翌日の夕方。
 千晶と康平は、再び川久保家の客間にいた。夕べ電話で連絡を取り、この時間に会う約束をしておいたのだ。
 時刻はそろそろ十八時。川久保酒店は閉店時間を早めたらしく、シャッターを下ろしている。川久保家の子供たちは近所に住む祖父母の家にいるとのことで、客間には成人済みの大人しかいなかった。
「うぅ……潔に無理やり引っ張ってこられたけど、これから一体何が始まるんだよ。そこにいるのは、昨日僕を訪ねてきた弁護士さんだよね?」
 昨日と違い、今日はこの場に山田が同席している。その山田を実際に連れてきたのは潔だが、指示は康平が出した。
 山田は一人掛けのソファーに浅く腰掛けて、決まり悪そうな顔をしている。千晶と康平は昨日と同じ二人掛けのソファーを使い、川久保夫妻は補助椅子に座っていた。
「タイムカプセルのことを話し合うに決まってるだろう」
 潔が少し怒ったような顔をして言う。すると、山田が細長い指を身体の前でもぞもぞ動かしながらぺこっと頭を下げた。
「潔、ひろみ……ごめん。昨日弁護士さんにも言ったけど、あれのことならもう諦めてよ。捨てちゃったのは僕が悪かった。本当に、ごめん! 中味はちゃんと弁償する」
「おい伸弥、諦めろってどういうことだよ。金で買えるようなものじゃないんだ。あれは……!」
 と、潔が身を乗り出したところで、康平が静かに片手を上げた。強面から放たれる『圧』がその場を制し、潔は再び椅子にきちんと座り直す。
 みんなの注目を一身に受けた弁護士は、山田に鋭い視線を投げた。
「山田さん。あなたは昨日、こう言った。――タイムカプセルは捨ててないが、もうない。これはつまり、タイムカプセルは存在するが、もう見られない状態にあるということだ」
「捨ててないのに俺たちが見られないって、どういうことだーなんだよ。そもそも伸弥、お前は何で一人でタイムカプセルを掘り出しちまったんだ?」
 潔は怒り交じりの顔で山田を見据えた。山田は「うぅぅ……」と呻いたまま、逃げるように視線を逸らす。
 何も言わない幼馴染を見て、潔はさらに突っかかろうとしたが、康平が再び片手を上げて制した。
「山田さん。あなたがタイムカプセルを一人で持ち出したのは――土の中で中味が『汚損』したからだ」
 名指しされた山田は、貝のように頑なに口を閉ざしていた。どうやらこちらの質問に答える気はないようである。
 代わりに、潔が訝し気に口を開いた。
「中味が汚損って……何でそんなことになるんだ? タイムカプセルはもともとプラスチックの箱だし、それをビニールで厳重に包んで埋めたから、そうそう汚れないはずだぞ」
 すると、康平は眉間に皺を寄せて軽く溜息を吐いた。
「川久保さんがタイムカプセルに手紙や物品を入れた日、山田さんは何も入れずに、そのまま箱を家に持ち帰った。次に山田さんがそれを川久保さんたちの前に持ってきたのは三日後。つまり、三日間はタイムカプセルが山田家で保管されていたことになる。その三日の間に、山田さんはタイムカプセルの中に『あるもの』を入れたんだ。そのせいで、中味が汚損する結果に陥った」
「あるもの……って、何? カプセルの中味を台無しにしちゃうものってことよね」
 ひろみが顔を顰めた。千晶も何だか嫌な予感がして、同じような顔つきでごくりと息を呑む。
 康平は一人落ち着き払った様子で説明を始めた。
「昨日、俺たちは山田さんの母親に会った。その母親の話によると、山田さんは昔から好き嫌いが多かったようだ。おそらく、かなり食が細かったと思われる。だから、学校で出る給食も毎回半分近く残していた」
 話に聞き入りながら、潔が「そうそう、毎回残してた」と相槌を打つ。
「川久保夫妻と山田さんは小学校六年生の時……つまりタイムカプセルを埋めた年、同じクラスに所属していた。そのクラスを受け持つ担任教師は、児童に慕われる存在だった。とりわけ山田さんは人一倍、担任に好意を抱いていた」
「美沙子先生のことね」
 そう呟いたひろみに、康平は頷いて見せる。
「山田さんはその担任に鬼笠のプロ野球カードを贈りたくて、卒業の直前に大量の『プロ野球焼きそばパン』を購入し、何とか目当てのカードを引き当てた。そのカードは卒業式当日、担任教師のもとに渡っている」
 そこで一旦、説明は途切れた。説明といっても、ここまでは夕べのうちに聞いていたことだ。特に目新しい事実はない。
 康平は部屋の中にいるメンバーを軽く見回したあと、再び口を開いた。
「ここで疑問が出てくる――大量の焼きそばパンを、山田さんはどうやって消費したのか、ということだ」
 弁護士の問いに、潔がすかさず挙手した。
「どうやって……って。必死に食ったんじゃないのか?」
