目が覚めて、携帯電話を確認して絶句した。雪崩れ落ちるようにベッドから床に転がって、慌てて制服に着替える。夜遅くまで漫画を読んでいたせいで、家を出る十分前に目が覚めてしまった。
勢いよく階段を駆け下りる。そのまま洗面所へ向かって顔を洗い、歯を磨きなら、寝癖のチェックをする。
そんな私の様子を見に来たお母さんが鏡越しに苦笑した。

「何度も起こしたのよ」
「もっと強引に起こしてよー!」
「はいはい、ほら急ぎなさいよ」

 お母さんに呆れられながらも、メイクを適当に済ませてパンも食べずに家を出た。
 猛ダッシュしてギリギリ間に合ったけれど、髪は乱れて朝からどっと疲れてしまった。

 授業が始まると私のお腹の虫が自己主張をし始める。
 席が近い人たちには聞こえてしまったらしく、笑われてしまった。恥ずかしくて必死に空腹に耐えてお腹にばかり意識がいってしまい、授業にはまったく集中できなかった。

 やっとお昼の時間になり、急いで購買まで行き手に入れたパンを三つほど平らげる。
 空腹すぎて頭がおかしくなっちゃうかと思った。やっぱり朝ごはんは大事だ。コロッケパンに、クリームパン。締めは大好物のシナモンロール。これでなんとか午後もやっていけそう。

「朱莉、食べ過ぎじゃない?」
「さすがに三つもパン食べれないわ。よく気持ち悪くならないね」

 空っぽになったパンの袋を見た花音と宇野ちゃんに呆れられてしまった。

「朝ごはん食べてなかったんだよー! それにさ、購買のパンすっごく美味しいんだよ。特にシナモンロールが最高なの!」
「それでも食べ過ぎっしょ」

 宇野ちゃんは野菜ジュースのパックを飲みながら、最近染めたばかりのイエローブラウンの巻き髪を指先でくるくるとさせる。
 そういう宇野ちゃんは食べなさすぎだ。お昼ごはんが野菜ジュースってそんなのお腹の足しになんてならない。

「いやでも、シナモンロールは特別だよ!」

 シナモンロールの美味しさはもう何度も伝えているから、ふたりは聞き飽きてしまったらしくて適当に「はいはい」とあしらわれてしまった。


「そういえばさー、こないだ元彼から連絡が来たんだよね」
「え、それって宇野ちゃんが二ヶ月くらい付き合ってたって人?」
「うん。やっぱお前がいいとか言ってきて、ありえなくない?」

 元彼から連絡がくるだなんて、私には未知の内容だ。高校二年生にして、まだ彼氏が一度もできたことがないのだ。

 経験談とかがない私には上手い言葉の返しが思い浮かばないので、恋愛話のときは大抵相槌係。少女漫画から得られるような夢いっぱいの知識しかない私には元彼問題なんて特に難しくて別世界の話みたいだ。

「しかもさー、お互いもっと大人になろうとか、なんで上から目線なのかなー」

 確か宇野ちゃんの元彼は大学生で、デートをドタキャンされることが度々あってもめて別れていた。
 相手にもなにか事情があったのかもしれないけれど、ドタキャンされたときの宇野ちゃんはすごく寂しそうだったのを覚えている。

 両思いなんて私には奇跡のように思えるけれど、現実問題は付き合ってからも大変なことがたくさんあるんだろうな。

「宇野ちゃんとその人は結局合わないんじゃないのかな」
「まあ……そうなんだろうね」
「もっといい人いるって」

 花音が宇野ちゃんを宥めるように優しい口調で言うと、「次の恋見つけよ」と励ました。

「だね! 次こそいい人見つける!」

 意気込んでいる宇野ちゃんと隣で微笑んでいる花音を眺めながら、頭の中に疑問符が浮かび上がる。

 恋って、どうやって切り替えるんだろう。報われなさそうな私の恋はどう頑張ったらいいのか、どう諦めたらいいのかどちらもわからなくて同じ場所を右往左往している。

 私の好きな人の話をふたりにはしたことがない。
 同じクラスの人だし、恥ずかしくて話しづらいっていうのもあるけど、恋愛話ってちょっと苦手だった。
 宇野ちゃんや花音以外にもクラスの女子数人で集まって喋っていると決まって恋愛話になり、誰かのする彼氏や好きな人の話に対して、みんな口々に「わかる!」と声を弾ませる。

