平積みの一番上の本を手に取ると、その本は四柱推命の本ではあるが、初心者向けの四柱推命の本のようだった。

 ――著者:津々地《つつじ》梗介《きょうすけ》。

(――つつじきょうすけ)
 文目は心の中で本の背表紙に書いてある名前を呟いた。
「ああ、それ、茜の旦那の本」
「茜さんって、柊さんと楠さんのおばあさんの……」
 茜は柊と楠の祖母であり、この銀葉館の前の館主の名前だ。
「そう。そうなると、梗介《きょうすけ》は銀葉館《ここ》の前の館主の館主ってことになるのか……。まあ、俺たちは会ったこともないけどな。俺たちが銀葉館《ここ》に来た時には、茜しかいなかったし。――お前、柊から茜が書いた四柱推命の本、貰ってるだろ?」
「はい、初心者向けの」
「今は茜の本を使って講座とかしてるけど、前はその梗介の本を使ってたんだよ。最初、俺たちはその本で四柱推命の勉強をしたんだ」
「じゃあ、物置にあるのを見つけて、懐かしくなって机の上に置いておいたんですか?」
「そういうんじゃないけど」
 文目が思いついたように言うと、楠は文目から目を逸らして小さな声で言った。
 文目は楠の表情と仕草を見て、「ああ、そういうことだったのか」と悟った。


「――そう言えば、柊さんと楠さんが四柱推命をやり始めたきっかけは何だったんですか?」
 文目は本探しの続きに戻りながら、ふと気になって訊いてみた。
 考えてみると、今まで柊と楠が四柱推命の占い師になったきっかけを訊いたことがなかったような気がする。
 祖母の茜も、さっき初めて名前の聞いた祖父の梗介も四柱推命の鑑定をやっていたから、俗に言う世襲制《せしゅうせい》みたいなものなのだろうか。

「まあ、最初に『やりたい』と言い始めたのは柊だよ。それは何となくわかるだろう?」
「はい、まあ……」
「俺たちの両親が事故で亡くなって、孤児の柊を茜が引き取ったってことも、前に言ったことあったよな? 多分、柊も俺も言ったことあったと思うけど」
「はい、聞いたことあります」
「俺たちが銀葉館《ここ》に来てからしばらくして、柊が『やりたい』って言い始めたんだよ。茜が柊に『四柱推命の命式を見れば、その人の性格とか運命とかがわかる』って言ったらしいんだ。
 柊は……、わかるだろう? 命式を見れば事故で亡くなった両親の運命もわかったのかもしれないって思ったんだよ。
 命式を見たからって事故が防げたかどうかはわからないけど、確かにそういう時期を予想することはできなくもないし。自分と同じような目に遭って悲しむ人間を少しでもなくしたいって思ったんだろうな。――柊らしいわ」
「でも……」
 文目は本の背表紙から目を逸らすと、自分に背を向けて背表紙のタイトルを目で追っている楠の方をチラリと見た。「でも……、楠さんも四柱推命が出来るってことは、楠さんも柊さんと一緒に茜さんに習ったってことですよね?」
「そーだけど。巷《ちまた》じゃあ柊がすごいとか言われてるけど、俺、あいつに負けてるって思ったことは一度もないからな」

 楠が得意そうに言うのを聞きながら、文目は「ああ、そういうことだったのか」と思っていた。
 柊も楠も茜に四柱推命を習い始めたきっかけは同じなのだろう。
 二人とも「大切な人を亡くした」というような悲しみを他の誰かに味わってほしくない、そういう想いで四柱推命を始めて今も続けているのだろう。

(――やっぱり、柊さんも楠さんも優しいな)
 自分よりも年上とは言え、あの若さで銀葉館を切り盛りして、いろいろな場所から四柱推命の鑑定や講座の申し込みが殺到する。
 もちろん、四柱推命の鑑定や教え方が優れていると言うこともあるのだろうが、それよりも柊と楠の占いに込めている「想い」みたいなものが相手に伝わっているから、いろいろな人が銀葉館を訪れて来るのだろう。

「――優しいんですね、柊さんも楠さんも」
 文目が思わず独り言のように呟くと、楠が怪訝な表情をして振り返って来た。
「ああ、柊は優しいよ。あいつは特別だからな。――でも、どうして、そこに俺の名前も出て来るんだ?」
「えっ? 楠さんも優しいですよね?」
「優しくないよ。優しいヤツが帰って来たばかりの人間に本探しを頼むか?」
 文目が答える代わりに笑顔を浮かべると、楠は文目から目を逸らした。

「――で、お前の方はどうなんだよ?」
「えっ? 私、ですか?」
「そうだよ。お前が占いをやり始めたきっかけって何なんだ?」
 楠はきっと話を逸らすために自分に質問を吹っかけてきたのだろう。
 文目は一瞬答えに迷ったが、やがて口を開いた。