 康平は「いや」と即座に首を左右に振った。
「給食を毎回半分近く残している児童が、慕っている教師のためとはいえ、急に大量のパンを消費できるほど食欲旺盛になれるとは思えない。かと言って、食べ残したパンを路上、もしくは自宅で捨てるわけにもいかない。路上では近所の大人たちが目を光らせていたし、山田さんの自宅では……山田さんの母親が常に息子を監視していた」
 それを聞いた途端、千晶の脳裡に山田の母の姿が蘇る。
 山田の母親は、息子が食べ残しやテストの答案をこっそり捨てていないか常に見張っていた。そんな中で焼きそばパンを捨てたら、あの肝っ玉母ちゃんが黙っていないだろう。恐怖の大王も真っ青な怒りの雨が降りぐこと間違いなしである。
 千晶はもう一度、今までの話を整理してみた。
 山田は担任教師のためにプロ野球カードを引き当てたかった。そのため、卒業直前の時期に追い込みを掛けるように『プロ野球焼きそばパン』を大量に購入している。
 そして、山田がラストスパートを掛けた時期と、タイムカプセルを預かっていた時期は重なっている。
「おい……ちょっと待てよ、まさか……」
 潔が呻くように声を絞り出した。
 同時に、千晶も『ある可能性』に気が付いた。捨てることのできない大量の焼きそばパンと、食の細い子供。その傍にあった、鍵のかかる箱……。
 そこから導かれる『最悪な結論』を述べたのは、強面の弁護士――康平だった。
「カードを取り出し、残ったパンの処理に困った山田さんは、その時ちょうど自宅に保管していたタイムカプセルの中に、それらを隠したんです」
 一瞬、部屋の中が静まり返る。
 数秒後、ひろみがわなわなと唇を震わせ、悲痛な声を上げた。
「嘘でしょ……? じゃあ、わたしたちは食べ残しが入ったタイムカプセルを、そのまま埋めたってことなの? 食べ物なんて中に入れたら……中味が……」
 康平は一瞬目を伏せ、静かに頷いた。
「……他に山田さんが残ったパンを処理できる機会はない。川久保さんたちが見た時、すでにカプセルの蓋は閉じられていた。そのまま埋めたと考える方が理に適っている」
 食べ物……有機物は、腐敗する。
 残ったパンが入れられたタイムカプセルは、二十年以上そのままになっていた。パンだけならまだしも、間に挟まっている焼きそばは汁気もあるし、腐ってドロドロになってしまうだろう。
 となると、一緒に入れられていたものは、もう……。
 最悪の事態を想像して千晶が顔を顰めた時、康平が追い打ちを掛けるように言った。
「タイムカプセルの中味は、おそらくカビ等で相当汚損されている。布製品や紙類は絶望的だろう。カプセルに食べ物を隠したのは山田さんだ。ゆえに、山田さんは中味の状態を予期できたことになる。だから川久保さんより前に一人で掘り出して、一連の事態を隠そうとした」
 そう。これこそがまさに『タイムカプセルは捨ててないが、もうない』という状態である。
 山田はタイムカプセルの中味がひどいことになっているのを知っていたし、大事な手紙がとっくに失われていることも知っていた。それが潔とひろみにバレてしまわないように、タイムカプセルごと持ち逃げしたのだ。
「おい、伸弥!」
 潔はスッと立ち上がり、ずっと黙りこくったままだった山田に食って掛かった。その顔は、悲しそうに歪んでいる。
「何で食べ物なんて入れたんだよ。いくら小学生の時でも、すぐに腐って駄目になることくらい分かっただろ!」
 一人掛けのソファーに腰掛けていた山田は、潔に胸倉を掴まれて立たされ、そのままがくがくと揺さぶられた。それでも何も答えようとしない。
 やがて、ひろみが二人の間に割って入った。
「キヨ、乱暴はやめて。伸弥くんも……少しは自分の口で何か喋ってほしい。美沙子先生にいいところ見せたかったのは分かるし、お母さんが怖かったのも理解するけど……やっぱりタイムカプセルをゴミ箱代わりにするなんてひどいと思う。四十歳になったら三人で一緒に開けようって言ったのに、腐るものを入れておくなんて……伸弥くんは初めから、わたしたちとの約束を守る気がなかったの?」
 激高寸前の潔と違い、ひろみはごく静かに、諭すような言い方をした。だがそれが逆に、芯のしっかりした怒りを感じさせる。
「ねえ、伸弥くん。黙ってないで何か言って」
 ひろみは再び、山田に言葉を促した。
 だが、やはり何も出てこない。潔とひろみ、そして山田……仲の良かった三人組の間に険悪なムードが漂っていた。重い沈黙が、全員を押しつぶしてしまいそうだ。
 そんな中、康平が口を開いた。
「山田さんは、タイムカプセルが開けられることはないと思っていた……違いますか」
 重苦しい空気は少しだけ晴れ、その場にいた全員が康平の顔を一斉に見つめる。康平は、鋭い視線でみんなを見つめ返した。