 恋愛経験自体もあまりない私には共感する点がわからなくて、いつも中学の頃は部活ばかりで恋愛してこなかったと言ってかわしている。
 別に嘘というわけじゃない。本当に中学の頃は部活漬けの毎日だった。
 その中で好きになった男の子だっていたけれど、今になって思うのは、あれは恋と呼べるほどではなかったのかもしれない。


 だって、彼に恋をしたとき——あんな感覚は初めてだった。


 ちらりと窓際に視線を向ける。今日も彼は一人黙々とクロッキー帳に向かって絵を描いているようだった。

 その横顔に胸が高鳴る。真剣な表情も、時折優しげ眼差しになるところも、私の視線を奪っていく。見るたびに好きだと自覚して、緊張して話しかける勇気が出ない。どんなことを思いながら描いているんだろう。
 席替えしないかな。もっと近くの席になりたい。そしたら、話しかけるきっかけができるかもしれないのに。



 でも話しかけるきっかけができたとしても、きっと私は彼の視界になんて入れない。何回も折った制服のスカートに、だらしなく緩めたネクタイ。
 ワイシャツだって第二ボタンまで開けていて、髪の毛も茶色に染めて毛先が少し痛んでしまっている。

 何もかもが中途半端で、興味を持ってもなかなか継続ができない。
 描いた夢を途中で放り出して、適当なものに埋もれながら過ごしていた。いつか自分に合った夢中になれることに出会える。そんな希望を抱きながら、続ける努力をしなかった。

 そんな私とは全く違っていて、夢中になれるものを持った彼。
 私にとって彼は眩しくてたまらないのに、どうしようもなく惹かれてしまう。



「そういえば五組の子が言ってたけど、英語の小テスト今日返ってくるらしいよ。しかも、再テストの人もいるんだって。花音やばいんじゃない?」
「えー、やだなぁ。私、英語は本当無理なんだけど」

 英語が苦手の花音がぐったりと机に伏せた。英語が得意な宇野ちゃんは余裕そうに笑っている。

「朱莉は大丈夫なんじゃない?」
「んー、いい点数ではないだろうけど、普通くらいじゃないかな」

 英語は得意でも不得意でもなく、常に平均点くらいだ。「羨ましすぎ!」と顔を上げて不服そうに言ってきた花音の頭を軽く撫でる。


「とりあえず午後を待とう、花音。もう点数変わらないし」
「……朱莉、地味にひどい」

 宇野ちゃんと花音と喋っていると、携帯電話がスカートのポケットの中で震えた。画面を確認すると新着メッセージのマークが浮かんでいる。

 メッセージを開いてみると送り主は体育祭の応援団で一緒だった一つ上の先輩。急な放課後の呼び出しの内容にある予感が胸によぎった。

 勘違いかもしれないとは何度か思っていたけれど、なんとなく特別視されている気はしていた。だから、先輩に呼び出されたことに驚いたというよりも、今日その日を迎えてしまうのかということに驚いた。

 案外時間が経ってからのアクションだ。もう私のことなんて気にしていないかと思っていた。
 紙パックに入ったレモンティーをストローで吸い上げながら、液晶画面に羅列された温度の感じない文字をぼんやりと眺める。

『話がある。放課後、校舎裏の桜の木があるところに来て』

 校舎、裏?と首を捻る。体育館へ続く渡り廊下から校舎の隣に桜の木が見えるので、おそらくあの場所のことだろう。

 校舎の表は私たちが普段学校へ入る門がある場所だけど、裏は正しくは校庭だ。
 この高校は校舎を突っ切った裏側に校庭があるのだ。だから、桜の木がある場所は正しくは校舎裏ではなく、校舎横というべきなのかもしれない。

 私には正しい呼び方はわからないけれど、あの場所であることは間違いないはずだ。

「なになに、朱莉―。なんかあった?」
「え、なんで?」
「呼び出しでもされた?」

 にやにやとしている宇野ちゃんは明らかになにか知っている様子だ。こんなピンポイントに〝呼び出し〟なんて言葉が出てくるのはおかしい。

「呼び出しって……もしかしてついに!?」

 なぜか花音まで浮かれ出した。ふたりは私が誰に呼び出されたのかわかっているみたいだ。

「ちょ、ちょっと待って! なんでふたりとも知っているの?」
「だって、先輩見てればわかるし」
「そうそう。もう朱莉狙っていますアピールすごかったよね!」

 自分でも可愛がってくれているのは感じていたけれど、周囲にも伝わっていたようだった。けれど、私が聞きたいのはどうしてふたりがこのタイミングで呼び出しの相手が先輩だということがわかったのかだ。

