翌日、教室へ向かうと昨日と同様に前野くんはすでに席に座っていた。

わたしも昨日と同様、教室の扉から前野くんを観察してみる。 今日も何か本を読んでいるらしい。

あの様子からは、昨日の割と会話してくれた前野くんの面影はまるで無いわ……。

昨日、前野くんと自転車二人乗りしたのが幻だったように思えてくる。


「あ、羽白」


真横から名前を呼ばれて視線を下げると、そこには席に座ってこちらを見る相沢。


「なあ、イベント来る気になった?」

「ならない」


わたしはそのまま教室に入って自分の席へと向かう。 後ろから「なんでだよ!」と言う相沢の声が聞こえるけれど、そんなことはどうだっていい。

昨日お姉ちゃんの部屋から拝借した少し大きめのリュックを机の上に置いて座ると、体の窓側に向けた。

そして声を潜めて呼ぶ。


「前野くん、おはよう」

「…………」

「前野くん」

「へっ」


わたしに負けないくらい小さな声で驚いた前野くんは、顔を本から上げてこちらを見た。

今日もやっぱり目は髪の毛で隠れてよく見えない。


「昨日、駐輪場で人の声が聞こえたって言ってたけど、それって男子?」


声を潜めながら、決して前野くんに話しかけているように見えないと思われる姿勢で言う。

本当は別にこんな風にせずに普通に話しかけてもよかったのだけれど、そうなったらそうなったで周囲がザワつくのは目に見えていたのでやめておいた。


「た、たぶん……」


そう控えめに言った前野くんは目元は見えないけれど、きっと目が泳いでいるんだろうなと思う。


「そうなんだ……わたし、その人たち突き止めようと思うんだよね」

「えっ?!」


突然、前野くんの声が教室内に響いた。 

その瞬間、一気に教室が静まり返ったのとクラスメイトの視線がこちらに集まったの背中越しに分かる。

前野くんもそれを察知したのか、“やってしまった”という表情で自分の口元を手で押さえた。

けれど、教室はすぐに元のざわつきに戻った。 まだクラスの半数も登校してきていないのが幸いだったのかもしれない。

ちらほら「え、今のなんだったの?」という声も聞こえるけれど、とりあえず聞かなかったことにする。


「びっくりさせてごめんね」

「い、いや……でも、そんなことしたら危ないよ……」

「大丈夫。 それよりも、自転車壊されでもしたら困るからさ」


昨日、ネットで自転車がいくら位するのか調べてみたけどどれも余裕で一万円を超えてくるものばかりだった。

後数年乗るか乗らないかのものにそんなお金をかけていられない。

前野くんが「でも……」と小さな声で言ったとき、ふいに背後から「なあ、羽白」と呼ばれてわたしは肩をビクッとさせた。

振り返ると、すぐ後ろに相沢がこちらを見下ろして立っている。


「な、なに」

「来週の頭髪服装検査、先輩が俺らと曜日入れ替えてほしいらしいんだけど、いい?」

「わたしはいいけど……」

「じゃあ、先輩に言っておくわ」


相沢はそう言うと、そのまま自分の席に戻って行った。

びっくりした……そんな内容ならわざわざ話かけて来なくても、メッセージで聞けばいいのに……。

でも、同じ教室内にいて授業中でもないならメッセージで会話するのも変か。

わたしは窓側に向き直って横目で前野くんを見ると、しっかりと視線を下げておまけにいつも通りの猫背の状態になっていた。

何気に切り替えすごいわ……。 さっきまで、思いっきり顔上げて、大きな声出したとは思えない。

その時、朝礼開始の予鈴が鳴ってわたしは身体の向きを教卓の方へと戻した。

あっという間に放課後になり、わたしは駐輪場の近くにある非常階段にいた。

ここなら駐輪場の様子も分かるし、誰もこんな所に人がいるとは思わないだろう。 我ながら、この隠れ場所は名案だ。

でも今日一日、自転車を倒しているであろう二人組と出会したときにどう対処するかを考えてみたけれど、これに関しては名案どころか何も案が思いつかなかった。

まず、わたしはこの学校の誰が自転車通学をしていて駐輪場を使用しているか把握していないし、その二人組の顔も声も分からなければ学年も分からない。

だから、それらしき二人組が駐輪場に現れても自転車を実際に倒すところを見ない他には証拠を掴むこともできない。

それに、その証拠を掴んだとしてもその人たちになんて言えばいいんだろう……なんか武器とか用意するべきなのかな……。


「……羽白さん」

「ウワッ」


突然真横から呼ばれて顔を上げると、そこには前野くんが立っていた。


「びっくりした……前野くんか」

「あ、ごめん……。 あの、こんな所で何してるの?」

「それはほら、突き止めるために隠れなきゃと思って」

「突き止めて、それからどうするの?」


ちょうど困っていた話に、わたしは言葉に詰まる。


「それは……やめさせるよ。 もし酷いことしてたら、許せないし」

「……ひとりで、怖くない?」

「…………」


わたしは背負っていたリュックの肩掛けを掴む手に力を入れる。
確かに、知らない男子と2対1と考えると怖いかもしれない。


「こ、このリュック振り回せば勝てるんじゃ……」

「怪我したらどうするの」


そう言うと前野くんは小さくため息をつく。
えっ、もしかしてわたし、前野くんに呆れられてる?

その時、駐輪場の方から話し声が聞こえて見てみると男子学生二人がこちらに向かってきていた。


「前野くん、隠れて」


わたしは小声で言って、咄嗟に前野くんの腕を掴んだ。

前野くんは言われるがままその場にしゃがみ込むと、わたしと同じように顔を覗かせて駐輪場に注目する。

けれど、二人は駐輪場に入っていくとそのままそれぞれの自転車の鍵をはめて行ってしまった。


「流石に昨日の今日で、現れないかな……」


わたしはそう言いながら、ホッと胸を撫で下ろした。

本当は、その場面を見るのが少し怖かった。 
誰かが乱暴に、誰かの物を蹴飛ばしたり荒らしているところを実際に目撃するのだと考えたら、胸のあたりにヒュッと冷たい風が通った気がして。


「羽白さん、大丈夫……?」


わたしの様子を少し変に思ったのか、前野くんの声はどこか心配したようものだった。


「うん、平気」


笑って見せるけれど、笑いづらい。

そんな自分が情けない。 さっきまでの意気込みはどこへ行ったんだろう。

でもこんなのじゃダメだ。 絶対にやめさせなきゃ。


「あの、羽白さん」

「ん?」


わたしは小首を傾げて前野くんを見る。 すると、前髪の隙間から、前野くんの目が微かに覗いた。


「……嫌じゃなかったら、手伝いたいんだけど……」

「……えっ?」