玉砂利の騒ぎ声は、その声差しにムクゲが身体を強ばらせたために、一旦静かになった。
 衣擦れの音と共に屋敷の奥から現れたのは、まだ年端も行かない一人の子供だった。
 ……赤く、この上なく豪奢な着物を身に纏った、輝かんばかりの白い肌と白い髪をした、あどけなくも、妙に美しい、子供だった。
 ムクゲはその子供の余りの美しさに、思わず背筋に氷水を流し込まれたような感覚さえ覚えた。
 霞のように輝く目を縁取る睫もまた淡雪のように白く。子供がゆるりと瞬きをする度に雪の降る音が聞こえてくるようだった。齢は、十二かそこらだろうか。
 ただムクゲには、その子供が少女なのか少年なのか判らなかった。あどけない顔つきではあったが、やけに老成した気色を帯びていた。大人しくしっかりとした少女にも見えるし、聞き分けの良い落ち着いた少年のようにも見えた。
 着ている着物は女物のようだが、重ねも何もちぐはぐで、ただ纏っているというだけのようだった。
 輝く白の髪を纏った頭の上には、豪奢な着物に負けないくらいに真っ赤な色をした、不思議な花が添えられていた。千重咲の珍しいそうな花である。ムクゲは花屋であるにも関わらず、その不思議な花の名前が判らなかった。
 それよりも、ムクゲは特別に子供が好きという訳ではないにも関わらず、その白い子供が余りにも美しく、綺麗にムクゲの目に映ったのが衝撃的だった。
 一瞬あやかしの子かとムクゲは疑ったが、それにしては優しげな雰囲気を帯びている。
「だぁれ」
 子供を凝視したまま凍り付いていたムクゲは、子供の問い掛けにハッととなって我に返った。
 そして急にムクゲは自分が慌てふためいていたのを恥ずかしく思った。
 そもそもあやかしがこのような人里にいる訳が無いとさえ思い始めて、ムクゲは自分の中が急激に冷静になったのを自覚した。

(ましてや、このような幼気な子供があやかしなどと……)