「……もしかして、先輩からなにか聞いてた?」
「んーまぁ、近いうちに〜ってちょっと聞いたくらいだけどね」

 宇野ちゃんは言葉を濁していたけれど、呼び出しの理由は私の予想通りのことなのだろう。告白されるってわかっていて、待合せ場所に行くのは緊張する。

「早瀬先輩ってさ、かっこいいよね。結構人気あるらしいよ」

 花音の言う通り早瀬先輩はモテる。私たち二年生からだけではなく、同学年の人からも度々告白をされているらしい。運動神経も良くて見た目も華やかで面倒見もいい人なので、私も素敵な先輩だなと思っていた。

「どうすんのー、朱莉!」
「……私は」

 窓際の方向に視線を向けると、彼は相変わらず鉛筆を握って絵を描いているようだった。その横顔を見ているだけで心臓の鼓動が高鳴っていく。それだけで答えが出ているようなものだ。

「今はそういうのいいかな」
「そっか。まあ、こればっかりは仕方ないよね」

 宇野ちゃんがちらりと彼がいる窓際を見た気がしてどきりとした。私が見ていたことに気づかれていませんようにとひっそりと願う。

 彼の視界に映っていないことくらいわかっている。私はただのクラスメイトで、彼にとってそれ以上でもそれ以下でもない。だけど、諦めることなんてできない。遠くから眺めているこの距離から、一歩でもいいから進みたい。

「付き合ってみて、好きになるっているのもアリだとは思うけどねぇ」
「花音はそれでいつも失敗してんじゃん」
「失敗じゃなくて、単に性格が合わなかっただけですー」

 恋の仕方に決まりなんてなくて、花音のような恋のはじめ方も決してダメではないのだと思う。私みたいに一歩すら踏み出せずにいる恋はいつまでも日陰でひっそりとしているだけだ。
 近づきたい。話したい。きっかけを必死に探すけれど、まったく見当たらない。


「朱莉さ、好きな人とかいて協力してほしかったらいつでも言ってね」

 宇野ちゃんが頬杖をつきながら優しく微笑んだ。
 一瞬、心を見透かされたのかと思った。けれど、接点が全くない彼のことを好きだなんて気づかれてはないはずだ。私に好きな人がいると思っているのか、もしもの話をしているのはわからないけれど、出かかった言葉を閉じ込めて微笑みを返す。

「うん。ありがとう」

 いつかはふたりにも私の好きな人のことを打ち明けたい。けれど、知られてしまった後のことを考えるとどうしても恥ずかしいという気持ちが勝ってしまう。

「ちょっと飲み物買ってくるね」

 彼が席を立ったタイミングで私も廊下に出てみる。声をかけることができないまま、遠くなる背中を見つめるだけしかできなかった。


 ***


 放課後、掃除を終えると先輩との待合せの時間が迫ってきていた。

「朱莉、がんば!」

 なぜかガッツポーズをしている花音に、宇野ちゃんが「朱莉が告るんじゃないんだから、がんばらないでしょ」と呆れてツッコミを入れた。

「まあ、あまり気負わずにね」

 宇野ちゃんに軽く頭を撫でられて、緊張が少しだけ解けていく。けど、きっと私よりも伝える側の先輩の方が緊張しているはずだ。私も精一杯の気持ちで応えなくちゃいけない。


「ありがとう。じゃあ、また明日ね」

 花音と宇野ちゃんと別れて、人がまばらな廊下を前進していく。
 一階まで降りると、待ち合わせをしている生徒や靴を履き替えるあたりで談笑している生徒たちがいて、楽しげに騒いでいる。黄色のラインが入った上履きは一年生だ。

 人目を気にせず笑ったり、悲鳴のような大きな声を上げたり歌い出したり、こうして一つ違いの上級生という立場で見ていると、去年の自分たちもこう見えていたのかもしれないと考えるとなんともいえない恥ずかしさがこみ上げてくる。

 私たちも一年生のときは今よりテンションが高くて騒いでいたから、よく先生に怒られていた。誰かが歌を口ずさむと、それを聞いた人が一緒に歌い出したりもしていた。

 そんな日常が一年のうちはあった。けれど、誰かが言い出したわけでもなく、自然とみんな落ち着いていった。
 最初は大きかったグループも次第にばらけていき、騒げば騒ぐほど浮いてしまって、気の合う少人数で行動を共にするようになっていく。今では好き放題騒げるのは行事ごとのときだけな気がする。

