進む道を誰かに決められていることは、楽であると同時に自由を手放すことだ。そして、俺の家で自由を手にするということは、軽蔑されるということだった。

『お前みたいな弟をもって恥ずかしい』
『反抗したいだけだろ。かっこ悪い』

 兄から言われた言葉が容赦なく心を抉った。
 これが自分の自由と引き換えに得た代償なのだということは、わかっている。

 医者になれ。そう言われて育ってきた。まるで医者にならないと価値がないかのように、呪文のように唱えられてきた父さんの言葉。

 祖父も医者で、父さんも同じように医者になった。
 父さんの弟である叔父は医者になることを諦めて、カメラマンを目指しながら現在も撮影スタジオでアシスタントとして働いている。そのことを父さんは染谷家の恥だと思っているらしく、叔父を会うたびに批難していたのを未だに覚えている。

 小学生の頃、叔父が言っていた。


『俺みたいにはなっちゃいけねぇけど、兄貴……お前の父さんみたくなる必要もないんだぞ』

 父さんみたいに医者になれと言われ続けていた俺にとっては衝撃的な言葉だった。


『人は自由なんだ。他の誰かになろうとする必要なんかない。壮吾は壮吾のしたいように生きろよ』

 薄暗く締め切っていた部屋の中に陽の光と風が吹き込んだかのように、目の前が一気に開けた気がした。
 もしかしたら叔父は、俺たちが父さんの生き写しのようになっていることを危惧して言ってくれたのかもしれない。

 己の個性を消し、シナリオ通りの人生を歩む役者のようになってしまっていた俺たちは子どもらしさという無邪気な部分が欠落していた。


 昼休みや放課後にサッカーやゲームで遊ぶこともせず、家に帰ってひたすら勉強が当たり前。
 休日に友達と遊ぶこともしたことがなかったし、夜にアニメやバラエティ番組を観ることも許されなかった。ついているのはニュースだけ。

 だから、いつも教室では一人だった。
 今流行りのものを知らず、話題にもついていけないし、遊ぶのなら勉強に時間を費やせと言われてきたので話題の合う友達なんていなかった。


 そんな中で唯一見つけた好きなことが絵を描くことだった。
 美術の授業で校内のどこでもいいから風景を描くという授業で、真っ白な画用紙を画板にのせて鉛筆を一本と消しゴムを一つだけ持って校内をうろついた。


 ほとんどの人が中庭や校庭へと向かう中、俺は誰もいない教室へとたどり着く。電気は消されているけれど、窓から太陽の光が差し込んでいて十分な明るさだった。

 普段は人がたくさんいる教室は今は自分以外誰もいない。胸につっかえていたなにかが取れて、呼吸がしやすくなった気がした。


 真っ白な画用紙に鉛筆をすべらせるように少しずつ描いていく。自分の呼吸と鉛筆の音、近くの教室から聞こえてくる授業をしている先生の声。
 夢中になっていくと、聞こえていた音はいつの間にか聞こえなくなり画用紙いっぱいに目に見ている教室の風景を描き込んだ。


 指定された時間の少し前に美術室へ戻り、先生に絵を提出すると目を丸くして興奮気味に俺に詰め寄ってきた。

『染谷くんすごいわ!』

 なにがすごいのかよくわからなくてきょとんとして立ち尽くしていると、先生は目をキラキラと輝かせて俺の描いた絵を褒めてくれた。まるで宝物でも見つけた子どもみたいだった。


『普段から描いているの?』
『いえ……ほとんど描いたことないです』

 褒められることなんて滅多にないから気恥ずかしくて声がどんどん小さくなっていってしまった。

『染谷くんは絵の才能があるのね』
『才能……?』
『ええ』

 きっと深い意味はなく、ただ絵をあまり描いたことがないわりに描けていたからだと思うけれど、小学生の俺にとっては泣きそうになるほど嬉しい言葉だった。

 叔父の言葉が頭を過る。

『お前の父さんみたくなる必要もないんだぞ』
『人は自由なんだ。他の誰かになろうとする必要なんかない。壮吾は壮吾のしたいように生きろよ』

 俺のしたいように生きるのなら、絵を描きたい。もっともっと色々な風景を描いてみたい。
 そんな願いと想いが生まれた瞬間だった。