 ムクゲは自分の肝の小ささを恥ずかしく思いながら、みっともなく尻餅を付いたままへたり込んでいた身体を慌てて起き上がらせ、落とした花束を拾い上げた。
 先ほどまでちっとも動かせなかった足だというのに、子供を前にした途端まるで嘘のように身体の石化がほぐれて、すんなりと立ち上がることができた。
「た、頼まれていた……薔薇の花を……お、お持ち……しました……」
 それでも凍り付いた名残が残っている舌で、ムクゲは白い子供にそう伝えた。
 しかし目の前の白い子供は、ムクゲの言葉を聞いて不思議そうな気色を滲ませた。
「は、花屋……です」
 男は焦ってそう付け加えると、白い子供は、はなや、と目を伏せて音のままに繰り返した。
 そして、目線がムクゲの持った大きな花束へと辿り着くと、子供はそこでようやく合点がいったようで、
「……そう」
 と、一言だけを口から零した。
 その余りにも短い返事にムクゲは戸惑ったが、子供が両の手を伸ばして受け取る仕草を見せたので、急いで子供の手元へと近寄って花束を差し出した。
 着物の袖からゆらゆらと伸びた子供の手もまた白く、そしてか細く、丁度赤い袖から真っ白な花が伸びているようだった。
 ムクゲは妙に震える手で子供へと手渡したが、子供は何故か受け取った瞬間に息を飲むような小さな悲鳴を上げ、手渡された花束から手を引っ込めてしまった。
 空中で支えを失った花束は地面に引き寄せられて急直下する。それは敷き詰められた白い玉砂利に叩き付けられて、地面に勢いよく朱墨を落としたたように散らばった。
 高価な薔薇の花が、いともあっさりと徒となった。
 ムクゲはまた不思議に思った。この薔薇の花は、まだ切ったばかりで、枯れかけてもいないし、萼も弱っていない。それなのに、地面に落ちた途端に、まるで水の塊でも弾けさせたかのように、玉砂利の上で花弁が散ったのである。
 ムクゲは玉砂利の上に作られた真っ赤な花弁の水溜りを見ると……、何だか急に頭がぼうっとしてきて、熱でも出てきたような感覚に陥った。
 くらくらとしたままの頭で再び赤い水溜りを視認すると、今度は妙な、疑念や恐怖とは別の感情がムクゲの頭を支配し始めているのを感じた。
 普段なら高価な花をここまで台無しにすれば、仕事柄とてつもない自責と後悔の念に苛まれるというのに、今はどうにもそのような気分にならなかった。それどころか、花は形を潰してしまったが、これを台無しにしてしまったなどと、何故か思うことができなかった。
 自分でも解るほどに、ムクゲは自分の思考がおかしかくなっていることに言い知れぬ恐怖を感じた。いつものように感情が働かないのだ。それどころか反対に、自分は至極正しいことをしたのだと、突飛な思考さえ浮かび上がってきたのだ。
 ……これだけ赤ばかりの屋敷の中で、地面の玉砂利だけは唯一、白を保ったままだったのだ。そう、きっとこの屋敷の者は、薔薇の花を、こういう使い方にするはずだったに違いない。
 玉砂利の上でたゆたう薔薇の花弁の赤さと、平常の狼狽心に挟まれてくらくらくらくらとしながら。ムクゲは徐々に、自分の思考が赤色に支配されてしまっているのが解った。
 目線を上げると、子供は自分の右の手の平をじっと見詰めていた。その手の人差し指から指の付け根辺りまで、引っ掻き線のように傷が付いてしまっていた。どうやら花の棘で傷付けてしまったらしい。
「し、しまった、棘落としはやっておいたはずなのに」
 大丈夫ですか、とムクゲは狼狽えて子供に問うたが、とうにその声はムクゲ自身が発したのではない、別の誰かのそれのように自分の耳に響いていた。
 ……白い子供の、傷付いた人差し指から真っ赤な血が、白磁のような手の腹を這って、流れ出ているのだ。花を添えた白い髪に覆われた玉容の口の穴から、やわらかく色付いた舌が、珠となって流れる指の血を、舐めているのだ。
 唇に擦り付いた生血が、てらてらと光って、艶めかしい朱色を、強調しているのだ。
 その様子に、ムクゲは、ずっと自分の中で誤魔化し続けていた恐怖心が、たちまち大きく肥大して、……肥大し切ってしまって、溢れ出てくるのを最早止められなかった。
 ムクゲは恐くて恐くて仕方がなかった。目の前のこの白い子供がとにかく恐かった。子供の何が恐いのか、ムクゲにははっきりと解らなかったが、とにかく恐怖してしまって、息がどんどん上がってきてしまうほどだった。
 逃げようと思った。逃げなければならないとムクゲは強く思った。
 しかしそれなのに、ムクゲはこの白く綺麗な子供の一挙一動から、目が離せなかった。目が、この子供の白く燃えるような綺麗さを欲して、まるで視覚に食思が働いたかのように。
 この子供の綺麗さを賞味したいと。
 この子供の綺麗さを食わせろと。
 目が、手前勝手を言って、きかないのだ。
 そしてそれは徐々に、ムクゲの中の恐怖に浸透していって、恐怖をまた違うものへと昇華させようとしているのが解った。
 昇華させてしまってはいけなかった。逃げなければいけなかった。
 目の前で指を舐めていた白い子供が、恐怖で動けなくなってしまっているムクゲへと、ふと目を向けた。
 かがやくような子供の、仄暗い瞳に射竦められ、ムクゲはびくりと肩を跳ねさせた。髪も肌も手も、姿形どれも綺麗だったが、瞳が一段と綺麗だった。
 逃げなければいけない。これ以上この瞳を見ていたら、きっと呑み込まれてしまう。これ以上この子供を見ていたら、目が、自分が、まるで火蛾のように巻き込まれてしまう……!!
 ここで逃げなければ……。
 ムクゲが動かない足をどうにか一歩動かそうとしたら、しかしその時ちょうど、白い子供がまた、すぅ、と、両の腕を男の方へと伸ばしてきた。
 差し伸べてきた手はそのままゆっくりとした動作で、ムクゲの首や両頬の辺りに迫り、ムクゲは片足の踵を浮かせたまま、その自分の頬の辺りでゆらめく妖花の手の冷たい気配に、結局意識をからめ捕られてしまった。
 傷口で凝固していた血が割れて、鮮血が再び珠を成して指先を伝ってぼたぼたと、ムクゲの肩の上に落ちた。
 
(――……ああ、いけない、)

 ムクゲの中の何かが、最後の警告を発した。

「お……おまえは……」
 ムクゲが乾いた喉から必死に声を絞り出したその時、

「あら、こんなところにいましたの」
 屋敷の奥から、突如として若い女が出てきた。花を買いに来た女とは違う女だった。