 廊下を突き抜けた先にあるガラス製のドアを開けると、秋の到来を感じさせる温度が少し低めの風が私のつま先から頭のてっぺんまでを包むようにすり抜けていった。


 九月下旬ともなると少し前までの蒸し暑さが嘘のように消えている。体育館まで繋がっているむき出しの渡り廊下には、小枝や乾いた葉が転がっていた。

 ずっと先の方にある校庭に視線を向けると、陸上部やサッカー部らしき生徒たちが急いで準備運動をしている輪の中に入っていくのが目に止まった。おそらく掃除を終わらせてきた生徒たちだろう。
 この高校では出席番号順でグループを決められて、ローテーションで掃除場所をわり当てられる。だから、みんな掃除か終わらないと部活動へはいけないため、運動部は我こそ先にと素早く掃除を終わらせる人が多い。

 渡り廊下の先にある体育館からホイッスルが鳴った音が聞こえて懐かしさに足を止める。中学の頃はあのホイッスルの音を聞きながら部活動に励んでいた。


 高校ではピアノに専念しようと思ってバスケ部には入らなかった。けれど、結局ピアノも昨年末に辞めてしまった。今の私にはなにも残っていない。

二年生になってはじめて参加した体育祭の応援団は楽しかったけれど、それももう終わってしまった。
 こうして自由な時間があるのだからなにかをしたいけれど、なにも思いつかない。ただなんとなく毎日を過ごしているだけだ。


 目の前に道を作っている渡り廊下からあえて逸れて、コンクリートの上へと上履きのまま足を踏み入れる。

 昨夜は雨が降っていたからか、少し独特な匂いが立ち昇って顔を顰めた。
 今日も午後から雨が降ると天気予報は告げていたけれど、どうやら外れたみたいだ。空は青を纏って、緩やかにまばらな雲が流れている。

 普段は木の上ばかり歩いている上履きでコンクリートの上を歩くのは、ちょっと悪いことをしている気分。私の悪いことってスケールが小さすぎるかもしれない。
 九月の桜の木は当然淡いピンク色の花は身につけておらず、黄緑色の葉を纏って秋風に揺らされて重なりあっている。

 その音に耳を澄ませながらまだ誰もないことを確認し、桜の木に身体を預けた。

 優しい音色に心地よい温度の風。ゆったりとした放課後の時間が至極贅沢な気がしつつも、瞼が少し重たくなってくる。

 少しして私の微睡みを掻き消したのは、聞き覚えのある声だった。


「悪い、遅れた!」

 駆け寄ってきた早瀬先輩はポケットから携帯電話を取り出して、時刻を確認すると金色に近い髪をがしがしと掻いた。

 一瞬だけ見えた携帯電話のディスプレイに記された時刻は、待ち合わせ時間から十五分くらい過ぎていたけれど、心地よくこの空間に浸っていた私にはあっという間の十五分だった。


「だいぶ待たせたよな?」
「いえ、大丈夫ですよ」

 緊張しながらここまできたけれど、待っていた時間は苦ではなかった。むしろこの陽気が心地よくて、微睡んでいたほどだ。
 目の前に立つ早瀬先輩の表情が真剣なものへと変わっていく。


「あのさ、中村」

 先輩の声は低め。制服もほどよく着崩していて、顔立ちも目を引く方だ。

「もう薄々勘付いていると思うけど」

 明るくて社交的だから、後輩たちの間では人気のある先輩の一人。

「俺と付き合わない?」

 多分、この人と付き合ったら羨ましがられる。嫉妬もされるかもしれない。そのくらいカッコ良くて人気者。だけど、私の心臓のリズムはいつも通りで全く乱されない。
 少女漫画で得たときめきも憧れも、現実を前にすると泡のように消えていき、初めての告白だというのに私は冷静だった。

「体育祭の応援団とかでもさ、一緒にいて楽しかったし、趣味も合うだろ」

 ぽたりと、疑問が心に落ちてくる。
 私の趣味ってなんだっけ。ギターとかバスケとかいろいろなことに手を出したけれど、続けられているものなんてない。好きだったピアノも逃げるように辞めてしまった。
 先輩はどれを趣味と認識しているのだろう。

「先輩、私」
「結構俺ら合うと思うんだけど」

 言葉が遮られて、さらに心が冷えていく。この感情の理由なんてわかっている。好きと言われない告白。自信に満ち溢れた瞳。

 あっさりとしていて想いがあまり伝わってこなくて、本当は私じゃなくてもいいんじゃないかと思ってしまいそうなほど、早瀬先輩は淡々としている。
 告白ってこういうものなのかな。照れたり、緊張したりするものじゃないのかな。私が夢見がちだったのかな。