「タイムカプセルを埋めた時、三人は『四十歳になったら開ける』と約束した。だが小学生だった山田さんは、四十歳になる年までみんなが生きていることはないと踏んでいた。四十歳の時点で全員が生存していなければ、タイムカプセルは開けられない。だから食べ物を入れて、中味が汚損してまっても問題ないと考えた」
「四十歳まで生きられないと踏んだって……。山田さんはどうしてそんな風に思ったんですか?」
 千晶は半分首を傾げながら尋ねた。
 四十歳なんて、まだまだ若い。現に三人ともピンピンしている。万が一のことを考えたとしても、全員が死ぬ可能性なんてほとんどないはずだ。
 そのまま首を傾げていると、やがて康平がポツリと呟いた。
「……ノストラダムスの大予言」
「…………!」
 そのほんの小さな呟きに、山田の身体が大きく動いた。今まで何を尋ねても口を閉ざしているだけだったのに、たった一言であからさまな反応を見せている。
 康平は、そんな山田に畳み掛けるように尋ねた。
「山田さんは、卒業アルバムのメッセージ欄に、ノストラダムスに関わることを書いている。予言を信じていた山田さんは、本気で一九九九年に地球が滅びると思っていた――つまり、四十歳を迎える前に全員死ぬと思っていた。……これはあくまで俺の予想だが、何か異議は」
 次の瞬間、山田は「はぁーっ」と溜息を吐いた。
「うぅ……異議は、ないです……」
「はぁ――?! ノ、ノストラダムス?!」
 潔は顎が外れそうなほど口を開けて、項垂れている山田を見つめた。ひろみはもう、言葉にならないという様子で首を左右に振っている。
 二人の視線を受けて、山田はその場でガバッと頭を下げた。
「……潔、ひろみ、本当にごめん! 僕、子供の頃すごく馬鹿だったんだ。いや、今も馬鹿だけどさ。とにかく、ノストラダムスのこと真剣に信じてたんだよ。もう、美沙子先生と鬼笠の次くらいに尊敬してたんだ。鬼笠にちなんで、四十歳になったらタイムカプセルを開けようって約束はしたけど、その頃にはもうみんなこの世にいないだろうなって……。タイムカプセルが開けられることなんてないと思ったから、僕は焼きそばパンをあの中に……。ううぅっ、ごめん。ごめんなさい! 僕、本気の本気で、一九九九年に地球が滅びると思ってたんだよぉー!」
 それは文字通り、これ以上ないほど見事な土下座だった。
 潔は湯に頭を擦りつける勢いで謝る山田に、呆れたような顔を向ける。
「予言に入れ込むなんてアホだろ。まさか伸弥……まだそんなの信じてるのか?」
「いやいや、いくら僕でも、予言なんて嘘かもしれないって気付いたよ。中学を卒業したくらいの年に! でもその年になって気付いても、タイムカプセルはもう手遅れじゃないか……。あまりにも自分が馬鹿で、なかなか本当のことが言い出せなかったんだ。そうこうしてるうちに今年になっちゃって、慌てて掘り出しに行ったんだよ」
「伸弥くん……オカルト好きだったもんね」
 ひろみはどこかしみじみと言った。優しい声に余計恐縮したのか、山田はますます頭を下げる。
「お金で解決すれば、このまま隠し通せるかなって思ったんだ。まさか初対面の弁護士さんにここまで正確に言い当てられちゃうなんて……。うううぅ、潔、ひろみ、二人の大切なものを台無しにしてごめん。せめてもっと早く真実を言えばよかった。何で僕は、いつもこうやって二人に迷惑を掛けちゃうんだろう……。本当に、本当に、ごめんっ!」
 室内に、山田の悲痛な謝罪が響き渡る。
 その反響が完全に消える頃、潔とひろみが同時に噴き出した。
「おい伸弥、お前は本当に馬鹿だな。昔からちょっとドジすぎるんだよ」
「伸弥くんって、小学生の時と全然変わってなーい」
「うぅぅぅ、二人とも、ごめんよ……本当に、ごめん」
「ほら、立てよ。もういいって、事情は分かったから。タイムカプセルは残念だが、ノストラダムスのせいなら仕方ない。もう……下らなすぎて、笑いしか出ないぞ、俺は」
「伸弥くん、立って。ティッシュあるから鼻水拭いて。顔がすごいことになってる」
 潔とひろみは、座り込んでいた山田の手を片方ずつ取って立たせた。
 きっと、昔からこの三人はこんな関係だったのだろう。何かやらかしてしまう山田を、潔とひろみが「しょうがないな」と言いながら支える。山田は二人に感謝しつつ、笑いと癒しをもたらす。
 今、幼馴染三人の顔には子供時代に戻ったような笑顔が浮かんでいた。少し前まで亀裂が入りそうだったのに、そんな影はもう一切見えない。
 千晶は、隣にいる康平にそっと囁いた。
「今回の件は、無事に解決したみたいですね!」
 すると康平は、一度深く頷いた。
「そうだな」