「――実は小学校の時の友だちが占いに凝っていた時があって、友だちが持っているタロットカードの絵柄に魅かれてやり始めたのがきっかけです」
 文目がぎこちない口調で言うと、楠は「ふーん」というような表情をした。
「その友だちって、あの幽霊の友だちかよ?」
「えっ? どうしてわかったんですか?」
「お前のその何とも言えない表情を見ればわかるさ。――それにしても、お前、どうしてそんなにその友だちをリスペクトするんだよ? 『自分よりも瑞希の方が優秀』とかって。
そのお前の友だちって、そんなにスペック高かったのか? 俺、というか柊ってその友だちに会ったことあったっけ? 全然覚えてないんだけど」
「覚えていないんですか?」
 楠の言う「覚えていない」は、きっと「誘拐事件の被害者として以外に記憶がない」という意味なのだろう。

「覚えてないよ」
「でも、瑞希、すごくかわいくてすごく人気者だったんですよ。歌も上手いし運動神経も良いから、中学校になったらアイドルのオーディション受けてみろって先生に言われてたくらいだし……」
「オーディションって、そんなの受けてみろって言う先生も先生だな。――でも、その友だちは占いに凝っていた時期があったんだろう? お前がいう程、完璧な人間ではなかったってことだな。何か悩みがあったとか……」
「えっ?!」
 文目が思わず大きな声を上げると、楠は文目が驚いた表情を不思議そうに見つめた。
「お前、何でそんなに驚いてるんだよ? 当たり前だろう? 悩みのない人間が占いに凝るかよ」
「あっ……」
 確かに楠の言う通りだ、と文目は思った。

 文目だって、ただ単に「瑞希がやっているから」という理由だけで占いに興味を持ったわけではない。
 文目なりに、あの頃はいろいろと悩みがあった。
悩みが多かったのは、生まれた時からの性格なのかもしれない。そこまで器用でない上に、周りの空気や雰囲気に敏感で、怖気づいてしまうようなことも良くあった。
 母親が活発な性格で、比較的自分に近い性格の父親が多忙なせいで、なかなか家族に自分の気持ちを話すこともできなかった。
 小学校に入って瑞希と友だちになり、それなりに学校へ行くことが楽しくなったが、瑞希と一緒にいると「楽しい」という気持ちよりも「瑞希に比べると……」という気持ちの方が強く出てしまうようになり、何事も器用にできない自分にますますコンプレックスを持つようになった。
 かと言って、「コンプレックスに思っている」と当の本人である瑞希には相談できないし……。
 そんな風に悩みを持っているけど誰にも相談できない文目に取って、占いは唯一自分の悩みに答えて自分に寄り添ってくれるツールになって行ったのだ。

(――確かに楠さんの言う通りだ)
 文目が占いに興味を持って、今まで占いをやって来たのは「悩み」があったからだ。
 もちろん、柊や楠のように「自分と同じような目に遭って悲しむ人間を少しでもなくしたい」と言う使命感を持って占いを始める人もいるだろう。
 ただ、そういう使命感がある人だって、過去に悲しい記憶があり散々苦しんだからこそ「占いをやろう」と思うようになったのだ。

(――そうすると、瑞希も悩みがあったか、何か苦しんでいることがあったから占いに凝ったということなの?)
 自分の記憶にある「瑞希像」からは遠い……、と文目は思った。
 瑞希は見た目も可愛いし頭も良くて運動神経もバツグンだった。いつも笑顔だったし友だちもたくさんいたし、瑞希のことを悪く言う人は誰もいなかった。
 瑞希の両親も優しい人たちで、瑞希のことを可愛がっていた。
 そんな完璧な瑞希の、どこに悩みや「苦しんだ過去」があったと言うのだろうか……。


 文目が急に黙り込んで思いを巡らせ始めると、楠が「おいおい……」と呆れたような声を上げた。
「――おいおい、何て表情《かお》してるんだよ? 普通に生きてれば悩みがあるなんて当たり前だろう?」
「確かにそうですけど、瑞希は……」
 文目は「瑞希は完璧な人間だったし」と続けようとしたが、楠はまるで文目の言葉を遮るように首を横に振った。
「お前、どうせまだその友だちの幽霊、見つけられてないだろう?」
「はい、あれからずっと探しているんですけど、見つからなくて……」
「そうだろうな。お前がそういう目で友だちを見たままだと、友だちもお前の前に出辛いだろうな……」
「えっ?」
 この間も楠さん、そんなこと言ったような……、と文目は思った。「楠さん、それってどういう意味なんですか?」
「知らねーよ。お前、自分で考えて自分で答えを出してみろ」
「でも……」
「でも、じゃない。――とりあえず、残りの本、さっさと探すぞ。柊が疲れているってことは、同じ身体を使っている俺だって多少は影響を受けてるってことなんだからな」
「あっ、はい」
 文目は慌てて顔を前に向けると、本の背表紙を目で追い始めた。

 文目は背表紙を目で追いながら、楠がさっき言った言葉の意味を考えてみたが、とうとう答えは出て来なかった。