「どう?」

 それに早瀬先輩は彼じゃないから、私のスイッチは入らないんだ。彼の声は柔らかくて、繊細で透明感がある。それに優しい話し方をするんだ。
 告白をされているのに浮かんできたのは彼の姿で、申し訳ない気持ちがこみ上げて少し冷えた指先を手の内側にぎゅっと握る。答えなんて最初からでていた。


「早瀬先輩」

 ほんの少し、喉が痛い。緩やかに吹く風が私の髪を一束攫い、視界を遮ろうとしてくる。手で髪の毛を押さえて、目の前の先輩を見上げると自信たっぷりな表情で微笑んでいた。

「私、先輩とは付き合えません。ごめんなさい」

 先輩の表情が変わるのが怖くて、咄嗟に頭を下げた。
 告白を断るのは初めてで、緊張から少しだけ心臓の鼓動のリズムが乱れる。告白をされてドキドキするんじゃなくて、断ってドキドキするだなんて変な感じだ。


 上の方からぽつりと言葉が降ってきた。


「なんで?」

 弾かれたように頭を上げると、訝しげに首を捻っている早瀬先輩と目が合う。

「え、なんでって……」
「なんでダメなの?」

 返ってきた言葉があまりに予想外で握っていた手のひらから力が抜けていく。告白を断った理由を聞かれるとは思わなかった。

「あの、私……え!?」

 突然肩を掴まれて、至近距離で真剣な表情を向けられた。わけがわからなくなって、全身が石みたいに固まっていく。
 告白を断って、理由を聞かれて、力強く肩を掴まれている。頭が混乱して、どう返答するべき言葉が思い浮かばない。

「あ、あのちょっと、先輩。離してください」
「中村」

 吐息がかかるくらいの近さに嫌悪感が全身に駆け巡る。

「ちょ、早瀬先輩!」

 慌てて早瀬先輩の腕を引き剥がそうと試みるけれど、力が強くてうまくいかない。

「こういうのやめてください!」

 早瀬先輩は自分に自信がある人だ。かっこよくて人気がある。きっと今までだって何人もの女の子に告白をされてきたのだろう。

 それでも必ずしも女の子が早瀬先輩のことを好きになるわけじゃない。
 私だってかっこいいなって思っていた。一応憧れっていう感情もあった。それでも恋愛感情の好きではない。

 私の好きな人は別に————


 その時だった。
 重量のある〝なにかが落ちた〟ような音がした。


 顔だけ音がした方へと向けると、すぐそばにある非常階段の二階に人が倒れているのが目に止まった。

 ここからはよく見えなくて誰なのかはわからないけれど、だらりと手首が柵の間から落ちて、ぴくりとも動かない。全身が粟立ち、血の気が引いていく。

「え……なんだ、今の音」

 早瀬先輩も呆然と非常階段の方を見つめていて、力が緩んでいたのでその隙に押し返して走り出した。

「ちょ、中村!?」

 非常階段を駆け上がる。校舎の中とは違い、鉄骨階段を一歩ずつ登っていく音が場違いなくらい軽やかに響く。

 向こうから見えたとき、動いていなかった。意識がなかったら、職員室まで先生を呼びに行くべきか、それとも保健室まで走るべきか。頭を強く打っているかもしれない。先に職員室へ行って、大人の手を借りに行くほうがいいのかもしれない。

 頭の中でぐるぐると焦りと不安が入り混じりながらこの先のことを考えていると、人が倒れている二階まで辿り着いた。

 片方だけ転がっているローファーを辿って、倒れている人物の顔を確認する。

「え……」

 まるで眠っているように動かない黒髪の男の子。すぐそばにはオレンジ色のクロッキー帳と深緑の鉛筆。冷や汗が背筋に滲み、冷たい空気が鼻から肺に流れ込んでくる。

「そめ……やくん……?」

 震えた声は自分のものだった。
 心臓の鼓動が嫌なくらい加速して、呼吸が浅くなっていく。彼の手に触れると温かくて、きちんと人の感触がして、これが現実なのだと突きつけられる。

「染谷くん! 染谷くん!」

 名前を呼んでも全く動かない。
 目の前で眠るように倒れている男の子は、私のクラスメイトで、窓際の端っこの席で、いつも絵を描いていて、美術部で――私の好きな人だった。